安藤小織

不定期に短編を書いています◎ noteでは、Instagramに掲載したものを思い出し…

安藤小織

不定期に短編を書いています◎ noteでは、Instagramに掲載したものを思い出したときにまとめて投稿しています。

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短編「雨と桃」

 突然、地面を打ち付ける激しい雨音がして、目の前の桃から意識が逸れる。どのくらい降っているのだろう。降水確率は四十%だったけれど。 立ち上がって窓にかけ寄り、レースカーテンを両手で開けると、降りしきる雨で辺り一面、靄がかかったようになっている。こういうのを、「バケツをひっくり返したような雨」というんだろう。あかりは思わず窓を全開にする。こういう時、マンションじゃなくて一軒家にしておいてよかったと思う。だって、地面がとても近い。開け放したままの窓辺に立ち、しぶきを上げる雨の奥に

    • 短編「旅の途中」

       無音に耐えられなくなった、と思う。  イヤフォン(それもコードレスの) を持ち歩くのがあたりまえになってから。カフェで一人ソイラテを飲むときも、家と仕事の往復のために乗る、片道二駅分の電車と四つの停留所分だけ乗るバスの上でも。  何かしていなきゃ、という出ところのわからない焦りに追い立てられて、とにかく何か意味のあることを、と、何もかもが入ったカバンの中に手を差し入れかき回してイヤフォンを見つけ、もたつく指を急かしてイヤフォンを耳に突っ込む。音楽配信アプリを立ち上げ、昨

      • 詩「たぶん、生きるということ」

         例えば、わたしたちは目的地に着く前に、もうすでに疲れている。疲れ切っている。  例えば、本当に食べたいお菓子ではなく、「ストレスを低減する」とパッケージに大きく書かれたチョコレートを選ぶ。たまに、それは「睡眠の質を高める」や「疲労感軽減」という文字に変わる。どれも似たり寄ったり。  例えば、一冊の本を読み切ることよりも、一時間長い睡眠の優先。  例えば、地球環境を思いやりながら紙ストローで飲むプラスチックカップに入った甘いコーヒー。  例えば、虐殺に加担する企業の商

        • 短編「眠れない夜」

           窓の外に広がる田んぼで声をそろえて鳴く蛙の声が、頭まで布団をかぶっても聞こえてくる。 暑い。 柚樹は枕元に置いてあるリモコンに手を伸ばし、うっすら発光している除湿のボタンを押す。まだ六月なのでエアコンは冷房ではなく除湿を使うようにしているが、そろそろ布団を夏用にしなければいけないようだ。横で眠る夫の足先に自分のそれをくっつける。男性には珍しく年中冷え性の夫は人間冷えピタのようなもので、夏場は彼の手を首筋に当てて涼む。夫も妻にくっつかれるのが嬉しいのかされるがままにしているの

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        短編「雨と桃」

          短編「きっと、さようなら〜another side〜」

           毎週水曜日、がらんとしたフードコートに一人の若い女の子が座っている。いつも同じ時間に来て、二種類のドーナツとアイスコーヒーを買い(ドーナツはいつもオールドファッションとエンゼルクリームだ)、いつも同じ席に座る。おしぼりで手を拭き、ドーナツ(オールドファッションのほう)を一口食べて目を閉じた後、再度おしぼりで手を拭き、パソコンをカバンから取り出して開く。一連の流れがほっそりした指で静かに行われ、そうしてアイスコーヒーを一口飲む横顔を、わたしもなんだか儀式のように静かに見守る。

          短編「きっと、さようなら〜another side〜」

          短編「きっと、さよなら」

           平日、午前中のフードコートは広い。老人四、五人のグループが、点々とテーブルを占拠しているだけだ。里帆は微かに身震いする。わたしは、とんでもない田舎に引っ越してきたのじゃないだろうかと。  市内に唯一の寂れた大型(と言えるのかわからないが、)ショッピングモールには映画館もなく、文化的な施設といえば小さな書店とヴィレッジヴァンガードくらいだと言っても過言ではない。もちろん、ヴィレッジヴァンガードを文化的な施設と呼べるのならば、だが。  それでも、俯いてスマホを見つめながら足早に

          短編「きっと、さよなら」

          短編「くだらないこと」

           ちょっとだけ声聞かせてとか、おやすみだけ言わせてとか そういうことができない人間 is わたし  一時間ほどの通話時間が書かれたLINE電話のスクリーンショットに文字をあしらい、Instagramのストーリーにあげ、投稿されたことを確認してからスマホを放り、自身もベッドに身を投げる。 ああ、くだらない。 ちょうど八年前、留学先のタイで出会った「SNSは一切しない」と公言する同い年の日本人のことを思い出す。ちょっと見せてと言われて見せたわたしのスマホの画面をのぞいた彼女

          短編「くだらないこと」

          短編「人生の1ページ 」

           泣き疲れたのか、いつの間にかソファで眠っていたらしい。ビニールのこすれるような音がかすかに聞こえて目を開けると、夫がエコバッグから出した総菜を食卓に並べているのが見える。 「あ、起きた。明太子サラダ、好きなやつ、買ってきたよ。食べる?」  夫の優しい声と言葉がぼやけた頭に意味を成して流れ込んで来て、もう出ないと思ったはずの涙がまた、不意に込み上げてくる。 「今回も……」  ソファで横になっているわたしの前にしゃがみ込んだ夫が、わたしの左手に握りしめられたままの妊娠検査薬をじ

