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ギリシャ神話入門 知恵の女神アテーナー(アテナ)の名前の由来について

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女神アテーナー

アテーナー・パルテノス

 ギリシャ神話には多くの個性的な神々が登場する。
 その中にあって知恵と戦いの女神アテーナー(Ἀθηνᾶ)の活躍は特に多くの人に強い印象を与えているのではないだろうか。

 武装して戦場に向かう凛とした姿の乙女であり、数多くの英雄の冒険を支援した女神として知られ、その活躍は伝説の詩人ホメーロスの『イーリアス』や『オデュッセイア』を始めとする様々な神話譚で語られている。

 系譜的には最高神ゼウスの娘に当たる存在で、彼女の持つ「武具をまとった若き女神」というイメージはおそらく現代の創作にも大きな影響を与えたことだろう。

アテーナー・プロマコス (photo: George E. Koronaios)
プロマコス(Πρόμαχος)は「進み出て戦う者」の意
アテーナーの添え名のひとつとして知られる
by Leonidas Drosis (1836-1882), at the Academy of Athens

 その歴史時代の信仰の中心は文化都市アテーナイ(Ἀθῆναι)にあり、当地が古代ギリシャ文明の中枢としての声望を手にするに至り、その守護神である彼女の存在はさらなる光輝を放った。

 前5世紀に活躍したアテーナイの悲劇作家アイスキュロスの『オレステイア』の第3部『慈しみの女神たち』のクライマックスではアテーナーの活躍によって人間の復讐の連鎖が断ち切られ、地上に新たな法と調和が訪れる過程が克明に描き出されている(Aesch. Eum. 681-1034)。

 パルテノス(Παρθένος「乙女」)の異名を持つ彼女のために築かれた同地のパルテノーン神殿(Παρθενών「乙女の部屋」の意)は古代ギリシャ建築の最高峰として名高い。

アテーナイのアクロポリスのパルテノーン神殿 (写真AC)
中央の最も高い列柱神殿が該当
アテーナイ(アテネ)全域を見渡す聖域として有名

 しかしこのアテーナーはおそらく元々外来の神格で、その名前も外来語という解釈が有力である。
 ――そう聞いたら衝撃を受ける人も多いのではないだろうか。

 今回記すのはそうした女神の名前の話である。

 (関連記事: アトラースの名前の話デーメーテールとガイアの名前の話)

 アニマの部屋及びFANBOXでも解説が予定されているので、チャンネル登録と支援を頼めればこの上ない喜びである。

 (余談ながらアニマはこれから述べる人類の守護者プロメーテウスと正義の女神ディケーの娘であり、その想いを受け継ぐ魂の女神であり太古の神々の「神話の続き」を紡ぐ者――という存在、というのが私が今後書き記す予定のアニマ神話譚の概要である)。


ギリシャ神話の創世譚

 初心者のために「ギリシャ神話」という概念の多様性や原典資料の性質について語っておきたい。

 そのため最初に創世譚とアテーナー自身の誕生譚、そしてギリシャ神話全体のことを簡単に紹介しておこう。
 なお詩人ホメーロスやヘーシオドスの作品に代表される叙事詩のベースは古イオーニアー方言だが、ここでは神々の名前などは古典期のアテーナイで使われていたアッティカ方言形で挙げておく。

 前700年頃の詩人ヘーシオドスの叙事詩Θεογονία(テオゴニアー)『神々の系譜』(神統記)で語られる宇宙開闢の歴史によれば、アテーナーは神々の王ゼウス(Ζεύς)と知恵の女神メーティス(Μῆτις)の娘である(Hes. Th. 929)。

銀河 (PDM)
宇宙開闢のイメージ

 ヘーシオドスはゼウスが神々の王になるまでには三代に渡る王権交代があったと語る。
 そしてそれは平和な禅譲ではなく、祖父ウーラノスから父クロノスを経てゼウスに受け継がれた戦いの歴史であり、王となっても子に玉座を奪われるという呪いの予言の連鎖でもあった。

 原初の時代、天空の神ウーラノス(Οὐρανός)と大地の女神ガイア(Γαῖα)は夫婦となり、2人の間にはティーターン神族(Τιτᾶνες ティーターネス)という新世代の輝かしい神々が誕生した。

 しかしそれに続いて単眼巨人キュクロープス族(キュクローペス)や百腕巨人ヘカトンケイル族(ヘカトンケイレス)が生まれると、父ウーラノスはこの異形の子供たちを遠ざけ、母ガイアはそれに憤った。
 そこで知略と勇気を備えた子のクロノス(Κρόνος)は母ガイアに協力し、父ウーラノスを奇襲して新たな神々の王となった。

 補足としてティーターン(Τιτάν)、キュクロープス(Κύκλωψ)、ヘカトンケイル(Ἑκατόγχειρ)、そして後述のギガース(Γίγας)、オリュンピオス(Ὀλύμπιος)は単数形、対応するティーターネス(Τιτᾶνες)、キュクローペス(Κύκλωπες)、ヘカトンケイレス(Ἑκατόγχειρες)、ギガンテス(Γίγαντες)、オリュンピオイ(Ὀλύμπιοι)などは複数形である。

 クロノスは姉レアー(Ῥέα)と結ばれ多くの子が生まれたが、クロノスもまた我が子に王位を奪われることを予言されており、それを警戒して子供たち(炉の女神ヘスティアー、豊穣の女神デーメーテール、結婚の女神ヘーラー、冥府の神ハーデース、海の神ポセイドーン)を次々に飲み込んでいった。

 しかし密かに産み育てられていた末子ゼウスは母レアーの願いに応じて姉や兄を救い出し、父のクロノスと戦い、キュクロープス族やヘカトンケイル族を味方につけて打ち破った。
 ゼウス率いるオリュンポス神族とクロノス率いるティーターン神族の戦い「ティーターノマキアー」は天地を揺るがす大戦争だったといわれている。

 オリュンポスの神々(Ὀλύμπιοι)という表現はホメーロスの『イーリアス』などに(Hom. Il. 1. 399; 20. 47, etc.)、ティーターノマキアー(Τιτανομαχία)の名称は前1世紀のシケリアーのディオドーロスの『歴史叢書』(Diod. 1. 97)などに見られる。

 またヘーシオドスは全作品を通してゼウスを最も讃えているが、『神々の系譜』と並ぶ代表作のἜργα καὶ Ἡμέραι(エルガ・カイ・ヘーメライ)『仕事と日々』ではクロノスの治世を人類が幸福だった黄金時代として語っている一面もあり、その記述は複雑である(Hes. Er. 109-126, etc.)。


