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ロードスター *ノンフィクション

乗るなら何がいいですかと聞くと、「俺はロードスターだね」と返ってきた。

熱いアスファルトの上に這う四輪、厚い鉄鋼のボディを震わせるエンジンの振動、力強さに似合わず丸く優しいフェイスラインで、風を切って走るオープンカーをイメージする。

先輩は若くして単身駐在していたが、本社に帰ってきて、隣の島で女上司と仲良く働いていた。

体つきががっちりしていて、野生的な顔立ち。肩周りが隆々としていて、ぎっちりと筋肉の詰まった腕が、まくったシャツから覗いている。日差しに焼かれた肌が明るいブルーのユニクロシャツと良いコントラストだ。独り身の男は現地でやることがないらしく、連日ゴルフで鍛えていたという。

こんな見た目で、中身はおちゃらけだ。午後になると、ジャケットからグミやらチョコやらを取り出して、業務中に堂々と貪り食う。最初は小言を言っていた女上司も、最近は諦めて一緒に3時のおやつをきめるルーティーンだ。ちっちゃな事務机で何にもならない雑談をしながら甘味を頬張る姿は、無害な熊さんのようでおかしかった。

私は暇を持て余していた。会社とスーパーと寮を往復したら終わりの田舎生活。同世代の友達もほとんどおらず、同期も少ない。同じ話をし尽くして、週末は会う気にもならない。

先輩はそんなうだつの上がらない日常を彩る、ちょっとした面白要素だった。休憩がてらパソコン画面から目をそらすと、意味もなく視線が合う。ゴミ回収の時間に話しかけると、にやにやしながらダミ声で適当に返事をしてくれる。人畜無害であっけらかんとした態度に似合わず、捕まったら絶対に逃げられないだろう荒々しい体躯。会社では清楚で弱気な箱入り娘を演じていたので、よもや変な妄想をしているとは誰も思うまい。

先輩たちの小さな飲み会に呼ばれた。先輩は原付で現れた。たわいもない話で盛り上がった後、電灯もまばらな夜道を安っぽいマシンを押してとぼとぼ帰る姿がいじらしくて、思わず、わたし車なら持ってますよ、スーパーの買い出しにしか使ってませんが。暇なので打ちっぱなしでも行きましょうよ、と声をかけた。

それから彼は休日の暇つぶし仲間になった。私が男子寮まで迎えに行って、10年前製造のボロボロな小型のハッチバックにゴルフバックを並べて、運転席を交代。近場の打ちっぱなし場の駐車場まで運転させる。会社の人間がに見つかるまいと警戒するそぶりを見せたが、本当はどうでもよく、シチュエーションを盛り上げるスパイスでしかなかった。

全くのド素人のため、先輩は腰や肩を掴んで動きを教えてくれた。肩甲骨が見えるくらい思い切り上半身を捻る。力を抜いて、遠心力に任せで道具を振る。一生懸命身を振っていると、だんだん汗でシャツが湿り、内側に熱がこもってくる。真剣に、かつ不真面目に取り組んだ。ちょっと疲れたらすぐベンチに座って、きれいな弧を描くクラブの先をぼんやり眺めた。5月の柔らかな日差しと風が気持ちよくて、それだけでよかった。

ゴルフの後は買い物が定番だった。夕食の買い出しや裾上げしたスーツの受け取り、ワイシャツの買い足し。初めて、襟をボタンで留められるシャツを「ボタンダウンシャツ」というのだと知り、この有無を働く男はこだわるものだと聞かされた。どうでもよく思えたが、ユニクロのメンズコーナーで一緒に探してあげた。恋人を通り越して妻だ。

信号の待ち合わせでふと聞いてみた。「そろそろ車買いましょうよ。値段を考えずに、乗るなら何がいいですか?」「ロードスターだね、あのパワーが俺って感じ」大した自信ですねと鼻で笑ったものの、内心よくお似合いだと思った。比較的廉価ながら絶大なパワーとダイレクトな乗り心地で有名なスポーツカー。足が硬く、ハンドリングに素直に敏感に反応してくれるという。ももの裏を細かく震わせる高馬力の心臓。アクセルを踏み込むと床の底から唸り声をあげる。ルーフを取り払って全身を熱風に晒せたら、小麦色の革シートに肌をそわせて、彼に操つられるままにしたら、どんなに気持ちがいいだろう。フロントガラスの向こうのアスファルトが、容赦ない日差しに晒されて揺れていた。

これだけ所帯じみたことをしておきながら、結局、帰るのはそれぞれの寮だった。男子寮に着くと、運転席に移動して、また明日、とだけ告げてあっさり帰路につく。わたし、なんとも思ってないんです、というふりが得意だった。ただのゴルフを教えてくれる面白い先輩と、アッシーの後輩。

夏が来て、転職活動に精を出しているうちに秋が過ぎ、冬に引っ越した。

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