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星の一つも探しにいこうか

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西郷どん個人的総評③大河TLの不協和

まだまだ書くよ、西郷どん個人的総評。 今回は西郷どんの最大の問題であった「理解されない」問題について。 何故ここまで西郷どんが、(私の周辺ですけど)特にTwitter民に理解されないドラマであったのか。 一言で言うと歴クラと呼ばれる大河の支持層とされている人々と、趣味・嗜好・認知、全てが合わなかったからじゃないかと思います。 Pの櫻井さんが歴史に詳しくないことはご自分で言ってましたが(謙遜もあると思いますが)、やはりそれは通常の歴史ファンの趣味・嗜好とは違う感覚の持ち主

西郷どん個人的総評②脚本と演出と物語の構造

まだまだ書き足りないので書いていくよ! 今回はドラマのフレームについて書いていきます。 西郷どんの物語の構造は非常にシンプル。斉彬の「侍が刀を腰に差して踏ん反り返っている時代は終わるんだ」という言葉を西郷(と大久保)が実現したという円環のドラマになります。 初回の最後の場面は、西郷終焉の地である城山。 糸さんの「うちの旦那さぁはこげな人じゃなか」→ではどういう人であったのか、という謎かけは、最終回で回収されることが示唆されていた。 また、ナレーションの西田敏行さんの締

西郷どん個人的総評①かつてない逆風

西郷どんについて思いつくままに書いていきます。 放送が終わった今になってですね、しみじみと思うことは、西郷どんはものすごい逆風の中で作られた大河であったなーということです。そしてもう一つ、Twitter大河民向けのドラマではなかった、ということも言っていいと思います。 ①西郷隆盛の物語が失われ、再生産がなされていない ②民放ヒットメーカー、女性脚本家に対する蔑視 ③嫌われ林真理子が原作 ここにさらに、 ④不人気・籾井会長の置き土産的な印象 ⑤「江」を送り出した櫻井統括

今だから語れる西郷どん③6-10回をまとめてレビュー⑴ 「愛について」

今更ながら当シリーズ1-5回をお読みいただき、誠にありがとうございます。はやく現在に追いつかねば。頑張って書こう。 さて、6-10回は社交界…じゃなくて薩摩藩庁…でもなく、薩摩藩という社会に大きくデビューした吉之助が、初手柄を立てて大久保家の窮状を救い、両親の死や結婚を経て、社会的に1人前になり、さらに江戸デビューをも飾ります。 それにしてとロシアンルーレットと相撲は今見ても最高に面白いですね。 上級武士も当然のごとく備える薩摩の尚武の気風ということで、近代になりそうで、

別れと決別によって愛が成就する。

これまでも何度かあちこちに書いていますけれど、私は1年で1回、50回約1年という長い時間と歴史という豪奢な舞台にのみ降りてくる、なにがしかの「神」を、1年に1回だけ見届けられればそれでいいと思って大河ドラマを見ています。 こういってはなんですが、私の評価ハードルは大変低いです。はい。 そんなハードルの低さにもかかわらず、一昨年・昨年と大変素晴らしいドラマを見せていただいき、心からありがとうnhk。 で、それに比べて今年はもうダメかもわからんね、などと思っていた時期もあっ

今だから語れる西郷どん②1-5回をまとめてレビュー「つまり吉之助は運命の人と出会う」

ざっくり第一回から、お金、軍事力、感情をキーにして西郷どんを見直してみます。 全部をガッツリ見直す時間はないけので、勢い重視で。 公式HP、それからまとどん、あとは自分がこれまで書き散らかした文章などを見返してストーリーを思い出し、気になるところだけピンで見直します。 今回は、 第一回 薩摩のやっせんぼ 第二回 立派なお侍 第三回 子供は国の宝 第四回 新しき藩主 第五回 相撲じゃ!相撲じゃ! まで。軽くレビューしつつ、行ってみましょう!さて、新しい景色が見えるかな

今だから語れる西郷どん①

これまで、西郷どんについては、共感性がとか、歴史が好きじゃない人向けとか、色々語りましたが、だいぶ間違ってたなあ。 40回をすぎて、やっと西郷どんについてわかってきたというか、解釈がまとまってきました。 西郷どんが焦点を宛てているのは、①感情 ②お金 ③軍事力(腕力) の3つ。 これらがいったい何かと言うと、人に決断をさせ、物事に決着をつけるもの、人間や社会を動かし得る「パワー」ですね。 西郷どんは歴史上に現れた何かしらの事象を、その時代を生きた人物の一代記の形で物語

