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神話の謎を解く言葉 山の神アトラースの名前について(言語日記19/03)

世界には数多の神話があり、様々な物語に彩られているが、その中には"言葉"から生まれたと思われるエピソードがいくつかある。

今回は古代ギリシャの伝承を例にそんな神話と言葉の可能性を紹介したい。

具体的にはティーターノマキアーでゼウスと戦った巨神アトラースが元々どういう神であり、どうやって神話上のエピソードが生まれてきたのかを、語源研究や神話作家ごとの役割の解釈から考察しよう。


ティーターノマキアー

ギリシャ神話の最高神といえば天空と雷の男神ゼウスである。
しかし、古代人はその王権確立の前日譚を伝えている。
以下は主に前700年頃の詩人ヘーシオドスの『神統記』による。

始まりの時代、宇宙開闢より少し後、世界には天空の男神ウーラノスと大地の女神ガイアという夫婦がいた。
2人は多くの子(主にティーターン諸神)を成したが、ウーラノスは他に生まれた単眼巨人キュクロープス族や百腕巨人ヘカトンケイル族を嫌い、地の底に幽閉した。
反感を持ったガイアは武器を作らせ、子供にウーラノスの追い落としを使嗾した。多くの子は恐れて引き受けなかったが、知恵の働く末子・男神クロノスが名乗りを挙げ、策略によってウーラノスから王権を奪う。

そしてクロノスは神々の王となったが、「やがては(お前も同じように)自らの子に打ち倒される」という予言を警戒し、豊穣の女神レアーとの間に生まれた子供たちを次々と丸呑みにした。
レアーはその行いに反発し、誕生した末子ゼウスを石とすり替え、クレーター島で密かに育てさせた。

成長した若年のゼウスは一計を案じて飲み込まれた兄弟姉妹の救出に成功し、クロノスに世代交代をかけた戦いを挑む。
ゼウス率いるオリュンポス神族とその父・クロノス率いるティーターン神族の全面戦争、ティーターノマキアー(ティーターン戦争)の開幕である。

戦いは10年にも及んだが、最終的には紆余曲折を経て(ヘカトンケイル族やキュクロープス族たちを解放し味方につけるなどして)オリュンポス神族が勝利し、それによってゼウスは王位を継いだとされる。

その後もいくつかの作品にこの戦いの記述がある(前1世紀頃のローマのヒュギーヌスの作と伝わる『神話集』など。出典ごとに若干内容が違う)。
なおティーターノマキア終結後の戦いについては今回は省略する。

なお、余談ながらギリシャ神話にはバリエーションがあり、古代に最も讃えられた詩人ホメーロスの叙事詩『イーリアス』では大洋の男神オーケアノスと海の女神テーテュースが神々の祖として扱われている(神統記ではこの二神はウーラノスとガイアの子として言及される)。ヘーシオドスとは近い時代の詩人だが、ホメーロスの叙事詩のほうがやや成立が古いといわれる。

またギリシャ語には多数の方言があるが、この記事群の固有名詞は基本的に広く知られたアッティカ方言形を参照している。Τιτάν「ティーターン族」もアッティカ方言の単数形で、複数形はΤιτᾶνες(ティーターネス)という。神統記はイオーニアー方言で書かれ、この種族名も方言複数形Τιτῆνες(ティーテーネス)として登場する。


強き腕と果敢な心

このときティーターン側にはアトラースという強大な神がいた。
クロノスの兄・イーアペトスの息子(つまりクロノスの甥、ゼウスの従兄弟)に当たり、並外れた巨躯や怪力や勇敢さで名高い。
しかしそのため戦後は世界の果てで天空を支える役目を負わされたという。

(神統記のティーターン戦争の場面には個々の神名がほとんど出てこないのでアトラースが激しく戦ったことが直接描写されているわけではないが、腕力と勇敢さ、ゼウスの命令は別の箇所に言及がある。兄弟のメノイティオスがゼウスの雷で打ち払われた記述もある。なお確認した限りΤιτανομαχία「ティーターノマキアー」という名称自体はこの詩には出てこない)。


巨神アトラース

このἌτλας「アトラース」の存在は極めて興味深い。
というのも、この名は一説に印欧祖語の*telh₂-「運ぶ,支える,もたらす」から来ているといわれるが、その意味が逸話と密接に関係しているように思われるからである(別語源説もあるが後で触れる)。

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