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詩「たぶん、生きるということ」

 例えば、わたしたちは目的地に着く前に、もうすでに疲れている。疲れ切っている。

 例えば、本当に食べたいお菓子ではなく、「ストレスを低減する」とパッケージに大きく書かれたチョコレートを選ぶ。たまに、それは「睡眠の質を高める」や「疲労感軽減」という文字に変わる。どれも似たり寄ったり。

 例えば、一冊の本を読み切ることよりも、一時間長い睡眠の優先。

 例えば、地球環境を思いやりながら紙ストローで飲むプラスチックカップに入った甘いコーヒー。

 例えば、虐殺に加担する企業の商品は買わないと言いながら、動物実験が繰り返され、あるいは人権を無視した労働により生産された商品は購入する。

 例えば、本当は大嫌いな人にも愛想よく笑いかけること。くだらない発言に笑ってあげること。耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言を、命が削られるような言動を笑って受け流すこと。「◯◯ハラ」という言葉に換えて。

 例えば、好きなのに好きじゃないフリをすること。その逆も然り。

 例えば、機能しないこの国の中枢。そのことについて考えない人々。笑ってごまかす人々。搾取されているのに気がつかず、搾取する側に立った気分でいる人々。

 例えば、わたしに何ができるんだろう。そう思いつつ、自分の人生を楽しく生きること。

矛盾と理不尽しか生み出さない世界で、問題山積のこの世界で、生まれる愛、愛、愛。愛がつながりめぐる。人々の営み。

「人って本当に死ぬんだよ」

 電車の吊り革に捕まりながら、背比べする男子中学生。人にされた嫌なことを、平気で人にしてしまう感覚。傷んで、くるくるの髪の毛。
外国人で溢れる日本の商店街。

いつも、ここではないどこかをさまよう。
You are in the right place. って言ってほしい。だれかに。ねえ、だれか。

I see you. を言ってくれる人を探す旅。

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