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アルコール依存症でも入院すれば上手に飲めるようになるのかな。と思っていた

アルコール依存症になったら断酒するしかないと聞いたことはあったけれど、入院して治療すれば上手に飲めるようになるのかな、とぼんやり思っていた。
ハイヒールやバッグが無残なことになっていて、なにがあったか思い出せないし、手足が傷だらけで頭痛と胃痛で動けない、みたいな朝を迎えなくてすむ。そういう飲み方ができるようになるのかな、と思っていた。

内科的治療で肝機能や胃腸は健康な状態に戻る。アルコールが抜けるので頭の中もスッキリする。でも上手に飲めるようにはならない。

依存症の治療プログラムは集団精神療法からがスタートになる。その一日目で気づいたこと、知ったこと。

入退院を繰り返している人ばかり

集団精神療法は10人くらいのグループが輪になって椅子に座り、自分の体験や気持ちを話していく。わかちあい、とも呼ばれる。
同じグループの中で、初回の入院は私一人だった。

自分は依存症ではないからまた飲んだという人たち。
次こそは上手く飲めると思って飲んでしまった人たち。
わかっちゃいたけど飲んでしまった人たち。

治療プログラムを受けて退院したはずが、また入院。なかには25年の間、入退院を繰り返している人もいた。

「否認の病」


アルコール依存症は「否認の病」と呼ばれている。

私も入院前は認めたくなかった。置かれている状況が悪くなるほど慰めのお酒は必要で、まだ大丈夫、仕事がうまくいけば、人間関係がよくなれば、趣味をみつけられれば、私は飲む量を減らすことができる、と思っていた。

誰にも迷惑かけていない。
自分の人生だから好きに生きる。
どうしてこんな事になったのかわからない。

何度も入院している人はそんなことを言って、カリカリしているか、フテ腐れているか、落ち込んでいるか。何か問題があるから、手に負えなくなったから、だから入院している、という事を認められない、受け入れられない。


完治はしない、回復はする


アルコール依存症になったら、上手に飲めるようにはならない。何回かは上手く飲めたとしても、必ず酷い結果になる。身体を壊すか、トラブルを起こすか。だから断酒して、回復を目指すしかない。

それは理解できた。でも「回復」というのが、どういう状態なのかが一日目ではわからなかった。

入院前は「断酒なんて冗談じゃない。お酒のない人生なんて考えられない。そんな人生はつまらない。」と思っていた。
人生に思いをめぐらすにせよ、人生をオモシロくするにせよ、自分がいなけりゃ始まらない。生きてこそ。今はそう思う。

そう思えることが「回復」だとわかるまでを、ちょこちょこと書いていきます。

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