          短編「人生の1ページ 」

          短編「雨のちくもり」

           三時間かけて小説を読み終わり、顔を上げる。右目の大きなものもらいが存在を主張するように瞼の動きを妨げ、目の位置がひどく下にあるように感じる。小説に引っ張られた思考で頭の中がぐわんぐわん揺れていて、開け放した窓から雨の降る音と、その雨の上を車が通っていくざあっという音が聞こえる。静かで、雨のせいで鈍く痛む頭がぼうっと、ものを考えることを拒む。  そういえば、と思う。そういえばこの間、婦人科に行った日もこんな雨だった。考えたくないと思えば思うほど、脳は婦人科での出来事を鮮明に思

          短編「雨のちくもり」

          短編「『夢見る大人』のすすめ」

           「将来の夢は?」と聞かれると、最近は「魔女になること」と答えている。若い頃と違い、正直、四十歳を超えた人間に向かって「将来の夢は何か」などと聞く人はほとんどいないに等しいのだが、それでも、いつ聞かれてもいいように心の準備をしている。何につけても、心の準備というのは大切だと、古文の締めの言葉のようなことを思う。 「何につけても、心の準備というのは大切だ」  高校生の頃は古典なんてなぜ勉強するのかと思ったりもしていたが、振り返るとあんな贅沢な時間はない、と思う。勉強だけして

          短編「『夢見る大人』のすすめ」

          短編「卒業旅行計画」

           旅行が苦手だ。旅行が、というよりは他人と共にどこかへ行き、昼夜問わず一緒に行動するということが苦手だ。大嫌いだと言い換えてもいい。目の前で盛り上がる友人たちからそっと目を逸らす。 「ね、愛梨は?どこ行きたい?」 「もー話し聞いてる?」  ハンバーガーチェーン店によく似合う軽快な笑い声をあげながら、咲希と有紗が楽しそうにこちらを見つめる。愛梨が言葉に詰まっていると、咲希が「じゃあ」と言う。 「じゃあさ、海外と国内だったら、愛梨はどっちがいい?」 「こ……くないかな?」  絶対

          短編「卒業旅行計画」

          短編「喪に服す」

          「御不幸ごとでもありましたの?」  田舎にある実家マンションのエレベーターで乗り合わせた女性から声を掛けられる。豪華な服を着ているわけではないのだけれど、言葉遣いやしぐさが上品で、思わず「貴婦人」という単語が頭に浮かぶ。 「あ、実は……」  「そうなんです」とも、「違うんです」とも取れるような言い方をしてうつむき、言葉を濁す。こういう時、言いさし表現というのは便利なものだなと思う。 「そうですか。まあ、ご愁傷様でございました」  婦人は「そうなんです」ととらえたらしい。こちら

          短編「喪に服す」

          短編「世界が平和でありますように」

           目の前に、見慣れないパジャマを着た見慣れない女の子がわたしに背を向けて横たわっている。薄いグレーのTシャツの背に、Bryn Mawr の文字とフクロウのイラストが書かれているのを見て思い出す。姪が泊まりに来ているんだった。もう十五年近く前、アメリカのブリンマー大学に留学していた姉がお土産に買ってくれたTシャツを、今日泊まりに来たその娘に何とはなしに着させたのだ。パジャマに使って、と。 「ね、起きてる?」  時間を確かめようとスマートフォンを手に取ったとき、姪が体をこちらに向

          短編「世界が平和でありますように」

          短編「その場の『全員』が笑えないなら冗談とは言えないらしい」

           目の前で青く光っている「入室」ボタンを押す前に深く呼吸をする。オンライン会議に参加する前はいつもこうだ。午前中に個人面談だとか、午後から定例会議だとかいう日は朝から気が重く、直前になると何となく動悸がして緊張で体が動かず、何度も鏡を見ては自分の顔に変なところがないか入念にチェックし、何度も深呼吸をしてからでないと入室できない。青いそのボタンを押し、すでに数人で話している輪の中に「こんにちはー。よろしくお願いしまーす」と笑顔を作ってマイクに吹き込む行為は、海の底で暗く大きく口

          短編「その場の『全員』が笑えないなら冗談とは言えないらしい」

          短編「『恋人の服がダサい』問題について」

          「あのねえ、純ちゃん」と彼女は言う。今日は久しぶりのデートだというのに声色から不機嫌さがにじみ出ていて、また何かやらかしてしまったかなと思う。綺麗に化粧をして、綺麗な服を着た彼女は、平日はあまりつけないアクセサリーをキラキラとさせて美しいのに、その光に反射した彼女の怒りがこちらに刺さってくるみたいに思える。 「えっと、なんかした?この服じゃやばいかな?」  いつも服がダサいと言われるから、たぶんそのことだろうと思って口に出したら、眉間にしわを寄せたまま彼女が頷く。 「や、でも

          短編「『恋人の服がダサい』問題について」

          短編「飼い犬の名前」

           夕方五時のチャイムが鳴る。少し前までは、五時になってもチャイムなんてならなかったし、深夜を過ぎたってどこもかしこも明るかったのに。口先をとがらせてつぶやくと、耳ざとい母が台所で野菜を切りながら大声で答えてくる。 「都会の大学なんかに行くからやん」  女の子なのにとか、だから言ったやんとか、結局仕事もないで出戻りやん、とか聞くに堪えない本人への愚痴を言われる前に、散歩用のリードを手にそそくさと「ヘドウィグ」の方へ向かう。 ヘドウィグはわたしが小学五年生の頃から一緒に暮らしてい

          短編「飼い犬の名前」