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肩書き、ラーメンを注文する人。

今日、外出先で昼食にラーメンを食べることになった。
レジに並び、注文を済ませている時、ふと「今、この瞬間私は何者でもなんだな」と思った。

ただ、ラーメン屋さんのレジでラーメンを注文している人にすぎず、それ以上でもそれ以下でもない。肩書きラーメンを注文する人なわけで。

仕事へ行けば、何かしらの役職ついていたりするのだけど、それはやっぱり職場の中の役職であって。
定時で会社を出れば、たちまち「定時で会社を出た人」になるし、残業をして終電に乗れば「終電で帰ってる人」になる。

家に帰れば、お母さんだったり、お父さんだったり、その瞬間に肩書きをつければ、家族のためにご飯を作ってくれる人だったり、寝かしつけをしてくれる人だったりするし、日中は誰かの上司だったり、部下だったりもする。

レジに並びながら、「どうも私は部下です」と言ったところで、「そうでしたか、お会計1250円になります」と流されるのがオチだ。

そう思うと、何者かにならなければ価値がないとか、肩書きがなければ何者でもなく自分は意味がないとか、考えること事態が意味のないことなのだと思った。

この何者と、何者でもない私の溝をどう埋めればいいのか?どう自分を認めてもらおうか?と思った時に、相手の反応を気にせず「どうも、全部、私で、私は私です。」と言える力なのかなと。

以前、「何かを身につけていなければ」と随分悩んだ時期があり、得意なことも自分の強みもわからず「価値なし」と常に自分でレッテルを貼っていた時期があった。これは、周りから「君は何もない」と言われな時に落ち込まないための、ただの予防線だった。

ひとことで自分を語れる何か?がなければと焦り散らかし、あれやこれやと手を出してみたこともあったのだけど、ひとことで自分を言い表すこと自体がきっと不可能なのだろうと。

今だに、得意なことも自分の強みも全く見つからないけれど、「それも私です。」くらいに生きていけたら、息苦しさを感じることなく日常を生きていける気がする。

なんだか、行き場のない日記になりそうなのだけど、「今日は美味しいラーメンを食べた人」と最強に幸せな肩書きで1日を締めくくれそうです。

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