アテーナーの誕生

 ゼウスの正式な配偶者といえば姉のヘーラーが有名だが、彼は当初、いとこに当たるメーティスを伴侶としていた。
 彼女はオリュンポス神族に協力したゼウスの叔父オーケアノス(Ωκεανός)と叔母テーテュース(Τηθύς)の娘で、ゼウスの姉や兄の救出のために知恵を貸した恩人でもあった。

 だがゼウスもまた「メーティスからは最初に賢い娘が、次に王位を奪う強い息子が生まれる」という予言を祖父ウーラノス(天空の神)と祖母ガイア(大地の女神)から受けていたため、その連鎖を断ち切るためにメーティスを飲み込むことにした。

 しかしメーティスはすでに娘を宿し育てており、それを飲み込んだゼウスはやがて激しい頭痛に襲われる。
 そこで自身の額を斧で叩き割るように命じたところ、頭からはすでに武装した乙女の姿に成長していたアテーナーが現れた。

ウアス『ミネルワの誕生(c.1688, PDM)
ミネルワ(Minerva)はローマ神話の知恵の女神でギリシャ神話のアテーナーの事実上の別名としても扱われる

 こうしてゼウスはメーティス(叡智)を永遠の助言者として取り込み、またその次の子の誕生を回避したため、予言の連鎖をひとまずは断ち切った。

 これが『神々の系譜』で語られるアテーナー誕生の神話である。
 (こうした経緯もあってアイスキュロスの『慈しみの女神たち』のように「母というものがいない」とアテーナー自身が語っている作品もある)。
 果たしてメーティスが心から納得したのか、倫理や正義の面から一言添えたくなる気持ちもないではないが、ひとまずはおいておくことにしよう。


アテーナイの守護神

 ギリシャ人は女神アテーナーが都市国家アテーナイの守護神となった経緯も神話として伝えていた。

 後1~2世紀頃のアポッロドーロスの『ビブリオテーケー』(ギリシャ神話)によればアテーナーとポセイドーンはこの地の主権をめぐって争い、ポセイドーンは塩水の泉を、アテーナーはオリーブの木を生じさせ、人間の上半身と蛇の下半身を持つ伝説のアテーナイ王ケクロプス(Κέκροψ)の証言の後押しによってアテーナーの勝利と裁定されたという(Apol. Bibl. 3. 14. 1)。

ウアス『ミネルワとネプトゥーヌスの争い(1689, PDM)
このエピソードは数多くの文人が伝えている(細部は多少異なることもある)
ネプトゥーヌス(Neptūnus)はローマ神話の神でポセイドーンに相当する

 前1世紀の文人ヒュギーヌスがラテン語で記した『ファーブラエ』(神話集)によると、このときミネルワ(アテーナー)勝利の判定を受けたポセイドーン(ネプトゥーヌス)は怒りによって洪水を起こしたとされる(cf. Hyg. Fab. 164)。
 つまりこの伝説は太古のアテーナイ周辺で起きていた海の氾濫を(後に激情を解くまでの)ポセイドーンの怒りとする解釈譚でもあった。

 女神アテーナー(Ἀθηνᾶ)と都市国家アテーナイ(Ἀθῆναι)という名前のペアはそれ自体に両者の深い関係が感じられ、古代から多くの人の興味を引いてやまなかった。
 言語学的な分析については後述したい。


知恵と戦いの女神として

 そしてアテーナーが知恵や戦いを司る女神の乙女として活躍し英雄たちに力を与えたことは多くの詩人や劇作家が伝えている。

 前8世紀頃のホメーロスの『イーリアス』におけるアカイアー(ギリシャ)勢への助力や『オデュッセイア』で歌われる知恵の英雄オデュッセウスへの力添え、アポッロドーロスの『ビブリオテーケー』などで言及される多くの英雄の始祖ペルセウスへの協力、アイスキュロスの『オレステイア』三部作で語られる復讐者にして神話と歴史を繋ぐ使徒オレステースへの救援などが殊に有名である。

ポターニ『アテーナーとオデュッセウス(PDM)
アカイアー勢の英雄オデュッセウスのトロイアー戦争からの帰還の旅を描いた叙事詩『オデュッセイア』のイメージ画
アテーナーがオデュッセウスの故国イタケーを示し勇気づけている
アテーナーは多くの英雄を支援したが、とりわけオデュッセウスとの関係は深く特別だった

 またアテーナーはオリュンポスの神々と巨人ギガース族(Γίγαντες ギガンテス)の戦い「ギガントマキアー」(Γιγαντομαχία)にも出撃し活躍した(後述)。


ギリシャ神話について

 ギリシャ神話はギリシャの地(ヘッラス Ἑλλάς)を中心とした世界に住むギリシャ人(ヘッレーネス Ἕλληνες)が語り伝えてきた神話群である。
 オリュンポス神族を中心とする数多の神々や人々に彩られた物語群は今も昔も多くの人々を惹きつけてやまない。
 しかしその理解にはいくつかの注釈が必要となるので、あらかじめ簡単に述べておきたい。

 ここでは言語学を軸に考古学や歴史学の要素も加味して次の時代区分を使う(松本仁・岡・中務1991, pp.3-8, 21-23; 松本2014, pp.121-194も参照)。
 厳密にはミュケーナイ時代の始まりを含む古代ギリシャ文明の源流はもう少し遡る可能性もあるが、ここでは前1600年頃を一応の始期としておく。

古代ギリシャ文明の時代区分と各時代の主な記録方言

前1600年頃~前1200年頃(ミュケーナイ時代)
青銅器時代、線文字Bの成立
 ミュケーナイギリシャ語(前15世紀頃~前12世紀頃の粘土板など)

前1200年頃~前800年頃(初期鉄器時代)
ミュケーナイ文明後の謎めいた時代
 (資料不明)

前800年頃~前480年頃(アルカイック時代)
ギリシャ文字の成立、初期の叙事詩の最終形成、都市国家時代の幕開け
前古典期とも訳され、広義には古典期に含められる
 ホメーロスギリシャ語(前8世紀頃のホメーロスの叙事詩の言葉)
 古イオーニアー方言(前8世紀頃のヘーシオドスの叙事詩など)
 古アイオリス方言(前6世紀頃のサッポーやアルカイオスの抒情詩など)
 古ドーリス方言(前7世紀頃のアルクマーンの抒情詩など)

