短編「帰途」
旅行の最終日だろう人々から醸し出される独特の空気を、今わたしも纏っているのだろうか。楽しかった充足感と、それに比例したようにずっしりと重い、引きずるようにして持つ荷物。家に着くまでにこれから乗らなければならない乗り物の多さを考えながら、空港に行くために二つ乗り継いだ電車に揺られながら。
空港に向かう旅行者の大きくカラフルなスーツケースと、一様に黒いスーツに包まれた夕方の帰宅ラッシュのサラリーマンの対比を見ながら、短歌が読めそうだ、とぼんやり考え乗客を見回す。わたしの目の前で、夫が目を閉じ吊革につかまっている。夫の頭がカクンと揺れ、それに合わせて、二つあるつむじの間にある一束の髪の毛がぴょこんと柔らかく揺れるので、その回数を数え一人笑いをこらえる。どれだけ疲れていても、いつもわたしを先に座らせてくれる夫だ。つい甘えてしまうけれど、今日は私が譲ってあげたらよかった。
一駅停車するごとに増える乗客はみなスマホを眺めている。あの小さな画面の中に、そんなに大事なものが映し出されているとは到底考えられないのだけれど。とはいえ、まあ、大事なものもあるかと思い直す。例えば、わたしに背を向けて立っている背広の向こうに、二、三歳くらいの男の子が微笑む待ち受け画面が見える。何度見ても見飽きない写真というのはわたしの写真フォルダにもたくさんあるけれど、たぶん背広の彼にとってその待ち受け画面の写真はそういう写真だろう。彼が画面をスライドさせた次の瞬間には、住宅や不動産で有名な会社のページが映し出されていて、幾度かスクロールした後にふと画面は暗くなり、すっと電車を降りていく。この駅からは降りる人のほうが増えるらしい。息のしやすくなった車内で夫を隣に座らせ、寄りかかってくる夫の柔らかい髪の毛を頬に感じながら、なんとなく、さっきの背広の彼の、これまでとこれからの人生に思いを馳せる。
わたしたちの旅はもう終わりかけで、けれど頭の奥で「家に着くまでが遠足です」というだれか(わたしが通っていた幼稚園の先生か、友達がいつもふざけて言っていたものか)の声がして、だからわたしたちはきっと無事に帰りつくだろう。わたしたちの家に。
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