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自分にとって価値のある時間「ラ・ジュテ」

今回も映画の話です。
ラ・ジュテを見ました。
約30分の短編映画です。
とっても面白くて、とっても内容が濃かったです。
以下、感想です。


人間の過去とは、記憶

人間にとって「過去」と「記憶」とは同意語であり、それらは脳内世界で存在していのだと思います。
そして、過去を思い出すときや、記憶を呼び起こすとき、一般的にそれらは停止しているような映像、すなわち写真のような画像であると思います。
この映画で大多数を占める写真とは、それは男の記憶自体。
ここで興味深く、意味深な点は、過去のみならず、現在や未来の世界も写真的映像=「記憶」として表現している事でしょう。逆に、女性が連続映像で一瞬表現される意味とは、彼にとって「生きている世界」、すなわち、「生きている実感を得ることができる世界」なのかもしれません。


経験した未来とは、過去

未来を見てしまった男にとって、その世界は経験済みの事象、すなわち、記憶となってしまう。 未来すら過去の記憶となってしまう。

人生を2度送ると人は壊れる。

人生とは、1度きりである。過去をもう一度経験する、すなわ、人生を2回送るということは、ありえません。
また、人生における記憶とは、少なからず絶対的に自己の存在根拠であって、 過去が自己証明になります。
しかし、もし、万が一にも、人生をもう一度繰り返す、すなわち、記憶の世界をもう一度生きてしまうと、その人にとっての過去は、生きている今、「現在」となってしまい、過去という存在が無くなって しまう。
しかも、脳内世界である「過去」へ戻るという行為とは、やっぱり脳内世界での行為であり、結局は、自分が「戻った過去の世界」をどう認識するか、ということ。ましてや、自己の物理的な身体が本当に過去へ行っているのかなど、知る術もない。さらに更に、未来も往復できるようになってしまうと、未来すら現在となってしまい、その人にとってすべての時間軸が消えてしまうこととなる。

男にとっての現実=価値ある時間とは、戻った過去の世界


彼は、過去の世界で射殺されました。
でも、過去の世界で射殺されるとは、どういうこと?映画の中では、どうも男の肉体は、過去へタイムスリップしていないようです。過去へのタイムスリップ、それは、きっと脳内世界での出来事。そもそも、「過去の世界へタイムスリップして、 女性と出会う」という彼にとっての現実は、 脳内世界でのことかもしれない。男が現在の世界だと思っている「過去へのタイムスリップを実験している現在」は、 実は、現実でないかもしれないし、そもそも現在の話でもないかもしれないし、その必然性すらないのかもしれない。なぜなら、男が望んでいる世界は、記憶の中の女性がいた過去の世界であり、その世界が彼にとっての価値ある世界であるからです。


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