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43. 海外文学から。ブローティガンの「愛のゆくえ」「東京日記」 ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」


 リチャード・ブローティガン(1935年ワシントン州タコマに誕生)を知ったのは、村上春樹と松浦弥太郎、小川洋子など、敬愛する作家の面々が影響を受けた作家として、どこかの記事で書いていたのを目にしたからでした。「西瓜糖の日々」を読み、それから「芝生の復讐」「アメリカの鱒釣り」などを手にして、なるほど!と。独特の文体の中に〟穏やかな憂鬱〟ともいえる、いかにも茫々としたアメリカ大陸のような自由な広がりと、ピースフルな世界が広がっていて驚きました。

 リチャード・ブローティガンは詩人ですから、無駄な言葉が一切なく文自体が美しい。けれど、ストーリーは不可思議。意味不明ともユーモラスともとれる文脈が多くみてとれます。

 そのなかで「愛のゆくえ」は、初期の作品で比較的内容が理解しやすく、「人々が一番大切な想いを綴った本だけを保管する珍しい図書館」という設定も魅力。不器用な男女の物語性も面白く愛読しました。

 昨年末に読んだのが「東京日記」。

 冒頭では、リチャード・ブローティガンが、(というよりアメリカ人が)日本の戦争と日本人をどうとらえていたかを知ることができ、いまのウクライナ侵略と比較してみても戦争とは何かを語る。仕掛ける側と仕掛けられる側の、核心のようなものが描き出されています。

生二次世界大戦のあいだ、僕は自分ひとりで三十五万二千八百九十二人の敵兵を殺し、たったひとりの負傷者も出さなかった。
(中略)
戦争の長い歳月が終わった。済んだのだ。終わりになったのだ。ぼくたちは人間以下のサルである日本人を負かし、滅ぼした。正義と人類の権利が、都市ではなくジャングルにいるべき生きものに対して勝利をおさめたのだ。僕は10歳だった。そんなふうに僕は感じていた。エドワード叔父さんのかたき討ちは済んだのだ。彼の死は日本の破滅によって清らかなものにとなった。広島と長崎はかれの犠牲というバースデーケーキで誇らしげに燃えるろうそくだった。
(中略)
日本人は教訓を学び、寛大なキリスト教徒であるぼくたちはかれらにやりなおしの機会を与え、かれらはそれに応えていった。ぼくたちはかれらの父親で、かれらはぼくたちの小さな子どもであり、彼らが悪いことをしたからぼくたちは厳しく罰したが、彼らはいまよい子になり、ぼくたちもよいキリスト教徒として彼らを許してやっている。つまりはかれらは、はじめは人間以下だったが、ぼくたちが人間になるように教えてやり、かれらはとてもすみやかに学んでいるということだった。
さらに歳月が流れた。
僕は十七歳になり、十七世紀からの日本の俳句を詠み始めた。芭蕉と一茶を読んだ。感情と細部のイメージを一点にあつめるように言葉をつかって、露のしずくの堅固な形式にたどりつく彼らの方式が、ぼくは気にいった。
日本人は、人間以下の生きものなんかではなく、十二月七日のわれわれとの遭遇の何世紀も前から、文明をもった、感情のある、あわれみぶかい人々であることをぼくは知ったのである。(以下略)

 ブローティガンの眼は、子供のように素直で、自由。傷付きやすい。学者のように探究心があります。

 ミラン・クンデラ(1929年チョコスロヴァキアに生まれ)は、好き嫌いが分かれる作家だと思いますし、癖の強い作品が多いです。共産党による民主化と自由の運動「プラハの春」と凋落の時代を背景に文化面から支持しており、作品の中にも色濃く登場してきます。

 「存在の耐えられない軽さ」は、ドンファンで優秀な外科医トマーシュと、愛情深い田舎娘のテレザ、情熱家の画家サビナが織りなす究極の人間模様&恋愛小説。

 連続で2度味わいました。ラブストーリーなのに哲学的、普遍的な価値や多角的な、人間像を問いかけている。クンデラの観察力、考察力は奥深くて、一章、一章が重く心に響いてくるのです。

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