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「世界はない」を言葉から考える

これから身辺雑居や書評的なものを乱雑に書き連ねていくが、まずは「世界はない」ってよく哲学で言われる論説というか主張について、自分なりに考えてみたい。

記憶に新しいのが、マルクス・ガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか」。これは僕も読んだけど、内容はよく覚えていない。これから書くことは、ガブリエルの意見も入っている気もするけど、本当によく覚えていない。

僕がこれから書く「世界はない」っていう話は、記号論が好きなのでそのエッセンスが多分に含まれていると思うが、どの主義やどの学問に依拠してそして、古臭いのか新しいのかも分からない。というか興味がない。

批判は大歓迎だ。だけど、僕が普通に生きていて、普通に本を読んで考えた自分なりの解釈だから、なんというか学問的という非実践的な眼で読むのは、やめてほしい。

世界とは何だろう?

まず、世界とは何だろう。世界を定義しないことには、もちろん「世界はない」なんていえない。僕が考える世界は、たぶん結構一般的で、「すべて」だ。人が認識できるあらゆるものを包括した概念ということだ。

普通に考えて、じゃあ「世界がない」となると、あなたも私もないし、僕が今見ているカフェの設え、景色も存在しないということになる。だが、「私が見ている世界はある」。これは絶対だ。

しかし、それでは、私と隣にいる誰かが見ている世界は本当に全く同じと言えるのだろうか?

全員同じ赤をイメージするのか

話を迂回する。

誰かが赤い服を着ていたとする。文明的な世界を生き、目の見える誰もが「この服の色は赤色」って答えるだろう。じゃあ、目の見えない人、つまり赤色を見たことがない人にこの問いをしたら、何色と答えるのだろうか?

たぶん赤色とは答えられない。なぜなら、赤色を見る体験をしたことがないからだ。赤は赤色以外の言葉で説明は絶対にできない。血の色、舌の色とか、例として赤色を説明できるが、それ以外で赤色を説明することはできない。

そもそも、赤色って言われて全員が「まったく同じ赤色」を思い浮かべるだろうか。それは絶対に不可能だ。REDの色コードは「#ff0000」。全員が#ff0000を思い浮かべるのは、絶対に不可能だ。

そもそも#ff0000を経験したことがない人もたくさんいる。それに、クジラの血を赤色とする人もいれば、自分の民族が良く使うベニバナを染料とした化粧の色をイメージする人もいる。そもそも#ff0000ですら、人間にとっては、同じ赤色と認識すらできない。

PCの「明るさ」が違えば、デスクトップ上の#ff0000は異なるからだ。そもそも色盲の人は赤色と緑色との区別がつかないことだってありえる。

言葉は物事をめちゃくちゃざっくり定義する

何を言いたいのかというと、色で考えればわかりやすいが、物事という無限のグラデーションを言葉でざっくり定義するのが、言葉だ。これは色以外でも、程度の差こそあれ言葉だったらなんでもいえる。

歩くと走るの境界は? 急げってどれくらいのスピード? 「死ね」も関係性によっては冗談になる。

概念的な言葉になるともっとあいまいだ。愛って何? 差別とは? 脳死は死? 私とは? 私を私以外の言葉で表せる人はなかなかいない。

つまりここで言いたいのは、「言葉で規定した認識」は本当にびっくりするくらいざっくりしたものであるということだ。しかも、それは、私とそれ以外の人たちが同じように見えている・体験しているという勝手に解釈して便宜的に使っているだけだ。

「みんな同じように見ているよね」

みんなが普通に暮らしていくためには、「みんな同じように見ているよね」と思いながら、世界を人間の価値観とかに当てはめて、言葉で区切っていくほかない。

一つ一つの言葉の意味を確かめて、これみんな同じように思っているよね? もしかしたら違うのかな? そもそも僕の世界ってみんなと同じなの? 気が滅入るというか考えるだけでも鬱々としてくる。

世界は僕が見ているように、みんなも見ているよね? そういう前提で共通認識の道具として、言葉を使うね。証明はできないけど」。いまのところ、そういう方法が最良とされている。それはそうだ。

同じ言葉を異なる定義をされたら、人間社会は一瞬で世紀末世界になってしまう。極端な話、「殺し」が「愛する」だったら、考えるまでもなく、やばい。

もっと身近なところでいうと、色をそれぞれ自分の好きなように定義していたら、青信号で止まる車が出てきたり、赤信号で猛スピードで爆走する車も出てくる。

「私の」世界はある。しかし世界はない

それじゃあ、結論。人が認識できるあらゆるものを包括した概念としての「世界はない」。なぜなら、人が認識は異なるし、今のところ、同じ認識だと証明は絶対にできないからだ。

僕たちは自分の認識する、すべての概念とは程遠い世界に生きている(ヒト1人が認識している世界は限られているので)。

それぞれが認識する無限個数の世界に、僕らは生きている。異論があれば、ぜひ教えてほしい、自分の認識する世界をもっと広げたいと思っているので。