ルアンプー・ドゥン師(1888年~1983年)
ルアンプー・ドゥン師はアチャン・マン師から教えを受けたスリン県のお坊様です。ルアンポー・プラモート師の法話にも度々出てくるお坊様でもあります。
プラモート師のお寺(スワン・サンティタム寺院)に入りますと一番最初にルアンプー・ドゥン師の像が祭られています。
ルアン・プー・ドゥン・アッタロー師(หลวงปู่ดูลย์ อตุโล)は1888年10月4日、タイ国スリン県プラサート村に5人兄弟の長男として生まれました。22歳の時スリン県のワット・ジュマポルスッダヴァーサ寺で出家をします。出家後はスリン市郊外のワット・カウコー寺で瞑想に専念します。しかし残念ながら、ワット・カウコー寺での僧侶の規律はあまり厳しくなく、日常は牛の世話や牛車を作るなどの修業として不十分なものでした。満たされない日々が6年間続き、僧侶としての学問を学ぶためウボンラチャタニー県にある寺院で勉強することにします。
その時の学問の経験から「すべての学問は記憶に残るだけであり、実践の実体験ではない」という考えを持つようになります。その後、タイで最も尊敬されている森林に住む僧侶であり有名な師であるアチャーン・マンの教えを受けるために旅に出ます、そしてついにアチャン・マンに出会い教えを聞く事ができました。ドゥン師はその教えに大きく触発されたのでした。マン師の教えと森林での修行について非常に感銘を受け、雨安吾の後アチャーン・マンに加わりその後16年間彼の指導の下で放浪しました。
何年も森や山の中での修行の後、彼は故郷のスリン県に戻りワット・ナー・サーム寺院に落ち着きました。この寺院は非常に人里離れた場所にあったにも関わらずアチャーン・ドゥン師として名を知られるようになり、尊敬されるようになりました。多くの人々がドゥン師に会う為にやってきました。やがて彼の話を聞きに来る人たちを収容する場所がなくなる様になりました。
そこで師は街に近い場所を提供されることになり。ワット・ロンゴン・サメット寺と呼ばれる別の森の寺院に移ります。師は雨安吾の間そこに留まりましたが、その外の時期というものは特にカンボジアの手つかずの深い森に放浪の旅を続けました。
最後の50年間はスリン県のワット・ブラパラム寺(Wat Burapharam)に止住し。 ルアン・プードゥン師は1983年10月30日、96歳の誕生日を祝う準備中に亡くなりました。
ワット・アソーカラム寺院に祭られているルアンプー・ドゥン師の舎利
スワン・サンティタム寺院にあるルアンプー・ドゥン師
そこにはルアンプー・ドゥン師の教えがそこに記されています
อริยสัจแห่งจิต
จิตที่ส่งออกนออก เป็น สมุทัย
ผลอันเกิดจากจิตที่ส่งออกนอก เป็นทุกข์
จิตเห็นจิต เป็นมรรค
ผลอันเกิดจากจิตเห็นจิต เป็นนิโรธ
四聖諦 心を観る
心が外に向かうこと これは集諦(samudaya:苦の原因)です
心が外に向かうことで生じる結果 これは苦諦(dukkha)です
心で心を観ること これは道諦(magga:苦を滅する原因)です
心で心を観ることの結果 これは滅諦(nirodha:苦の消滅)です
参考:Luang Phoo Dun, Wat Buraparam, Surin