前480年頃~前340年頃(古典時代)
アッティカ文学の百花繚乱と豊富な地域碑文の時代
 アッティカ・イオーニアー方言群
 アルカディアー・キュプロス方言群
 アイオリス方言群
 ドーリス・北西方言群

前340年頃~前30年頃(ヘレニズム時代)
アレクサンドロス大王の帝国とアッティカ方言をベースにした共通語の誕生
ギリシャ語の変革の時代のひとつといわれる
前146年頃にはローマの覇権が及び、前27年頃にはローマで帝政が始まる
 コイネー(共通語)

前30年頃以降(ローマ時代)
ローマ帝国の中のギリシャ語圏の時代
 コイネー(共通語)

古代ギリシャ語には古くから多様な方言があり、例としてミュケーナイギリシャ語から古典期の4大方言群が分かれたというわけではない
ミュケーナイギリシャ語はアルカディアー・キュプロス方言群に近く、たとえばドーリス・北西方言群の祖先は当時から別に存在したと推定されている
前古典期の文学といえばイオーニアー方言によるものが有名だがドーリス方言やアイオリス方言の一部にも比較的早くから文学が存在していた
コイネーはアッティカ方言をベースにイオーニアー方言などの要素を取り込んで成立した共通語である


神話の多様性

 自然発生的な神話・宗教の常だが、ギリシャ神話には単一のまとまった聖典があるわけではなく、時代・地域・作者ごとに多様性が見られることも少なくない。

 ヘーシオドスの『神々の系譜』では神々の大半がウーラノスとガイアの子孫であると語られているが、ホメーロスは『イーリアス』で大洋の神オーケアノスと海の女神テーテュースが神々の始祖であることを伝えており(Hom. Il. 14. 201; 302)、ギリシャ神話の創世譚にはいくつかのバリエーションがあった可能性が高い。

 アイスキュロスの作として伝わる悲劇『縛られたプロメーテウス』では常に人類に味方し天界から火を盗み出して人間に与えた先見の明の神プロメーテウス(ゼウスのいとこ)がなおもゼウスの未来に関する予言的知識を持っていることが暗示されている(アイスキュロス1985; 松本仁・岡・中務1991, pp.104-106)。
 この劇の作者が有名な悲劇作家アイスキュロスと同一人物かどうかついては議論があるようだ(アイスキュロス1985, etc.)。

 時として(やや後の時代に)太陽の神ヘーリオスと予言と光明の神アポッローンが習合したことや月の女神セレーネーと狩猟と助産の女神アルテミスが同一視されたりしたこと、そして星の女神アストライアーが星の神アストライオスと暁の神エーオースの娘であるとも、(正義の女神ディケーの別名として)ゼウスと掟の女神テミスの娘ともいわれたりすることなども神話が好きな人の間では有名かもしれない(詳細は呉1994などを参照)。


神々の描写の変遷

 神々への認識にも少なからず時代の変化があったようで、初期の叙事詩では奔放な神格が民間信仰や少し後の悲劇では正義の守護者としての性格を強めていたりといったことも少なくない。

 たとえば前5世紀のソポクレースの悲劇『アンティゴネー』には主人公の姫君アンティゴネーが国家の敵と見なされた兄ポリュネイケースの亡骸を(埋葬禁止の勅令を破って)手厚く葬る話があるのだが、それを叔父のクレオーン王に咎められたときの台詞が印象的である(Soph. Ant. 450-452; 松本仁・岡・中務1991, pp.119-123)。
 間接的な言及だがゼウスが正義の守護者と見なされていたことが窺える。

アンティゴネー (PDM)
Antigone and the body of Polynices (Project Gutenberg)

οὐ γάρ τί μοι Ζεὺς ἦν ὁ κηρύξας τάδε,
その掟を決めたのはゼウス神ではありません

οὐδ᾽ ἡ ξύνοικος τῶν κάτω θεῶν Δίκη
また地下の神々と共にいる正義の女神ディケーも

τοιούσδ᾽ ἐν ἀνθρώποισιν ὥρισεν νόμους.
人間界にそのような法を定めてはいません

https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0185%3Acard%3D441

 民間信仰ではゼウスが「優しい, 慈悲深い」を意味するΜειλίχιος(メイリキオス)という形容詞を伴って祀られることがあったのも事実で、後2世紀の地理学者パウサニアースの『ギリシャ案内記』などにこの添え名への言及が見られる(Paus. 2. 20. 1; LSJ, "μειλίχιος")。

 アテーナーの活躍としては前述のアイスキュロスの『慈しみの女神たち』において新たな法の治める世界を宣言し、憎しみの連鎖を断ち切り世界に調和と安定をもたらす場面が有名である(Aesch. Eum. 681-1034; 松本仁・岡・中務1991, pp.107-111, 111-114)。

 無論、神々の描写の変遷の背景については正義や倫理の時代的変化なども考慮する必要があるだろう。
 古い時代に語られた描写についても同時代の信仰ではそれはそれで正義と考えられていた可能性は否定できない。

 超越的な存在としての役割や必然もあり、比較的後に普及した作品での描写も現代人にとっての正義や倫理と一致するとは限らない(古くからの伝承との連続性への意識からそうなっている部分もあるかもしれない)。

 しかしそのあたりは複雑な話になり、私の専門からもやや遠くなるので、今回は簡単な言及に留めよう(松本仁・岡・中務1991なども参照)。

 神々がどのような存在であったのか、そのあり方をどう評価すべきなのかについては古くから様々な解釈があったようで、前1世紀のローマの哲学者キケローの『神々の本性について』にはそうした知識人たちの説への言及が多数ある(Cic. N. D. 1. 25-42, etc.)。


ローマ神話との関係

 ローマ人はギリシャ神話のゼウス、ヘーラー、アテーナーなどをそれぞれローマ神話のユーピテル(Jūpiter)、ユーノー(Jūnō)、ミネルワ(Minerva)などと同一の存在として信仰した。
 そのため「ギリシャ神話の愛の女神アプロディーテー(Ἀφροδίτη)はローマ神話のウェヌス(Venus)に相当する」といった対応関係が多数生まれている(詳細は呉1994などを参照)。

 こうした習合現象は多神教世界にはよくある話だが、ギリシャとローマの神々の結びつきは特に深かった。
 特にゼウスとユーピテルなどは語源的にも役割的にも同一起源の神格と認められているため(Beekes 2010, pp.498-499)再合流ともいえるだろう。

