あんな ◆アルコール依存症とともに生きています

自他ともに認めるお酒好きが高じてアルコール依存症に。入院、療養を経て回復。オモシロおか…

あんな ◆アルコール依存症とともに生きています

自他ともに認めるお酒好きが高じてアルコール依存症に。入院、療養を経て回復。オモシロおかしい人生を鋭意模索中。「回復」という生き方について書いていきます。

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「依存」の反対は「絆」 ~精神科医からもらった言葉

先週のNHK朝ドラ「おかえりモネ」で、浅野忠信さんが演じる漁師が、東日本大震災での出来事がきっかけでアルコール依存症になってしまった、というストーリーが話題になっていた。 浅野忠信さんは映画『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』でもアルコール依存症の役を演じている。断酒を続けていた主人公が、小皿に盛られた数枚の奈良漬けを食べたことで再飲酒が始まり、泥酔するシーンがある。 一滴のアルコールを体に入れることが、依存症にとってはどれほど危険なことかを教えてくれる印象的なシーンだった。

    • 断酒を続けるために毎日必ずやっていること

      私にとっての断酒を続けるためのコツは、依存症であることを忘れないこと。 飲まないで生きていく。 その意識を高く保つために、毎日必ずやっていることがある。 一つは朝5分の読書。 回復の道を歩んだ先人たちの言葉が一日1ページ、一年で365ページにまとめられている本を2冊、毎日必ず読んでいる。 本の内容が伝えたいことはシンプルで、正直であれ。誠実であれ。利己を捨て利他に生きよ。その三つのことを、聖書などから引用した様々な文章や言葉で綴っている。 朝の5分、白湯をいただきなが

      • 飲む量が加速度的に増えていった理由

        20年以上続いた一人暮らしをやめて、家族と暮らすようになってから一年も経たないうちに依存症専門の精神病院に入院することになった。 一人暮らしのときは、いつでも好きなだけ飲むことができた。好きな時に好きなだけ飲むほうが大量に飲んでしまうような気がするけれど、実はそうでもない。 「隠れ飲みをするようになると危ない」カウンセラーの言葉だ。 飲酒量を心配する家族がとにかく面倒だった。 私の家族は厳しく言うほうではなかった。「飲む量を減らしたら?」。その程度。それでもウザイ。言わ

        • 入院生活は”生きづらさ”を変えていくトレーニング

          生きづらさをアルコールや処方薬で紛らわせてやり過ごしていたら依存症になってしまったわけだけど、“生きづらさ”と“依存物”の結び付きを断ち切るのと同じくして、“生きづらさ”そのものも変えていく必要がある。 そんなわけで入院中は繰り返し、「ここで起こることは全てトレーニング」とカウンセラーに叩き込まれた。 時間があるときにもっと詳しく書くつもりだけれど、依存症の患者には共通した性格上の欠点がある。頑固で、融通が利かない。そして、自己中。 入院中の集団生活は、それ自体が治療プ

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        「依存」の反対は「絆」 ~精神科医からもらった言葉

          飲む代わりに読む

          あっという間に東京オリンピックも閉会式。3年後のパリオリンピックのころには、どこでなにやってるかなぁ、なんて思いながら、4年後に実用化を目指しているとかの“空飛ぶクルマ”の特集をみている。 飲まなくなってから、のんびり過ごす時間が増えた。読書したり、Netflixを楽しんだり、動画で学んだり学びなおしたり。 飲んでたころと比べると、短く見積もっても一日3時間は時間が余る。休みの日なら10時間は自由な時間になる。一週間で35時間、一ヵ月で140時間、一年で1680時間。

          飲まないで過ごせたことが嬉しい。

          コロナ禍だけれど必要があって、近くの政令指定都市まで来ている。 故郷の田舎を出たのは2年ぶり。 今夜は4泊5日の最後の夜。 旅行や仕事でいろんな街に行ったけれど、飲まなかった夜はなかった。 車の運転がなければ道中もぐいぐい飲んでいたし、鳥取砂丘のラクダにも二日酔いでのった気がする。 飲んでいなければ違って観えた景色もあるのかな、なんて思うことがある。 旅先の飲み屋は本当に魅力的でキラキラして見えていた。 今はそのことが懐かしい。 とはいえやっぱり少し寂しい気持ちになり

