偽物の制服、18歳になってやっと履けるようになった膝上のスカート、で昼間の電車に乗ったら隣におじさんが座った。 制服着て手に入ったものがそれだけだ。どこにもあたしの青春がない。もっと鬱だったときはそんなことミリも考えられなかったけど、ちょっと気分がいいじかんにハッとして落ち込むよ。そんなことばっかり。青春時代を懐かしむ大人なんてキショいしつまんないし。17歳を、いちばん楽しい時期だなんて言わずに、辛いね、と言ってくれた大人がいる。ちゃんと年齢を重ねるにつれて自分の人生を生き
一緒に苦しんでください♪と思いながらブログを書いています、最低ですね。みんなはどうしてるんですか。ふつうはどのくらい孤独じゃないんですか? 引きこもりに近いような暮らしをしていたから、ずっとインターネットにしか存在していないような気がしていて、誰かと目をみて話すじぶんがあとから怖くなる毎日です。 同い年は受験生だけど、あたしは二回目の高校一年生をしてる。電車で中学の同級生を見かけたとき、うまく息ができなくなる。どうしてあたしはこうなったんだろう、あたしはただ見つからなかっ
眠りがあさいからたくさん夢をみる。 オリーブグレーの髪の毛を一つに束ねたその子とわたしは親友だった。わたしよりすこし背が低くて、目がくりくりしてる。夢の中でだけ会える友だち、名前もしらない。 パパにもママにもないしょでお泊まりをした。いっしょにお菓子屋さんに行ってクッキーをえらんだ!結局チョコがおいしいんだよねえって。 銀杏(アジカンだったかも)の知らない曲を聴きながらバスに乗る。夜だった、窓側がいいって言ったから譲った。お母さんとあんまりうまくいってないこと、教えてくれ
おなかがいたいよー
不登校になる直前の日記が出てきた。体育館の床とシューズが擦れるみたいに、きゅっと軋んだ。授業だるいと言いながら、教師の悪口を言いながら、本当に学校がつらいことは誰にも言えなかった。日記も英語のワークも中学3年生の5月で止まっている。 勉強が全くわからなくて、中学の英語のワークをもう一度開いた。悔しかった。なにも変われてないって、前に進めてないって言われてるみたいだった。ひとつ前のページにはあの頃のわたしの几帳面な文字が並んでる。悔しくて涙が出てくるよ。こんなはずじゃなかったも
志磨遼平もの子も高校中退してて、あたしは中学から不登校だった。あたしの壮大でちっぽけなほとんどないような思考は思想は、学校に行かないでみたから、の、ものだと思っていた。だけど学校に行きながらも同じ音楽を好きでいろーんなことを考えてわたしよりギターが上手くてわたしより顔立ちがととのった、17さいは、いくらでもいた。あたしは絶望的にやっていけなかった。学校に三度も行けなくなったしバイトも飛んだ。自殺しようと思ったけどロープすら結べずにオンオン泣いた。鼻水の量の方が多かった。ありえ
CDの帯にそう書いてあった。 ネクラポップというバンドがいた。らしい。わたしが中学一年生のときにインターネットの人に教えてもらった。そのときにはもうとっくに活動していなかった。ホームページの更新は2015年の8月20日のライブのお知らせで止まっている。bbsだけが、動いてる。 ネクラポップのCDはもう流通していない。彼らの音楽が聴けるのはニコニコ動画とAudioleafだけだった。わたしはそのためだけにニコニコ動画のアプリを入れて、何度でもネクラポップの文字を検索窓に打ち
すべてのことが、言うてる間に、ですよー!! 言うてる間に年の瀬だし、言うてる間に大好きな漫才師がM-1優勝しちゃってびっくりしてる。ちょっと待ってくれ。他人なのに実感がない、そんなことも世の中にはあるらしい。 朝起きて顔を洗うのにかなりの覚悟が必要な季節。すごく、苦手な季節。 生きれ、死になさんな、と心の中で唱えて、マフラーを巻いて、バイトに向かう。 ただわたしは、あなたと話がしてみたいだけ! 想像だけできっと素晴らしいから! 高校四年生までやることが確定した。もしか
今日はお母さんの誕生日だった。プレゼントを渡して、家族でうなぎを食べに行って、おばあちゃんにクリスマスプレゼントを買ってもらった。それでもわたしの心はずっとだめだった。 それはいけないことのような気がした。できるだけ笑顔でいた。わたしには辛さだけがあって、辛い理由がなかった。 さっきぷつんときれてしまった。 相談できる人が一人もいない。理由がない辛さを誰がわかってくれるんだろう。知ってるよ、わたしの置かれている環境が傍から見たらぜんぜん辛くないことなんて。 バイトをや
12/1(金) 駅に友だちが迎えに来てくれてて、ハグした! 友だちが作ってくれた夜ごはんはあったかかった。自分で収穫した野菜をぬか漬けにして食べさせてくれた。それから、重ね煮の煮具合は匂いで判断するんだって教えてくれた。 そのあとスーパー銭湯に行った。二年くらい振りにチャリ漕いだ。最初の五分くらいちょー怖かった。でもチャリって便利だね、無料だし。 裸でたくさん喋った。壺湯にぷかぷか浮かびながら。帰り道、ふたりで記憶だけを頼りに青葉市子のいきのこり●ぼくらを歌った。でたらめ
やっほー