9月・10月に読んだ本

9月・10月は色々なことがあり慌ただしかった。仕事をひとつ増やしてみたり、展示をよく観に行ったりした。変わらず本をたくさん読みたい気持ちはあったけれど、冊数としてはすごく限られてしまった。それでも良書を読めたなとは思う。

言葉を離れる

7/17〜10/17まで開催していた「GENKYO 横尾忠則」を観たあと、物販コーナーで思わず買ってしまったエッセイ。直感で描くことが大切な絵画という芸術と、思考しそれを言葉に落とし込む文学という芸術。正反対の性質を持つ芸術の間を往復しながら、自身にとっての絵画の輪郭をはっきりさせていく。長い活動のなかで横尾忠則は小説も執筆し、泉鏡花文学賞を獲得している。その実績からもわかるように、横尾忠則は文学的センスにも溢れている。自身の思考を表現するのに適切な語彙を使うことができるし、言葉と言葉の組み合わせによって生まれるパラグラフの構成も上手い。手にとったのは純粋にあんな絵を描く人の頭のなかが気になったからだったけど、文章を読んでみて文学としての作品にも興味が湧いた。

何が食べたいの、日本人? 平成・令和食ブーム総ざらい

食生活史・食文化研究家として活動している阿古真理さんの著書2冊目。平成・令和で日本人の食文化がどんな変化をしてきたのかを簡潔にまとめた本。食を分析することで見えてくるブームの理由を時代の特徴を絡めながら解説しているので、非常に説得力がある。「Hanako」「dancyu」などのグルメ雑誌にも着目し、特集されてきたグルメについても振り返る。番組についても「料理の達人」や「夏子の酒」、現代では「孤独のグルメ」まで取り上げており、媒体から読み取れる食ブームについても分析する。

文化人類学の思考法

複数の文化人類学者が文化人類学の研究をする際に使用している思考法について分かりやすく解説した1冊。文化人類学の出発点は疑うことにある。現象をすぐに既存の論理に結びつけるのではなく、あらゆる方向から見て、考え、答えを見つけようとする。「当たり前の外側」に出ていくためには考え続けることが必要だ。そんな文化人類学の研究方法から日常的に使える思考法を抽出している。学問の扉を開くきっかけにもなりうる内容だった。

つけびの村  噂が5人を殺したのか?

平積みされているのを見かけるたびに気になってた本。実際に起こった山口連続殺人放火事件の調査ノンフィクション。わずか12人が暮らす限界集落で一夜にして5人が殺害された残忍な事件がなぜ発生してしまったのか、自ら村に足を運び、住人ひとりひとりと会話をし、村の歴史も遡りながらその原因を調査する。全体的に物足りないと感じる部分がありつつも、著者が本書を通して伝えたかった意図は十分に伝わった。

寒くなってきて

また少しずつ山に登るようになった。山は大抵郊外にあるものだから、始発電車に乗るために早起きするのが辛いけれど、1日が本格的に始まる前に起き出し、朝日が少しずつ昇る様子を車内から見るのは意外と悪くない。その日は東側の街全体がひとつの大きな影になっていて、建物の輪郭だけがはっきりと見えた。

音の記憶

人はどうやって音を記憶しているのだろうか。ピアノの生演奏が聴けるカフェに行ったとき、ピアニストの後ろ姿を見ながら気になった。例えば、すでに記憶されている好きな音楽は、私のなかで映像とセットになっている。なかには、匂いとセットで覚えている曲もある。聴覚は単体では実は機能していないのかもしれない。嗅覚も同じで、大体は映像とセットだ。あのとき嗅いだ匂いだとか、聴いた曲だとか、食べた味だとか五感は互いに絡み合って成立している。

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