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紙の舟 ep.13

翌日の夕方、江が出勤するのを待って昨日のことを訊いてみた。
「ごめんなさい。いけなかった。」返事は簡単だった。
「約束は守ってくれよ。特に日本では、約束はお互いの信用にかかわるからな。先生には僕から謝っておいたが、もし江が本当に大学院に行きたくて面接を受けるというのなら、今度の木曜日に大学で面接してくれると言ってもらった。行けるか。」
文系と理系の違いはあるが、先生は名も知れている方なので、様々な専門の教授には紹介もしてもらえるという事は伝えてある。後は本人の意思次第だ。
「分かった。行くよ。」江が答える。
江の意志を確認し、その夜僕は先生に電話をした。
受話器を置いて、ふと不安がよぎった。又来なかったらどうしよう。そうなると僕自身の信用にもかかわる。
そんな時、江との言葉を思い出した。僕の言った下心という言葉を暗唱していた時、江の表情が一瞬変わったように感じたのだが、ひょっとして江は僕の親切を下心と勘違いしているのではないか、そう思えてきた。
弁解しても意味がない。清廉潔白に行動するしかない。そのためにも木曜日には無事大学に行けるようにしよう。
水曜日の夜、江にダメ押しの確認をした。
その夜、皆が帰り集金も終わり釘打ちをしてホールの電気を消す。
帰り際のカウンターの縁で、奥にある紙の舟を覗いた。暗闇の中で白く浮かんでいた。
紙の舟に荒波が来ないようにと心で祈って店を後にした。
次の日、待ち合わせは最寄りの川口駅にした。
僕は心配だったので、見晴らしの良い駅の外で待っていた。空は晴れ渡たり、暑い日差しが肌に痛かった。江は約束の時間に現れた。
早速電車に乗り込み、都立大学の駅までは渋谷で乗り換えをして一時間程で着いた。
電車の中では、時間はあったのだが江とはあまり話はしなかった。約束通り来たことで安心したのか、それで目的を果たしてしまった虚脱感があったのだ。ただ、日本の学校という事で、むしろ江の方が緊張しているようで色々問いかけてきた。
挨拶の仕方と、自分はどういう研究、目的があるのか、将来どうしたいのかははっきり言えるようにと、若干の訓練を狭い電車の中でした。
学校に着き、暫く歩いて校門に入った。
広い校庭を横切る僕たちに、秋の日差しはより強く感じ、眩しかった。
途中では、歩いている学生に聞きながら小沢先生が指示したゼミの教室を目指し、ノックして中に入った。
小沢先生は丸く輪に揃えた机の一つに座り、その周りを普段着の学生たちが取り囲み、議論をしていた。大学院の学生のゼミだった。
一人の学生が持ってきてくれた椅子に、江と二人で座った。
見渡すと、二十代、三十代の男女と、中には乳母車を横に置いた女性が座っている。
ひとつのテーマが終わったようで、先生は僕たちを紹介してから、秋の大学祭の話を始めた。
「昨年の大学祭では好評だったので、昨年同様キムチを漬けて出したらどうだろうか。別に案があるなら提案してください。」
小沢先生のゼミは先生も一緒になり、大学祭では色々なことをやるようだ。
「キムチは美味しかったし、今年もやりましょうよ。」と青年が話しかける。
見ると福島さんだった。傍に福島さんの手のひらに指文字を打つ女性がいた。
通訳の補助人を除くと、目の不中な人が普通に会話に参加しているとしか見えない。
障害を持つ人も、皆の協力で普通に社会参加している。周りの雰囲気も和やかだ。
その場は、小沢先生の持つ雰囲気そのものだ。素晴らしいゼミ運営だと感じた。
今年の大学祭にキムチづくりで参加することが決まり、五分ほどお茶を飲む時間があり、程なくゼミが再開された。
「それでは、ここに日本の教育基本法があるが、皆の国の教育基本法を説明してもらえないか。まず金さんからお願いします。」
小沢先生が指名したのは中国の女子学生だった。
中国の教育の基本法を日本語で説明した後、現状と問題点をピックアップした。
大学院だけあって、専門的で要点をまとめて分かりやすい説明だった。
小沢先生は日本との比較を交えて若干の説明を加えていた。
「次に、じゃあ、李さん説明してください。」
次に話し出したのは韓国から来ている女子学生だった。傍の乳母車に子供の頭が見えた。
子供を連れてゼミに参加しているのだ。
李さんも韓国の教育基本法の歴史と精神を説明しだした。
暫く話をしていると、子供がぐずりだした。
すると突然江が立ち上がった。
「おかしいよ、学校の授業に子供を連れてくるの、おかしいよ。」
大きな声で怒鳴るように言葉を吐くと、いきなりドアを開け、外に飛び出してしまった。
驚いたのは僕だけでない、皆も何が起こったのか理解できていないようだ。
僕は、何か説明なり釈明しなければならないのだが、子供がいただけで怒り出す江の気持ちも測りかねていた。中国では子供を同伴させるのは教育の場にはそぐわないのだろうか。
僕も混乱していたが、右も左も分からない江のことも心配になっていた。
まず小沢先生に謝った。先生は「あの子、校舎の中では右も左も分からないだろう。行ってあげて。」と言ってくれた。
僕はみんなに一礼して急いで校舎を出て校門に向かった。
暑い日差しの中に、校門に向かって歩いている江が見えた。僕は走って追いつく。汗が額から吹き出すように落ちてくる。ハンカチでふき取る。
江は僕を見るなり「おかしいよ。学校は勉強する場所よ。保育所じゃないよ。」しきりにおかしいを繰り返している。
「おかしいなら、なぜ連れてきたのかを聞くべきだ。先生が許可したから連れて来たのだろうし、それが先生の方針でもあれば、まず先生に聞くべきで、君が怒って飛びだすことの方がおかしいよ。」
僕の話に、江はそれでもおかしいを言い続けていた。
ゼミに引き返す気持ちも無いようなので、一人で返すわけにもいかず、僕はそのまま江と帰ることになった。帰りの車中では二人とも無言だった。江を慰める言葉も見当たらず、江も疲れたのか目をつぶっていた。
その夜、僕は小沢先生に電話を入れ、先生の好意に感謝して、至らなかった僕の非礼を侘びた。先生には謝り続ける事ばかりだった。
そして、この日一日は何にも増して暑い一日だった。

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