制作と放送の時間差。

4月あたりから、西郷どんタイムラインで「今からでも脚本家を変えた方がいい」というツイートをよく見かけました。いや、それは普通に無理でしょ、と心の中で突っ込む日々でした。 大河の場合は、撮影から放送までの時間差は3ヶ月、ということがわかってます。 結構長いように思うのですけど、SEの作成、映像の修正、編集、セリフの吹き込みなどなど…詳しくは知りませんけど、撮影後の作業も山のようにあ理、しかもこれが常に連続してるわけですから、3ヶ月あっても全く余裕はない。むしろギリギリなので

大久保さんの弱み

30回の西郷どんで、岩倉具視が知る大久保一蔵の弱点について、すぐに「おゆう」さんのことだと気がついた勢と、一蔵どんの弱みっていつか明かされるんですか?勢がいた。 ここでもうちょっと西郷がおゆうさんのことを匂わせるとかをすれば、もっと多くの人が気がついたのではないかと思う。 でもそれはしない。そうすると、ターゲットである人間観察が得意な層にとってつまらないから。 で、孝明天皇のお手紙で岩倉具視があっさり立ち上がるところなどは、昭和時代劇テンプレのギャグかと思ったら、実際に

ギャンブルがあっても滑らかに

西郷どんは私にはちょいちょい深読みポイントがあって楽しい。 今回も蟄居中の岩倉具視にまで金を配る久光公有能とか、いろいろあるけど、久々に出てきたギャンブル。西郷も大久保もてんでギャンブルに弱かったのが面白かった。あれは薩摩にとっては、明治維新はギャンブルではなかったということを表現しているのかもしれないですね。 桂さんが意外と強かったとか、すっかりご無沙汰だけど江戸には「運の強か姫君」天璋院篤姫がいることとか思い出して、ちょっと示唆的かなーと思いました。 しかし、真田丸

図鑑型・物語型

私は物語型だな… 短い記事なので、この分類の詳細はわからないけど、図鑑を見ていても、私は「名詞」に物語を感じてしまうし、対象それだけの価値、をそのままドンと感じとるのは苦手、ということは言えると思う。 例えば恐竜の名前なんかを見ると、そこに込められた名前の意味、どのような経緯でそれが名付けられたか、習性によるものなのか、外見上の特徴によるものなのか、近い種類の恐竜とはどう同じでどう違うのか・・という関係性をたどって対象を把握しようとしてしまって、なかなか恐竜そのものに焦点

正しさと快適の厄介な関係

何故大河が「史実と異なる」ということにあんなに疲弊する人がいるのか、ということはこれまでのちょいちょい考えてきました。 私の結論としては、大河ドラマというものが「正しさを錯覚する」という人間の能力を上手に利用して作られているからではないか、ということになります。このことについてちょっと書いてみます。 デザイン的には、人間にとって「正しさ」というのは非常に安定した、快適な、とても気持ちの良い状態こと。 自分自身や環境が正しいと確信が持てたとき、人間はすごくリラックスします

大河の礼儀お作法のやらかしについて

現時点の考えを整理してみるとこんなふう。 やらかしレベル1 知らなかった。序盤によくある。 制作と考証の連携がうまくいかずに起こった事故的なやらかし。事故なので今後気をつけてくれたらそれでいい。次に活かせ。喝。 やらかしレベル2 間違えた。どういうわけか起こってしまった事故。作っているのが当時に比べれば礼儀作法の摩滅した現代に生きる現代人なのでやはり時々ある。 あと我々の方が間違えている場合も多々ある。明治大正昭和の新しい慣習を、日本の伝統的な礼だと勘違いしてたりする。歴

大河で歴史を学ばない

私が真田丸で学んだのは「大河ドラマで歴史を学んではいけない」ということです。 正確にいうと、これを学んだのは丸島先生の解説ツイートですね。 伝承も含まれれば、講談由来のエピもあり、おなじみの史実もあり、専門家にとっては常識だが一般には知られていない史実というものあり、最新の学説が取り入れることあり。 それらがまんま使われることもあれば、アレンジされたり、見る人にわかりやすいように or 予算と尺の都合で簡略化されたり、創作エピと組み合わされたり。 こういったものに法則