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40本のサプライズ 企画参加:#お花とエッセイ


卒業式が終わって数日後の放課後。私は、誰もいない教室にいた。
ついこの間まで賑やかな喋り声で溢れかえっていた教室も、今は教壇の時計の針の音が聞こえるくらいに静まり返り、春の始まりのやわらかな陽ざしに満たされている。

教師になったばかりの3年前の春。クラス担任として初めて教室に足を踏み入れ、緊張と希望の混じった気持ちで40人の生徒と向かい合ったときのことが、今も昨日の事のようによみがえる。

まだまだ半人前の自分が、どうやって教師として生徒達を導いていけばいいのか、どうすれば生徒から信頼してもらえるのか・・・。
そんな私の心配は、すぐに立ち消えた。

「おはよー!うっちー!元気?!」
「うっちー!聞いて聞いてー!!」
3日も経たないうちに、生徒からの呼び名は固定された。たまに恥ずかしがり屋の生徒から「先生」と呼ばれることもあったが、あとは大抵、こちらに何かしらのお願い事を頼んでくる時くらい・・・。
「これは・・・、先生ではなく仲間だと思われているかも・・・」

ある時、欠席した生徒の家に電話をかけた。受話器越しに待つ私の耳に、生徒を呼ぶお母さんの声が聞こえてきた。
「〇〇~、うっちーから電話よー!」
「・・・・・・。」
私は、一人前の先生ぶるのを早々に諦めた。

実際、毎日が、教師としても人としても、生徒から教えられ育ててもらうことばかりだった。数えきれないほどの笑いや喜び、悩み、時には謹慎や警察から呼び出し・・・なんてハプニングもあったけれど。パワー溢れる10代の多感な生徒たちと一緒に過ごす時間はとても濃密で、彼らが駆け足で走り抜けていく隣でどんな時も手を離さないように、自分も必死に走り続けた3年間だった。


生徒たちが去った教室で、残った荷物を整理する。壁に残った掲示物を一つずつ外していく度に、みんなと過ごした時間も一つずつ手元から離れていくような気がして、つい手を止めてしまう。
最後に壁に残った、文化祭で撮った集合写真。フレームに収まるようにみんなでぎゅっと固まって写る生徒たちの姿。一人一人の生き生きした顔を眺めていると、今にもガヤガヤと騒ぐ声が教室に溢れだしてきそうな気がするけれど・・・。
「やーかーまーしーいー!!」
「静かにしなさいーー!!」
そんな言葉も、もう一日に何十回も連呼しなくてもよくなったのだ。


数日前に終えた卒業式。卒業生の名前をクラス担任が一人一人読み上げる。うちのクラスの順番になり、私は途中で感極まって声を詰まらせないよう、できるだけ冷静に集中して名前を読み上げる。そんな私の方を「なーんだ、泣かないのか・・・」と言わんばかりに、ちらちらと見てくる生徒たち。
さてはきっと「うっちーが泣くかどうか」みんなで賭けていたな・・・。後で教室で確かめねば・・・。

そして、卒業証書の授与に続き、来賓の祝辞や生徒の送辞・答辞も終わり、いよいよ卒業生退場。担任は式場の出口で最後に生徒を見送る。時には握手やハグを交わし、周囲の教師陣からもお祝いの言葉を一人一人かけられ、卒業生は式場を後にする。

あっという間にうちのクラスの順番が近づき、私も見送りの場所へ急いで移動してみんなの様子を確認する。
そのとき、初めて気がついた。一列になって近づいてくる40人の生徒たち。その一人一人の手には、一本ずつ、細長いピンクの筒が握られている。
「うっちー、ありがとう。」
先頭の生徒が差し出したのは、一輪のピンクのガーベラの花だった。
驚いて言葉を詰まらせる私に、「うっちー、ありがとう」「先生、ありがとう」という言葉と40本のガーベラが一気に押し寄せて、あっと言う間に私の胸は大きな花束といっぱいの涙で溢れかえった。


一人になった教室で、集合写真を見ながら卒業式のサプライズを思い返す。
まだまだ周りの大人に甘えていたい子供だとばかり思っていたけれど、こんなふうに人を喜ばせるサプライズを用意できるくらい大人になっていたんだな・・・。生徒たちの成長を感じられて、嬉しかった。同時に、本当に、彼らが人生の一つの季節を終えて、次の新しい季節へ進んでいくのだということを実感させられた。

集合写真を教壇のデスクに置いて、教室を見渡す。目の前には生徒たちがいない机と椅子だけが並ぶ。けれど、私の目には自分の席に座ってこちらを見つめてくる一人一人の顔がはっきり浮かび上がってくる。
ふと、卒業式に手渡されたガーベラの花が、生徒たちの影と重なって見える。ある花はまっすぐに、ある花はときどき曲がりながらも、空に向かって茎を伸ばし、一枚一枚の花びらを精いっぱい堂々と広げている。

そのとき、もう一度気がついた。
卒業式だけではなかった。3年間、私は毎日40本の花束を受け取っていたのだ。



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