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西郷どん個人的総評①かつてない逆風

西郷どんについて思いつくままに書いていきます。

放送が終わった今になってですね、しみじみと思うことは、西郷どんはものすごい逆風の中で作られた大河であったなーということです。そしてもう一つ、Twitter大河民向けのドラマではなかった、ということも言っていいと思います。

①西郷隆盛の物語が失われ、再生産がなされていない
②民放ヒットメーカー、女性脚本家に対する蔑視
③嫌われ林真理子が原作

ここにさらに、

④不人気・籾井会長の置き土産的な印象
⑤「江」を送り出した櫻井統括Pへの不信
⑥不用意な西郷モテ大河発言、BL大河発言
⑦明治維新150周年大河に対するちょっと過度な期待
⑧「翔ぶが如く」との比較
⑨近年のメディアのネット世論依存

などなどなどなど、ネガティブなバイアスが掛け合わせになって多く残った、否定的な発言がTwitterにあふれ、それをnhkを腐すことを使命とするメディアが増幅し…と、最後まで収拾がつかなかった、という一面は確かにあった。

実際に見てみると真面目な大河でしたから、BL発言、西郷のモテ大河発言がなく、真面目に幕末に取り組むPRから始まっていれば、Twitter民の反応も少しは違ったんじゃないかという気がしますが…(政策発表が真田丸の放送中だったから間違えたんじゃないか、という気がしている)。

中園さんの脚本は、ミタニンのようにテンポよくギャグをかまして回収するスタイルのユーモアじゃなくて、相撲やロシアンルーレットのような豪腕エピで見ている人を圧倒しながら笑わせるタイプじゃないですか。絶対ユーモア部分は隠し球にしておいたほうが良かったですよ。

この逆風の中で提示された西郷の人物像と歴史観が、これまたこれまでの大河では表現されてこなかったものだったので、一層理解されなかった。

せめて西郷だけでも、ゲームとか漫画とか、何らかの形で現代的な形で再解釈されていれば理解されたかもしれない。でも残念ながら、西郷さんにはなぜかそういう話が全くないんですよね。まあなぜかも何もなく、以前あまりにも英雄視されていたことの反動なんですけど。

作品を評価する以前に、作品を取り巻く環境がまずあまりにも厳しかったと私は思いますし、nhkがこの厳しさをあまり理解せずに対応していたように見えることについては、私は今でも納得しきれない気持ちがあります。

でも何かしらを創造するとき、逆風の中でも嵐の真っ只中でも、題材にとりつかれたら関係者はそれを何が何でも作らなきゃならないって時があります。西郷どんももしかしたらそういう素材だったのかもしれません。

西郷どんのつまらなさは絶対的だ、という人も相当数いると思います。今回は西郷どんを好きで見ていた人間が感じた残念ポイントについて書いていることで、その点はご了承ください。

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