 ギリシャ神話が「ギリシャ・ローマ神話」としてまとめて扱われることが多いのはそのためで、ローマ時代にもウェルギリウスの『アエネーイス』(前1世紀)やオウィディウスの『変身物語』(前1世紀)のようなローマ人による神話譚が多数描かれている。

 女神となった魂の少女プシューケーのエピソードのようにギリシャの文学作品には残らなかったエピソードがローマのアープレイウスの『黄金のロバ』(後2世紀)の挿話には残っている、といった事例も見逃せない。


資料の制約

描かれた場面とその外の世界

 次に残っている文献だけで神話のすべてがわかるわけではない。
 大々的には描かれていない要素や失われた作品も少なくないからである。

 たとえばホメーロスの『イーリアス』は神話に名高いトロイアー戦争を描いた叙事詩として有名だが、実はそのすべてが語られているわけではない。
 直接的に描かれるのは主として10年間続いた戦争の10年目の場面であり、しかもその途中までに限られる。

 関連作の『オデュッセイア』は終結後の話であり、この2つの叙事詩には戦争の発端となった「パリスの審判」(後述)や9年目までの戦いも「トロイアーの木馬」の策に始まる最後の戦いなどもリアルタイムでは出てこない。
 ごく短い回想的・間接的・関連的言及はあるため背景としての伝承は存在したと思われるが、本格的に扱われているわけではない。

 簡単にいえばギリシャ世界には「トロイアー戦争神話」全体の背景伝承が存在していたものの、ホメーロスの叙事詩という形で中心的に扱われているのはその終盤の一部と後日譚の一部に限られる、ということなのだろう。
 (イーリアスやオデュッセイアについては松本仁・岡・中務1991, pp.10-31などを参照)。

 究極的にはあらゆる物語に当てはまることかもしれないが、起きた出来事すべてが明確に作品化されているとは限らない。
 我々が現存の作品という形で手にできるのは神話全体の一部なのである(後述の「トロイアー叙事詩環」の解説も参照)。

 なお戦争で滅んだかは定かではないがトロイアー(イーリオス)の都自体は実在したようで(クライン2018)、太古の粘土板などからパリスのモデルになった人物がいたという仮説も提唱されているのだが、それについては別の機会に譲りたい。

イーリオス(トロイアー)文明の遺跡群 (photo: Adam Carr's mother)
往時の繁栄が偲ばれる
遺跡群は古い順に第1層から第9層に分類され、前2500年頃~前2300年頃の第2層や前1800年頃~前1300年頃の第6層が特に栄えていたらしい
第6層の破壊後に同じ住民が新たに建てたといわれる第7層(a)の終期(前1180年頃)はミュケーナイ文明の終期に近く、その関係も注目される
トロイアー戦争(のモデルになった戦い)があったとすればこの前1300年頃~1180年頃のことかもしれないが確実ではなく、あったとしてもそれで滅んだかは定かではない


口承の伝統と作者の問題

 また初期のギリシャの神話叙事詩は元々口承文学として語り継がれる伝統を持っていた(詳細はFowler 2004を参照; cf. 小川1984, pp.609-630; 松本仁・岡・中務1991, pp.3-31, etc.)。

 イーリアスやオデュッセイアもひとりの詩人がすべてを作り上げたのではなく、時に個々の詩人の独創も交えつつ伝言ゲームのように継承・変化して前8世紀頃に今の形にまとまったものといわれている(Fowler 2004; cf. 高津1979 pp.1-18, 小川1984, pp.609-630; 松本2014, pp.121-194, etc.)。

 その最終段階にホメーロスという1人の天才詩人がいた可能性はあるが、彼が実在したとしても、その作品のすべてが個人の独創ではないことだけは言語的にもほぼ確実である。
 今回詳細にまでは立ち入らないが、/w/音の有無の扱いの揺れ(高津1979, p.38)、母音融合箇所の特殊な二次的分離修正(高津1979, p.192)、定型句などから窺える異なる時代の言語層の共存(松本2014, pp.171-194)などが考慮されている。

 加えてイーリアスやオデュッセイアは各24巻あり、全体の長さはそれぞれ1万行を越えるが、通常そのすべてが一度に朗唱されたわけではなく、起源的にも個々の場面ごとに作られたものが後にまとめられたものともいわれている(松本仁・岡・中務1991, pp.3-31, etc.)。

 口承の世界で今とほぼ同じ姿になったのが前8世紀頃であるのに対し書物として編纂されたのはおそらく前6世紀以降のことといわれている(cf. 松平1956, pp.1032-1036; 松本・岡・中務1991, pp.25-26; マルティネ2003, p.85)。
 ホメーロスの叙事詩の研究は古代ギリシャの知識人の一大テーマだった。

 現行のイーリアスとオデュッセイアの関係自体も複雑で、共に「結婚の保護」というテーマを持つものの神々の立ち位置や背景思想に微妙な違いがある(オデュッセイアでの描写のほうが正義の守護者的)と解釈し、近い関係にある別人が語ったものと見なす説もある(松本仁・岡・中務1991, pp.10-26)。

 加えて古代にホメーロスの叙事詩と同じヘクサメトロスという韻律で書かれた『ホメーロス風讃歌』という神々や半神への讃歌も33種現存しており、それらも重要な神話資料なのだが、実際の作者は不明である。
 最も古いものでも前7世紀頃のものらしい。
 (詳細は松本仁・岡・中務1991, pp.45-52を参照)。

 また古典文学の多くは後に写本として何度も書き写されることで後世に伝わってきたものなので、その過程にも留意しなければならない。

 さらにいえば個々の文学作品の制作年代と神話伝説の新旧関係は必ずしも一致せず、たとえば前8世紀頃のホメーロスの叙事詩の内容よりも前5世紀頃のピンダロスの抒情詩の内容のほうが古風な伝承を反映しているケースもある――と推測する研究者も少なくない(逸見1994, p.105)。
 そうしたことも神話伝説と神話文学の関係の複雑さといえよう。


トロイアー戦争

 そして先にも少し触れたが、現代まで失われずに残った資料には限りがあるという事実も重要である。
 (神話に限らず「ソークラテース以前の哲学者」とも呼ばれるイオーニアー自然哲学者たちの著作などについても似たようなことがいえる)。

