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父の言葉 母の言葉 [やりたい事、いつやるか]

「◯◯したいのーーー!!!(今!絶対に!!)」
と、2歳の娘が大泣きすることがあります。
その内容は様々で、今この瞬間が全ての娘にとって
本当にそれが100%の意思の時もあり、
でもおそらく半分位は、他の何かのストレスや
寂しさからの甘えごねもあるなぁと感じます。

それより驚くのは
我を失ったような大泣き・大暴れをしてたのに
この時の会話や私の言葉を本当によく覚えていること。
後日、気持ちが落ち着いている時に、
自分から復唱してきたりするから。

それでふと思い出した。私の小さい頃。
といっても、確かもう高校生にはなっていたと思うから
2歳の娘と比べるもんではないのだけど。
…というか、私はその歳でも親に甘えごねしてたのか。
恥ずかしいけれど、この夜は、していたのである。


父の言葉  母の言葉  [ いつやるか ]


そこまでの経緯はなんだったか、全く思い出せない。
ある夜、夜中。
私は何かを、今、絶対に、やりたかった。

私は玄関で泣きながら、外へ出るため靴を履いていた。
その側には父が居た。そして父もまた、外へ出るため靴を履いていた。

後ろから母がやってきて言った
「えっ??  本当に今から行くの?」

父がどなる
「やりたい事は 思ってるうちにやるんや!
 寝て明日になったら忘れてまうど!!」


背後で母がポツリ
「…寝て忘れるくらいの事なら  やらなくていいのに…」

対称的な父の言葉と母の言葉。
その後、私と父がどこへ行ったのかはまるで思い出せない。
記憶には、泣き腫れた目と熱い鼻の感覚と、
父が一緒に行こうとしてくれた温かさと、
ごねた自分の気恥ずかしさ。
後ろから極小音で放たれたドライな母の一言に、
心の中で(…うまいこと言うなぁ)と妙に納得した、変な感じ。
この一連のシーンを少し上から俯瞰して見たような視点で残っている。

私はこういう父と母のもとで育ったのだった。

タイプは全然違うけど、当たり前だけど人間らしく、
なんていうか、どちらも正直な感じがしていた。

たまに思い出す時、
どちらの言葉・考え方もなかなか好きだなと思う。
そして今までの私は概ね父寄りで、
最近ちょっと母的な時もあるなぁとか。

父と母については
印象的な言葉や行動がいくつもあるから
ここでまたポソポソと書きたいと思っています。


ちなみに…
冒頭の写真は、父の「やりたい事は思ってるうちにやるんや!」の思想と行動力で建てられた、完全自作の “お菓子の家”。
正確には、小屋。
正確には、ここに写ってないけど隣に3m程の “きのこタワー”がある。
父の構想ではメインがきのこタワー。
お菓子の家はサブ。
壁にビスケットとチョコレートの窓があり、
屋根の赤色やドアの緑はスペインの写真からヒントを得たそう。

父のこの構想は寝て忘れるものものではなく
やりたい気持ちは続き、行動も続き、ひとりコツコツ。
母は嫌がりながら、しょうがなくたまに手伝った。


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