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図鑑型・物語型

私は物語型だな…

短い記事なので、この分類の詳細はわからないけど、図鑑を見ていても、私は「名詞」に物語を感じてしまうし、対象それだけの価値、をそのままドンと感じとるのは苦手、ということは言えると思う。

例えば恐竜の名前なんかを見ると、そこに込められた名前の意味、どのような経緯でそれが名付けられたか、習性によるものなのか、外見上の特徴によるものなのか、近い種類の恐竜とはどう同じでどう違うのか・・という関係性をたどって対象を把握しようとしてしまって、なかなか恐竜そのものに焦点が合わない。

これは何かに限ったような話ではなくて、興味のあるもの、例えば猫とかバラとか、人物、事件、全てに対して大体同じ態度をとる。

それは他に似たものはないの?とか、それは他のものと比較した場合どうなの?とか、それがそのようになった経緯はどうなの?とか・・(あ、だから歴史に興味を持つのか)。

そういえば、専門職の人とはこのあたりでよくぶつかっていて、研究者肌の人がデータをそのまま表現しようとするのに対して、なんのためにそれを出すのか、このデータを出すことで読者に何を言おうとしているのか、何を読み取ってほしいのか、ということをはっきりさせて欲しくて議論になるのだけど、私から見ると彼らの思考は理解が難しいんである。

私は彼らの思考は(データによって)拡散していくと感じるし、彼らは「筋」を私が決めようとすることに一応頷いてくれるものの、決して納得していないことを感じる(彼らは私の思考方法の方が拡散していると感じるらしい)。不完全であってもデータそのものを提供することに意味があるのだ、という話によくなる。

自分にとって、何かをストーリーに落とし込むと言うことは、すごく自然なことで、まあ上記の例は仕事なので特にそうするのだけど、そうではない場合も当然あるということを呉座先生の例の記事から感じたのでちょっと書いて見ました。

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