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12. 家はあなたの生きてきた奇蹟の場所。守られているんです。


父の意匠が刻まれた書院造りの部屋で

 実家に帰って4日目になる。日に日に、この土地の水に自分が合ってくるように感じる。豊岡は山に囲まれている盆地、地下にある水脈を水道の水に利用しているらしい。夏は水がひゃっとして滑るよう。ふれるたびに気持ちいい。

 いま、2階の和室でこれを書いている。
 この空間は、香住(現・香美町)、城崎と半生にわたって旅館業を営んできた父が、商いのためではなく愉しみとして生活の中に、伝統的な日本間をつくりたかったそうで、徹底的に「書院造り」にこだわった、と後に聞いた。
「自分の生きていた証になるものが造りたい。お父さん、還暦前にはそればっかり。母屋と和室が同じ建築費だったのよ」と母。

 土地を買い、翌年に戸建てを完成させ、それから十数年後に2階に奥の部屋を増築した。わたしが全寮制のカトリックの学校へ進学のため家を出てからの、ことだ。

「一人娘であるわたしが婿をもらうのに恥ずかしくない部屋で、結納などを務めたい」それが、奥の日本間をつくる正統な理由だったそう。父はこの空間を誂えることを、骨董や軸を一つ一つ買い足すことを、生き甲斐のようにして晩年、愉しんだそうだ。

 12畳の京間。床の間は2つ。広い床板を二段、違棚(ちがいだな)にし、明るい色の太い床柱を設けた。抹茶色の渋い土壁で空間を彩り、付書院もある。南には広い縁側を設け、揺り椅子2脚と机を置く。押し入れは階段をあがってすぐの廊下側に配した。

 北から南に風が抜けるので、たいそう気持ちがいい。家に守られていると思い、仕事をし、読書をし、思いに耽りながらここに一人で布団をしいて寝ている。父は何度ここで昼寝をしたのだろうか、そう想いをめぐらながら。

 なぜこんなに安心で心地いいと感じるのか。それは家に、先祖に見守られている、ということがあるのではないかと、思うのだ。



映画「椿の庭」を観てから考えを転換した!

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コロナ禍。マスク姿でみた「椿の庭」は、とても衝撃的だった。

 資生堂などCM映像の撮影も多い上田義彦監督の作品。上田義彦氏は、過去に仕事でお世話になったディレクターが、タッグを組んでベトナムを舞台にした映画を撮っていると聞いたこともあった。

 「椿の庭」は、上田氏の葉山の別邸を舞台にしている。古い牛小屋を移築した部分もあるという和洋折衷の日本家屋。艶のある黒光りした木の風合いや、薄暗い廊下、庇の深い縁。レコード盤で聴くアンティークのステレオに中国段通の敷きつめられた洋室の空間……。

 一階の縁に面したガラス戸をひらくと、乙女椿をはじめ四季折々の花が咲くのびやかな庭があり、テラスがあり、庭の落ち葉を掃きながら水平線がみわたせる。天気や陽の移り変わりによって、光と影がうまれ、四季の移ろいごとに、小さな昆虫や害虫、鳥や、池の鯉や金魚、苔や木々の営みがしごく丁寧に描写されていた。

「人の記憶って、ものに宿り、場所にも宿るのではないかしら」

「もし、わたしがこの地から離れてしまったら、この家での家族の記憶やそうしたものすべて、思い出せなくなってしまうのかしら」

 富司純子が扮する母は言う。こういう凛とした佇まいの明治生まれの女は、もう失われようとしている。日本ならではの奥ゆかしさ、誇り。懐のどっしりとした深さ。どれだけ記憶に深く刻まれていようとも、伝統的なよさは新しいものにやがて淘汰されるのだ。

 わたしは、この映画をみて、父と母がつくった家に思いをめぐらせないわけにはいかなかった。いまは89才の母(なんと満90歳)が、朝に夕に、暮らしている、わたしの故郷の家だ。

「ね、お母さん! そろそろこっちにおいでよ。西宮で暮らそう。いずれは移るのなら、はやいほうがいいよ。誰もいない時にすっころんだりしたら、どうするの。毎日電話をしていても気がきじゃない……」とわたしは母にことあるごとに、家を出るように誘ってきた。


 けれど、家は人にとっての記憶であり、住まい手そのものである、と映画「椿の庭」で改めて共感してしまった以上は、「母を本格的に呼び寄せるまで、わたしが実家を往復する」という選択をできるところまでやってみよう!とそう思い至ったわけである。

 いまはパソコンとプリンター、携帯電話さえあれば、どこへいても仕事ができる。(苦労はあるけれど……)

 6月は、東京の娘のところに4泊5日で過ごし、2日うちにいて必死で仕事を片付け、いま5泊6日で母の家で過ごしている。2回にわたるワクチン接種の付き添いや、盆の支度。まだまだ夏は何度か通うことになるだろう。

 ここ、父母の家でしか、味わえない想いが脈々と刻まれている。少しでも自分が役に立つなら、たてるチャンスがあるうちに、たっておこうと思い実行している。おかげで、家をわたる清しい風にも出会えたわけである。

 ま、いいか! ジタバタするより運命のまま流されてみる。そういう生き方も。なにかきっと意味があるだろうと、いまはぼんやり考えている。


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