見出し画像

大河の礼儀お作法のやらかしについて

現時点の考えを整理してみるとこんなふう。

やらかしレベル1 知らなかった。

序盤によくある。
制作と考証の連携がうまくいかずに起こった事故的なやらかし。事故なので今後気をつけてくれたらそれでいい。次に活かせ。喝。

やらかしレベル2 間違えた。

どういうわけか起こってしまった事故。作っているのが当時に比べれば礼儀作法の摩滅した現代に生きる現代人なのでやはり時々ある。
あと我々の方が間違えている場合も多々ある。明治大正昭和の新しい慣習を、日本の伝統的な礼だと勘違いしてたりする。歴史の常識だと思ってたことが小説由来の知識だったりもする。
また当時一時期だけこうだった、考証的には正しい、という場合もあり、むしろやらかしではなかったりすることもある。
つまり細かいことに怒るのもコスパが悪いという話になってしまう。

やらかしレベル3 目的のために敢えてやった。

なにかしら演出上の意図を込めて危険を承知で敢えてやったというケース。
伏線が回収されるか、全体のドラマのテーマにどのように沿うのかなどで評価が分かれる。つまりここから評価対象となる。

やらかしレベル4 役者さんの勇み足。解釈不足。

ドラマ上で何を表現したか、与えた影響の程度で評価が分かれる。演技に没頭するあまり自然こうなった、というケースは大目に見たいが、これも全体のテーマと沿っているか、あるいは破壊的なものではない場合に限る。

やらかしレベル5 絵面、わかりやすさを優先した。

こっちのほうが絵になるから!みたいな形で考証を軽視した結果起こるケース。この世界には絵面よりも大事なものがある。
マーケティング的な理由でそのようにした場合は、マーケ的な成果とともにそのやらかしがドラマの整合性をどれだけ乱したかによって評価する。場合によっては青筋を立てて怒ることもある。

やらかしレベル6 知ってたし止められたけど、やっちゃった。面白くするためだからしょうがないじゃん。

一番あかんやつ。許さない。

・・・・・・・・・・・・・・

あくまで私の個人的な物差しで、これが正しいとか、完成した基準であるとかいうことはありません。あとあと変更することも当然あります。

所詮はドラマなので「面白ければall OK」だし、好感度が高い場合は「許されちゃった」り、「却って高評価を得た」りします。面白いけれど。でもそういう理不尽さも時にはある、と思っておくと、まあちょっと楽かもしれない。

もしnoteを楽しんでくれたら、そして気が向いたら、コーヒーでも奢ってくださいな!喜びます。