 ギリシャ神話の入門書を読むと少なくとも作品になったエピソードはすべて残っているのだろうという印象を受けるかもしれないが、実際には失われた文献も数多い。
 そうした話もいくつか紹介しておこう。

 最も有名なのはトロイアー戦争全体の話である。
 実は古代にはこの戦争の(前日譚や後日譚も含む)他の場面を扱った叙事詩群も存在したようで、時代順に

(1) Κύπρια『キュプリア』(キュプロス物語)
(2) Ἰλιάς『イーリアス』(イーリオス物語)
(3) Αἰθιοπίς『アイティオピス』(アイティオピアー物語)
(4) Ἰλιὰς μικρά『イーリアス・ミクラー』(小イーリアス)
(5) Ἰλίου πέρσις『イーリウー・ペルシス』(イーリオスの滅亡)
(6) Νόστοι『ノストイ』(帰国物語)
(7) Ὀδύσσεια『オデュッセイア』(オデュッセウス物語)
(8) Τηλεγόνεια『テーレゴネイア』(テーレゴノス物語)

 ――の8作品が知られていた(松本仁・岡・中務1991, pp.10-31)。

 この中でイーリアスとオデュッセイアを除く6作品を『叙事詩環』(Επικός Κύκλος, エピコス・キュクロス)という。
 ただしこの用語は8作品全体を指すこともあるため、ここではすべてを合わせてトロイアー叙事詩環(トロイアーサイクル)と呼んでおきたい。

 完成度は一般にイーリアスとオデュッセイアが群を抜いて高いとの評判だったようだが、他も往時はかなり人気の物語だったことが伝わっている。
 (前4世紀の哲学者アリストテレースは『詩学』1459a-bの中でキュプリアやイーリアス・ミクラーの存在に言及している)。

 だがイーリアスとオデュッセイア以外は大部分が失われ、わずかな断片と後にまとめられたあらすじ(おそらく後2世紀の人物といわれるプロクロスの『文学便覧』の後9世紀のポーティオスによる抜粋)しか残っていない。

 他の6作品の作者には諸説あるがそれぞれ別人(そしてホメーロスではない)という解釈が普通で、しかも一般的にはすべてイーリアスやオデュッセイアより新しい時代に作られたものといわれている。
 8作品全体がまとめて扱われるようになったのがいつからなのかにも議論があるようだ。

 ただ私の解釈だが、これらの諸作品とは別枠でトロイアー戦争の他の場面を扱ったさらに古い叙事詩類があった可能性も十分にあると思われる。
 少なくとも背景となる伝承・物語が古くからあったことは広く認められており(逸見1994, pp.137-145, etc.)、叙事詩などの形になっていたかどうかは簡単には判断しがたいものの、歴史的に知られた『アイティオピス』などに先行して『トロイアー戦争物語』及び『原アイティオピス』などの物語が存在していたと見なす"新分析派"の研究者も少なくない(ibid.)。

 ホメーロスの叙事詩における創世神話や他の場面への断片的言及もその根拠といえよう。
 当然歴史的に知られていたトロイアー叙事詩環の各作品と完全に同じ内容だったわけではないだろうが、それらが部分的にこれらの諸作品に反映されていた可能性自体は考えられるかもしれない。


パリスの審判

 トロイアー戦争の前日譚として有名な「パリスの審判」の場面は『キュプリア』に描かれていたといわれる(松本仁・岡・中務1991, pp.10-31)。

 このエピソードは神々が列席した英雄ペーレウス(Πηλεύς)と海の女神テティス(Θέτις)の結婚式に争いの女神エリス(Ἔρις)が現れたことに始まる。
 エリスが(καλλίστῃ「最も美しい女神に」と記して)黄金のリンゴを宴席に投げ込むと、ヘーラー、アテーナー、アプロディーテーはそれをめぐって対立し、ゼウスは戦争をもたらすための策略として羊飼いの青年パリス(Πάρις)に選択を任せた。

 そのため神々の女王ヘーラーは世界の王権を、戦いの女神アテーナーは戦いで勝利する術を、愛の女神アプロディーテーは最も美しい人間の女性からの愛を約束し、それぞれ自分を選ぶように裏工作を行ったが、パリスはアプロディーテーとの契約を選択し、数多の英雄が求婚した絶世の美女ヘレネー(Ἑλένη, 当時スパルター王メネラーオスの妻)からの愛を受けた。

 しかしパリスは実はトロイアー滅亡の予言を避けるために身分を隠され外界で育っていた王子であり、彼がヘレネーと共にトロイアーに帰還したことがトロイアー勢とアカイアー勢との全面戦争を招く――といった内容で、多くの芸術家がこの場面からインスピレーションを得た。

 なおエリスの行動についてはこの結婚式に呼ばれなかったことを恨んでの復讐という解釈が有名だが、プロクロスの梗概では現れたことが記されているのみで背景までは窺い知れない(逸見1994, p.112)。
 もちろん文脈からして排除さたことの報復という解釈も有力で、実際にそう明言されているパピューロス(パピルス)資料もあるようだが(cf. Oxy. 3829, 2, 9)、想像をたくましくするならゼウスの策略の実行を任されていたという分析も可能かもしれない。
 またキュプリアの元になった伝承は極めて古いがエリスなどの抽象概念の擬人化神の活躍部分を相対的に新しいと見なす説もある(ibid.)。

 ともあれアプロディーテーも偉大なる女神なだけにこうしたどう考えても確実に争いしか起きないような約束をしないでほしいものである。
 約束の内容はプロクロスの梗概では単に「ヘレネーとの結婚」と記述されているが、個人的には当事者の名誉のために、最初に最も美しい人間の女性からの愛を約束したら後でヘレネーが該当すると判定されてしまったものと思いたい。

 関連するイーリアスやオデュッセイアのテーマには「結婚の保護」があり、ペーレウスとテティスの子に当たるアカイアー最大の英雄アキッレウス(Ἀχιλλεύς)が参戦を決めたのも「ヘレネーをめぐって破壊された結婚関係の回復」という正義があったからこそであり、オデュッセウスの帰還とその妻ペーネロペーとの再会にもそうしたテーマが通底しているといわれる(松本仁・岡・中務1991, pp.10-31)。

 アキッレウスがアカイアー勢最大の英雄ならトロイアー勢最大の英雄はプリアモス王(Πρίαμος)の嫡子にしてパリスの兄のヘクトール(Ἕκτωρ)であり、ホメーロスは双方の活躍をイーリアスの戦闘の主軸としていた。

