見出し画像

とうもろこしの粒ひとつが私たち

◇ Ctrl+Fを繰り返すように探し続ける日々

DXと言われても、手作業は残る
データレイクそのものをつくるために
めいめいが好き勝手に入力したものを
丁寧に丁寧にクレンジングをして
はじめて自動化に至る

最初からルールを決めておけばこんなことには
ならかったのにね
めいめいにクセがあって、傾向があって、
それなのに、それが寄り集まるとまったく揃わない

こういうのって人間のあらゆるところに通じる
と思う

「HSPは」「女は」「男は」
「ネットは」「noteは」……
と、何だかとっても大きなレイヤーで括られて
「こういうものだ」「信じない方が良い」
「こんな傾向だ」と、何だかとっても粗い
メッシュで断じられる
(言ってるご本人はそのカテゴライズや
バイアスの網にかけられていないのかしらとも
思う)

その反面、誰かに比べられたり、ひと括りに
されないように「私という個性」「私にしか
書けないもの」「アイデンティティ」
に対して一格言どころかこだわりを持つのだから
どういうロジックなのかしらと訝しくなる

気持ちは分からないでもないの
誰かと違う自分でありたいし、自分の可能性を
諦めないことは自分比だけでなく、他人比で
優劣がつけがちだから

それに、何かを見て体系立てて分かった気持ちに
なることは自分自身が賢くなった気持ちになって
嬉しくもなると思う
実際マーケティングや経営でデータ分析をして、
視点を見つけられるととっても嬉しい
小さい頃に見つけた近道は自分だけしか知らない
ひみつって思った時と似ているもの

それに加えて、評論や意見をしたならば、
高揚は増すもの
分からないことだらけのせかいのなかで
何かが分かるとすごく景色が広がった気持ちになる

けれど、
せかいは相変わらず分からないことだらけだよ
誰かと同じでいたいと思う気持ちと
誰かとは違うと信じたい気持ちはきっと
これからもずっと大きくなったり、小さくなったり
するのだろうなあと思う

◇ Ctrl+Hを望まない

だから、「ほんとう」とは違うのに
Ctrl+Hで一方的に置換されたり、括られて
決めつけられることは望まないよ、私は
(全員とは言わないまでも相当数いらっしゃる
はずなのに、どうしてそういうことを繰り返す
人が減らないのだろう)
(でも、それも人の感情や思考のなかで本能的な
ものなのかもしれないね)

どんなにか手間がかかっても、
ひとつひとつのことを
丁寧にクレンジングして、Ctrl+Fで検索する
みたいに人とモノとそれらがつくる出来事を
探していきたいなと思った

とっても地味で大変な仕事の合間にふと思ったこと


たんなるにっき(その95)


よろしければサポートをお願いします。自費出版(紙の本)の費用に充てたいと思います