          「宇宙から自分をみてみるの」

          図らずもジェフ・ベゾスさんが宇宙旅行の夢を叶えたばかりだけど、これは入院中にお世話になったカウンセラーがよく言っていた言葉。 客観的に自分のことをみてみるとラクになるよ。というメッセージだと思っている。 アルコールや処方薬の作用と離脱症状から解放されて、心穏やかな自分を知ってからも、イライラしたり気分が落ち込んだりすることは、もちろんある。 気持ちを切り替えるために一番効果があるのが、こういう気分のときに飲んでいたなぁ、と懐かしむこと。 イライラむかむかしたらホイホイ飲

          依存症から回復した今でも、お酒のことを恨んだり憎んだりはしていません。

          退院して最初に会った友人の様子で、世間のアルコール依存症へのイメージにちょっと触れた気がした。アルコール依存症から回復した人のイメージ、というべきか。 簡単にいうと、こんなかんじ。 アルコール依存症=お酒が好き。悪く言えば、だらしないほどお酒が好き。 アルコール依存症から回復する=お酒は諸悪の根源と思って闘っている。 お世話になった自助グループの話なんかしたもんなら、ドン引きしていた。顔色が悪くなるどころか、首から腕から青白くなったように見えた。そのくらいに戸惑っていた。

          依存症から回復した今でも、お酒のことを恨んだり憎んだりはしていません。

          アルコール依存症でも入院すれば上手に飲めるようになるのかな。と思っていた

          アルコール依存症になったら断酒するしかないと聞いたことはあったけれど、入院して治療すれば上手に飲めるようになるのかな、とぼんやり思っていた。 ハイヒールやバッグが無残なことになっていて、なにがあったか思い出せないし、手足が傷だらけで頭痛と胃痛で動けない、みたいな朝を迎えなくてすむ。そういう飲み方ができるようになるのかな、と思っていた。 内科的治療で肝機能や胃腸は健康な状態に戻る。アルコールが抜けるので頭の中もスッキリする。でも上手に飲めるようにはならない。 依存症の治療プ

          アルコール依存症でも入院すれば上手に飲めるようになるのかな。と思っていた

          アルコール依存症 顔つきより気になったこと

          アルコール依存症で誤解していたことはいくつもあったけれど、入院三日目くらいでわかったこと。 最初の記事で書いた、顔つきより気になったというのはこのこと。 手足はガリガリ、でもお腹はポッコリ仕切りのない6人部屋なので、患者同士の着替えの様子がどうしても目に入ってくる。入院三日目あたりで気づいたのはガリガリに瘦せ細った人が多いこと。大酒飲みは太っているものだと勝手に思っていたので驚いた。 依存症の治療には集団生活も含まれるとのことで、入浴も3人くらいで一緒に入る。そこで見たの

          アルコール依存症 顔つきより気になったこと

          アルコール依存症 入院初日のこと

          入院した初日のことはあまり思い出せない。お酒と処方薬を前日まで飲んでいた影響もあって、ぼーっとした状態だった。 入院は2週間前に家族が決めてきたことだった。私が飲んで大きなトラブルを起こした翌日に、家族が病院に電話で相談した。本人抜きでの来院を勧められ、相談に行ったその日に入院が決まり、2週間後にベッドに空きがでて入院することになった。 入院一日目のこと。 飲んでいた処方薬が全て病院管理になる心療内科で処方された抗うつ薬、抗不安薬、睡眠導入剤を全て没収された。それ以来、今

          アルコール依存症の検索キーワードに答えてみた

          断酒して一年が過ぎた。夜な夜な浴びるほど飲んでいた日々が昔に感じる。 アルコール依存症はアルコールに対してコントロール不能になった状態を指す、というのは依存症専門の医療機関で教わったこと。 入院時、私の診断結果は、病名「アルコール依存症」、症状「強迫的飲酒欲求・連続飲酒発作・精神運動興奮状態・抑うつ気分」。もはやただのお酒好きではすまされない字づら。 この病気にはイメージ先行の偏見があったけれど、コントロール不能になるというのがどういうことかを身をもって知った。 知った

          アルコール依存症の検索キーワードに答えてみた