 なお『キュプリア』(Κύπρια)という題名の由来には諸説あり、作者として伝わるスタシーノス(Στασῖνος)がキュプロス島(Κύπρος)出身であることに由来しているともいう。
 しかし他の作品のタイトルがすべて展開と関係していることを考えるとそうした説には大いに疑問が残る。

 キュプロス島はアプロディーテー信仰の中心地として名高く、彼女自身にキュプリス(Κύπρις, キュプロスの女神)という呼び名があったことは古来有名な話である。
 私見だが女神の呼び名やこの地の神話伝説や出来事に由来している可能性のほうが高いだろう。

ルーベンス『パリスの審判(1636, PDM)
立ち姿の三女神は画面左からアテーナー、アプロディーテー、ヘーラー
左下の幼児はアプロディーテーの子ともいわれる愛の神エロース
黄金のリンゴを持つパリスの背後に立っているのは伝令の神ヘルメース

 キュプリアによればパリスの審判に始まるトロイアー戦争は神を敬わない人間に戦争という災厄を送り込み、増えすぎた人間を減らして大地を解放するためのゼウスの計画の一環だったとされる。

 人間を減らすための神の計略という発想は(送り込む災厄は異なるが)メソポタミアのアッカド語の叙事詩『アトラ・ハシス』(Atra-Hasis)と似ているといわれている。
 (この詩はオリエント圏に広く伝わる洪水神話資料のひとつでもある)。

 イーリアス最終盤(Hom. Il. 24. 25-30)にはこの審判に関する短い回想的言及がある。

ἔνθ᾽ ἄλλοις μὲν πᾶσιν ἑήνδανεν, οὐδέ ποθ᾽ Ἥρῃ
そしてそれ(神々に愛されたトロイアーの英雄ヘクトールの亡骸を伝令の神ヘルメースの手でアカイアー陣営から盗み出してもらうという発想)は他の全員(の神々)にとって喜ばしいことだったが、ヘーラー、

οὐδὲ Ποσειδάων᾽ οὐδὲ γλαυκώπιδι κούρῃ,
ポセイドーン、そしてきらめく目の少女(アテーナー)にとっては違っていた

ἀλλ᾽ ἔχον ὥς σφιν πρῶτον ἀπήχθετο Ἴλιος ἱρὴ
神聖なイーリオス(トロイアー)はこの三神に忌まれていたからだ

καὶ Πρίαμος καὶ λαὸς Ἀλεξάνδρου ἕνεκ᾽ ἄτης,
そしてプリアモス王も民衆も、アレクサンドロス(パリス)の過ちのために

ὃς νείκεσσε θεὰς ὅτε οἱ μέσσαυλον ἵκοντο,
それは彼が(イーデー山の)内庭において(ヘーラーやアテーナーといった)女神たちを蔑ろにし、

τὴν δ᾽ ᾔνησ᾽ ἥ οἱ πόρε μαχλοσύνην ἀλεγεινήν.
一方でその悲しい欲を叶えたあの女神(アプロディーテー)だけを讃えたときからのこと

http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0133%3Abook%3D24%3Acard%3D22

 一応、この箇所については古代から後世の追加という説があり、本来の作者の記述と認めるかどうかにかかわらず、イーリアスの作者はパリスの審判の話を把握していたものの作風的に(ほぼ)除外した――という解釈もある(cf. 逸見1994, p.150)。
 戦争を神々がもたらした天の裁きと見なす思想はキュプリア独自のものだったともいわれている(松本仁・岡・中務1991, pp.10-31)。

 しかしイーリアスの最序盤では多くの勇者の戦死について特別な前置きなしにΔιὸς δ᾽ ἐτελείετο βουλή「そしてゼウスの計画は成し遂げられていった」(Hom. Il. 1. 5)というナレーションが入っており、細部はさておきこうした計画や出来事が背景として想定されていたこと自体は確かなのだろう。

 なお女神アプロディーテーの子にしてトロイアー王家の分家に連なる英雄アイネイアース(Αἰνείας)は戦後も生き残ってイタリアに亡命したという伝説があり、後にローマ人によって遠祖として仰がれた。
 ラテン文学の最高傑作として名高い前1世紀のウェルギリウスの『アエネーイス』はその放浪の旅を描いたラテン語の叙事詩である。

 アポッローンの加護を受けたパリスが弓矢でアキッレウスを討つ場面は『アイティオピス』、トロイアーの木馬の建造は『イーリアス・ミクラー』に描かれていたようである。

 アイティオピスにはアマゾーン族(アマゾネス Ἀμαζόνες)の女王ペンテシレイア(Πενθεσίλεια)や暁の女神エーオース(Ἠώς)の息子にしてアキッレウスと互角の力を持つアイティオピアー王メムノーン(Μέμνων)がトロイアーの救援に参陣する場面が描かれている。
 このアキッレウスとメムノーンの対決は当然ホメーロスのイーリアスには出てこないが、古く重要なエピソードだったらしい(逸見1994, pp.118-126)。

 敵方のトロイアー勢に与える戦利品に偽装した木馬にアカイアー勢の兵を隠して城壁内に侵入する、という計略の発案者はオデュッセウスで、その建造にはアテーナーの指導があった。

 また後に成立したギリシャ悲劇の中にはトロイアー戦争やその後日譚の一部が描かれたものもある。

 たとえば前5世紀のアイスキュロスの『オレステイア』(の第2部『供養する女たち』)、ソポクレースの『エーレクトラー』、エウリーピデースの『エーレクトラー』ではそれぞれアカイアー勢の指導者アガメムノーンやその娘エーレクトラーや息子オレステースの話が描かれている。

 アイスキュロス、ソポクレース、エウリーピデースは古典期アテーナイの三大悲劇作家と呼ばれる巨匠たちであり、これらの作品は題材が共通する上にすべて現存しているため作風の対照分析にも活用されている。
 この場面はトロイアー叙事詩環では『ノストイ』(帰国物語)の一部だったという。

 ウェルギリウスの『アエネーイス』第2歌全体でもトロイアーの木馬の計略によるアカイアー勢侵入後の戦いの場面がトロイアー勢の生存者である主人公アイネイアース(アエネーアース)の回想の形で語られている。


