”それ”と同化しない メーチー・ジュン師
もしも私たちの心に
思いだす事
あるいは
戻ろうとする心が無いのであれば
心の自然な働きというものは
いつも外に向かっていくものなのです
今まで一度も戻ろうとしたことが無いのです
他の事に注目してしまうのです
私たちは考えを使うことと
原因と結果を探し出し
理屈にすることに
慣れてしまい
感情を使って
進めているのです
しかし
今までに
立ち止まって感情を観たことがありますか
感情が圧迫される様子を見たことがありますか
呼吸で感情を遮断し
自分自身を調整したことがありますか
自分自身に聞いてみて下さい
何かが生じる時
私達は他人が間違った時に
認めて受け入れることは出来ますか?
それとも
人のせいにして終わりますか?
自分自身が観える事を受け入れるのです
本当の修習というものは
姿勢によって分類されるということは
無いのです
本当に精進するということは
サティを持ち続けることなのです
サマーディとは心が定まる事です
知る対象に影響されて
あちこちに動かないことなのです
目の前に生じる感情が観えるのです
呼吸の上に住し
呼吸に掴まり
呼吸の訓練をするのです
それは遮る為なのです
何を遮るのでしょうか
それは感情の流れを遮る為なのです
なぜならば
私達にサティ・サマーディが無いとき
私達と感情は同じものになってしまうからです
私達は生じてくるすべての感情の主に
なってしまっているのです
しかし
知ることあるいは心と対象を
分けることが出来ない時
私達には苦(ドゥッカ)もしくは楽(スカー)が
生じるのです
苦の主になったり
楽の主になったりするのです
そして
圧迫されるものが生じるのです
満足・妬みなどが生じてくるのです
ですから
「私達がそれになった(同化した)」と
思ってしまうのです
しかし
本当は
ただその症状が現れただけなのです
ですから
私達は”その症状”が観えるように
サティとサマーディの力が十分になる様に
訓練をしなければならないのです
仏歴2566年5月20日 メーチー・ジュン師
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?