入院生活は”生きづらさ”を変えていくトレーニング
生きづらさをアルコールや処方薬で紛らわせてやり過ごしていたら依存症になってしまったわけだけど、“生きづらさ”と“依存物”の結び付きを断ち切るのと同じくして、“生きづらさ”そのものも変えていく必要がある。
そんなわけで入院中は繰り返し、「ここで起こることは全てトレーニング」とカウンセラーに叩き込まれた。
時間があるときにもっと詳しく書くつもりだけれど、依存症の患者には共通した性格上の欠点がある。頑固で、融通が利かない。そして、自己中。
入院中の集団生活は、それ自体が治療プログラムでもある。
頑固で融通が利かない自己中心的な人たち25人が、同じ病棟の中で、一台のテレビを、一部の新聞を、一台の洗濯機と乾燥機を、三つのトイレを、四つの洗面台を、一人しかいない夜勤の看護士の時間を、取り合うことになる。
退院する頃には、ちょっとくらい順番があとでも目的は果たせる、ということをイヤでも身につけることになって、今となっては有難い経験になった。
今朝は久しぶりにバタバタしたスタートになった。連日の大雨と低気圧で睡魔がハンパない。寝る前にシャワーを浴びて、朝のための白湯を準備する、というルーティンを昨夜はこなせなかった。
以前はたったそれだけのことで、一日が気分的に総崩れ、ということがよくあった。
ルーティン=習慣には目的があって、習慣そのものは手段だということを忘れがちになってしまう。
夜のうちにシャワーを浴びるのは、ゆっくり眠ってスッキリとした朝を迎えるため。起きて最初に白湯を飲むのは、代謝をあげることで冷えを解消して免疫力をあげるため。
早い時間からぐっすり眠ったから、朝はスッキリと元気にシャワーを浴びたし、今朝の一回、白湯を飲まなかったからといって免疫力が下がるわけでもない。
今の生活の中にある習慣の全ては、心穏やかに今日一日を過ごすためのもの。心穏やかに過ごすことが、確かな明日に繋がって、5年後、10年後の自分をより確かなものにする、と信じている。そう信じられるようになったことが回復でもある。
朝からずっと大雨で、緊張感のあるチャレンジもいくつかあった今日だったけれど、習慣の、その先にあるものを見据えることができたから、一日が終わろうとする今はとても心穏やか。充実した疲労感と、これまたハンパない睡魔に襲われている。
とてもとても良い夜。
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