テーバイ叙事詩環

 他にも古代には神話時代の(トロイアー戦争以前の)テーバイ攻防戦争を扱った『オイディポデイア』『テーバイス』『エピゴノイ』『アルクマイオーニス』といった叙事詩群(テーバイサイクル)なども存在していたようだがそれらも残っていない(cf. 松本仁・岡・中務1991, pp.26-27)。

 現存するソポクレースの『オイディプース』やアイスキュロスの『テーバイ攻めの七将』などはそれらの一部分を題材とした後世の悲劇である。
 ソポクレースの『オイディプース』は巧みな伏線回収と人間の心理描写で知られる作品でありギリシャ悲劇の最高傑作の呼び声も高い(cf. 松本仁・岡・中務1991, pp.124-126)。

 また歴史上知られていた『叙事詩環』をトロイアーサイクル、テーバイサイクル、そして次に挙げる『ティーターノマキアー』の総称とする記述や解釈もあるが(松本仁・岡・中務1991, pp.26-27)、今ではあまり一般的ではなく、それぞれ独立のシリーズと見なされることが多い。


ティーターノマキアー

 ギリシャ神話の創世譚といえば前述したオリュンポス神族とティーターン神族による神々の戦い「ティーターン戦争」が有名だが、実はヘーシオドスの『神々の系譜』での言及はごく簡素である。

 古くはこの戦いを本格的に描き出した叙事詩『ティーターノマキアー』(Τιτανομαχία)も存在したようで、作者としてはコリントスのエウメーロス(Εὔμελος ὁ Κορίνθιος)という名前が伝承されているが(West 2002, pp.109-133)、惜しまれることに本文は失われた。

 ホメーロスの叙事詩にもゼウスと敵対したクロノスやイーアペトス(ヘーシオドスによればクロノスの兄弟でプロメーテウスの父)がタルタロス(奈落)に投げ込まれた過去への言及があるので(Hom. Il. 8. 478-481)、ティーターノマキアー自体はよく知られた神話だったのだろう。

 前5世紀頃の詩人ピンダロスの『ピューティアー祝勝歌』などによればティーターン神族は後に解放されたようである(Pind. Pyth. 4. 289-291)。

ヨアヒム・ウテワール『ティーターノマキアー(1600, PDM)

 神々の戦いであるティーターノマキアー的な要素が印欧系神話に本来あったかどうかは定かではない。
 ただし北欧神話の『ヘイムスクリングラ』(Heimskringla)の一部や『新エッダ』(Edda)中の『詩語法』(Skáldskaparmál)などで部分的に言及されているアース神族とヴァン神族の戦いの過去などと比較するに、(ギリシャ神話の王権交代が外来要素だったとしてもそれとは別に)原初の神々の戦いが古くから伝承されていた可能性もあるのかもしれない(北欧神話のエピソードについてはネッケル・クーン・ホルツマルク・ヘルガソン1988などを参照)。


ギガントマキアー

 その後に起きたオリュンポス神族と大地の女神ガイアが差し向けた巨人族ギガンテス(Γίγαντες)の戦い「ギガントマキアー」(Γιγαντομαχία)も名前は有名だが、中心的に扱った作品は残らなかった。

 この出来事やその後に起きたガイアと奈落の神タルタロスの子に当たる怪獣テューポーン(Τυφῶν)との決戦についてはホメーロスもヘーシオドスも少なくとも直接的には何も語っていない。

 ただし前7世紀の抒情詩人アルクマーンの作品の断片などには神々のギガンテスに対する攻撃について触れた記述があり(断片1)、本来は失われた叙事詩『ギガントマキアー』が存在していた可能性もある。

 アテーナーを始めとするオリュンポスの主要な神々はこの戦いに参戦しており、彼女は半神の英雄ヘーラクレースにも参戦を呼びかけた。
 この出来事については後代のアポッロドーロスの『ビブリオテーケー』などにいくつかの言及があり(Apol. Bibl. 1. 6. 1-2)、直後にはテューポーンとの戦いにも触れられている(Apol. Bibl. 1. 6. 3)。

 ギガントマキアーという言葉は前5~前4世紀の哲学者プラトーンの『ソピステース』などに見られる(Plat. Soph. 246a, etc.)。


神話文学外の資料

 さらに前5世紀の歴史家ヘーロドトスや後1~2世紀頃の地理学者パウサニアースのような多くの文人が伝える各地の民間信仰や壺絵のような考古資料なども注目されており、その中には主流の神話文学には残っていない要素や必ずしも一致しない内容が見られることも少なくない。

 たとえば中には前述のギガントマキアーの一場面を描いた壺絵やレリーフなども現存している。

ギガントマキアーを描いたレリーフの一種(photo: G.dallorto)
女神アテーナーの活躍が描かれている
巨人族ギガンテス(Γίγαντες)――単数形ギガース(Γίγας)は人間のように描かれることもあれば蛇の足を持った姿で描かれることもあった
後2世紀頃、アナトリア南西の都市アプロディーシアス(Ἀφροδισιάς)より

 神話の全体像の復元はこうした図像資料による部分も大きい。
 主流の神話文学の内容も有力ではあるがそれぞれあり得た解釈の一種として位置づけるのが適切なのだろう。

 ともあれ現代にまで書物の形で残った作品が神話エピソード全体の一部でしかないことや神話自体にもバリエーションがあったことなどは意識しておくことが望ましい。


外来の神々とエピソード

文明の大河のほとりに

 しかし今回のテーマにも深く関わる話だが、さらに重要なのは古代ギリシャの神話や文化もまた外来の要素を数多く内包しているということである。

 古代ギリシャには西洋文明の源流というイメージがあり、確かにその役割の大きさ自体は認められるべきだろう。
 だが言語・神話・歴史の研究者の間では広く知られた事実として、ギリシャ文明もまた完全独立のオリジナルではなく、他の文明との相互影響の中で形作られていった存在なのである。


王権交代神話の起源

 たとえばヘーシオドスの語る王権交代のエピソードなどはオリエントの神話の影響で生まれたものという説が比較的有力とされる。
 特に前2000年紀のオリエントに見られるメソポタミア(のバビロニア)の創世神話『エヌマ・エリシュ』(アッカド語)やヒッタイトの『クマルビ神話』(ヒッタイト語)との類似性はよく指摘されるところである(松本仁・岡・中務1991, p.38)。


星座神話について

 他にも星座やその神話というと古代ギリシャのイメージが強いかもしれないが、黄道十二星座といった概念を含め、その要素の多くにメソポタミアの神話や文化からの影響が見られることは有名な話だろう(近藤2010, etc.)。

