生きてます
お久しぶりです。私です。
ここ最近全然更新してませんでした。
理由は主に2つあるのですが、(嘘かも、もっとあるかも)言い訳にしか聞こえないのでここでは省略します。
面白い内容のこと書こうとか、ネタになることしないとなんて当初は考えていたが、案の定それじゃ続かない。
リスタートという気持ちでやっていこうと思う。記事のクオリティ下がったらごめんよ。意識せずに面白い記事、構成ができる人になりたいものです。
「生きています」というタイトルから私の死生観の話をしようと思う。
死生観、あなたは考えたことがありますか。
なんかこういう風にいうと、怪しい宗教のように感じるが、そんなつもりではない。そもそも、宗教団体を自分で作って、信者を集めるほど器用な人間ではない(笑)
ただ、死の話をするにあたって、国によって考え方が違ったり、宗教によって考え方が違うから少しばかり宗教っぽくなってしまうことをご了承ください。
私は無宗教だと思っているが、日本で生活してきた故の死後の考え方(三途の川とか、火葬だとか)が少なからずあると思う。
前提が長かったが、やっと死生観を話していく。
私は今年22歳になるが(10月上旬誕生日です!祝ってください!!※急な宣伝)自分で言うにもなんだが、あまり年をとっていないが死生観があるのは、死について考える機会がよくあったからだと思う。
①中学の頃は思春期だったからか、それともそもそもしんどかったからか、死にたい気持ちでいっぱいだった。
学校にはきちんと行っていたが、美術室に通い、美術の先生に死にたい気持ちを聞いて貰っていた。(この時の話はまたしたい。この先生が私が出会った教師の中で1番素敵で、尊敬している。元気にしてるかな。)
丁度この時、昔流行った"完全自殺マニュアル"を読んだ覚えがある。もう大分忘れちゃったな。懐かしい。分かる人おるかな。
高校生になっても死にたい気持ちは続き、高校に行く時に毎回踏切を渡るのだが、一人の時は「下がった遮断機をくぐって、真ん中に寝そべったら簡単に死ねるかな」なんてよく考えた。
②今や、5年の付き合いになるフォロワーさんで自殺未遂を繰り返す人が居たこと。
詳しい内容は彼女のプライバシーに関わるため書かないが、色んな生き方があるから彼女の意志を尊重したいと、私は思ってる。
主にこの2つが私が死生観を持っている理由だと思う。
私の死生観は主にこの5つである
1.自分がいつ死ぬか分からないし、いつ死んでもいいように、日々を過ごす
2.私と関わってくれている人もいつ死ぬか分からない。だからこそ伝えたいことは常に伝える
3.時間は有限
4.自分が死んだ時に多くの人に今までの感謝と居ないことから悲しんでほしい
5.自分が死んでも、何かを残したい
である。
死にたかった時、闇雲に辛い、死にたい気持ちでいっぱいいっぱいになっていたが、いつ死んでもいいやと思うと途端に気が楽になった。(ここにたどり着くまで時間がかかった)
どうせ死ぬし、自分の好き勝手に生きようといった感じである。開き直った。
もちろん、法に触れてはいけないし、人様に大きな迷惑をかけてはいけないが、それ以外なら大体大丈夫といった考えである。
だから、私は生き急いでいるように見えるかもしれない。必死で泥臭く努力して暑苦しいみっともない人間かもしれない。
でも時間は有限で、いつ死ぬか分からないなら、私はこう生きる。
他の人にどう思われたって良いのだ。どうせ死ぬし。
ただ、前と変わったのは、自分が死んだ時に自分は残らないが、自分ではない何かを残したい。この世に私が居た証拠を残して死にたいと思った。
そのためには、それなりのことをしないといけない。
腹を括った。
今回のトップ画は、「なぜクレーンゲームのプライズをそれにした。そして変わり果てた姿」でした。
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