 メソポタミアの神話を代表するのはシュメール神話とその要素を取り込みながら体系化されていったバビロニア神話だが、天文学や星座神話の発展は特にバビロニア時代による部分が大きいようである。

 バビュローニアー(バビロニア)は古くから天文学や占星術が発展した地域であり、天体観測に関する技術や文化に多くの貢献を果たしたことで知られている(ibid.)。
 この文明はアッシュリアー(アッシリア)と共にアフロ・アジア語族セム語派のアッカド語圏に属し、シュメール語圏のシュメール文明から影響を受けつつも独自の文化を築き上げていった。

 たとえば射手座はギリシャ神話はケンタウロス族(ケンタウロイ)の賢者ケイローン(Χείρων)の姿として伝承されているが、その星座としての起源はメソポタミア神話の射手の神パビルサグ(Pabilsaĝ)にあることが明らかになってきている(ibid., p.49)。

 この名前はすでにシュメール語の楔形文字碑文に見られるが語源は不明で、時代を経て他の神格とも習合していったため属性の分析も容易ではないが、バビロニア時代の前12世紀頃の遺跡からはこのパビルサグが半人半獣の射手の姿で描かれた境界標石が発見されている(ibid., p.49)。
 またこのパビルサグには医術の女神ニニシナ(Ninisina)の伴侶という伝承があり、ギリシャのケイローンと同じく医療に関係している点も注目される。


神々の名前と言語学

 その上で最も注目すべきはギリシャ神話の中にも外来の神々や人間の登場人物が多数存在していることである。

 これは古代ギリシャ人自身の伝承――酒神ディオニューソス(Διόνυσος)の東方からの到来譚などによっても断片的に窺える話だが、神話学や歴史学だけでなく言語学的にも広く認められた事実に他ならない。


オリュンポス十二神

 特に主要なオリュンポス十二神、すなわち――

1. ゼウス(Ζεύς)
2. ポセイドーン(Ποσειδῶν)
3. ヘーラー(Ἥρα)
4. デーメーテール(Δημήτηρ)
5. ヘスティアー(Ἑστία)
6. アポッローン(Ἀπόλλων)
7. アレース(Ἄρης)
8. ヘーパイストス(Ἥφαιστος)
9. ヘルメース(Ἑρμῆς)
10. アテーナー(Ἀθηνᾶ)
11. アプロディーテー(Ἀφροδίτη)
12. アルテミス(Ἄρτεμις)

 ――の名前の大半は(印欧祖語から受け継がれたことが確実であるΖεύςのような一部の例を除いて)本来語としての解釈を拒み、その多くは外来語だったであろうといわれている(cf. 高津1979, p.2, etc.)。
 無論、近しい性質を持った複数の神格が習合するケースもあり得るため信仰史の分析には難しさもあるのだが、こうした名前から見ても外来の要素が大きかったというのが基本的な見方である。

オリュンポス十二神が描かれた大理石のレリーフ (PDM)
左から順に
ヘスティアー♀(王笏とランプ)
ヘルメース♂(有翼の帽子と杖)
アプロディーテー♀(ベール)
アレース♂(兜と槍)
デーメーテール♀(王笏と小麦の束)
ヘーパイストス♂(杖)
ヘーラー♀(王笏)
ポセイドーン♂(三叉槍)
アテーナー♀(フクロウとヘルメット)
ゼウス♂(雷霆と杖)
アルテミス♀(弓と矢筒)
アポッローン♂(竪琴)
前1世紀~後1世紀頃, アテーナイ出土, アメリカ・ウォルターズ美術館所蔵

 ギリシャ神話はこのように外来の神々を始めとする多彩な要素を取り入れ、バリエーションの幅を持ちながら形作られていった伝承の総体であり、神々の系譜やエピソードの多様性には外来要素の導入によってもたらされた部分も少なくない。
 十二神という概念の成立年代やメンバーの解釈の歴史もやや複雑なようである(Dowden 2010, p.43, etc.)。

 なお私は以前豊穣の女神デーメーテール(Δημήτηρ)や大地の女神ガイア(Γαῖα)の名前がおそらく古代バルカン諸語由来の外来語であるという解釈を語っているので、それについては過去の記事を参照してほしい。

 ギリシャ語到来以前のギリシャやその近隣地域にはいくつかの言語層があったようで、他の古い印欧諸語(東のアナトリア半島を中心に分布していたアナトリア語派のルウィ語やギリシャ圏に広がっていたといわれる内部系統未詳のペラズギア語など)の層に加え、さらに古い未解明の言語の層もあった可能性が高い(後述)。
 ギリシャの古い地名のうち本来語といえるものは1割程度に限られるともいわれる(cf. 松本2014, pp.257-310)。

 歴史時代にもギリシャ語圏の内外には様々な言語が分布していたことが知られており、たとえばアナトリア半島・リュキア地方の女神レートー(アポッローンとアルテミスの母)の神殿からはギリシャ語、リュキア語(印欧語族アナトリア語派の言語)、アラム語(アッカド語やフェニキア語と近縁なセム諸語のひとつ)の三言語併用碑文が発見されている(松本2014, pp.311-366)。

 古代ギリシャ語というと外来語が少なく本来語で大半をまかなっているイメージを抱くかもしれないが、実はそうした先史時代に接触した様々な言語から大量の外来語を受け入れているというのが定説である(高津1979, p.2; Beekes 2010, pp.xiii-xlii)。
 神名や神話上の人間の名前にもそうした例は珍しくない。

 今回の主題となるアテーナーもまた古くは先史時代の先住民族の間で信仰されていた女神だったようで(Burkert 1985, p.140, etc.)、その名前は先住言語から導入された外来語という説が有力である(Beekes 2010, pp.29, 167, etc.)。
 もっとも外来語といっても極めて長い時間を古代ギリシャの人々と共に歩んできた神名である。

 だがなぜそういうことがいえるのだろうか。
 単に語源不明であること以上にこうした極めて古い時代の語彙が外来語であることを裏づける手がかりはあるのだろうか。
 そしてアテーナーの信仰はどの時代まで遡れるのだろうか。

 今日はそうした女神の名前の話をしていきたい。
 無論、正体不明の言語から入った語彙なので、まだ完全な答えが確立されているわけではない。
 しかしそこには興味深い事実が数多く眠っている。

 今日はそうした話をしてみよう。
 ギリシャ神話の魅力が言語学の面からも伝われば幸いである。

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