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ヒトはどんなときに「人生に無駄なものはない」と気づくんだろう?

◆たぶん「人生に無駄なものはない」のだろうけれど…


 「人生に無駄なものはない」。この言葉は洋の東西や宗教を問わず、さまざまな偉人やスポーツ選手などが残した“名言中の名言”です。調べればきりがありませんが、私の知る限り元野球選手のイチローさんや元サッカー選手の中田英寿さんが、テレビの取材か何かで語っていた記憶があります。
 過去から現在にいたるまで、多くの人々によって繰り返されたこの言葉は、もはや真理(究極の真実)と言ってよいでしょう。とはいえ、人生に無駄がないことを自ら実感したとしても、その感覚を他人に理解してもらうのは、実はとても難しかったりします。なぜなら、それは口伝できるものではなくて、あくまでも自己の経験を通して認知できる言葉だからではないでしょうか。

「人生に無駄なものはない」を実感できる?

◆未熟さが露呈した出来事


 もうかれこれ15年ほど前の話になります。同業者の交流促進を図る任意団体が主催の、中堅人材向け研修に参加しました。5人のグループを3つ作り、「地域力を考える」というメインテーマから各グループがサブテーマを具体的に設定し、2日にわたる約6時間の議論を経て最後にプレゼンをするという、それなりにハードな内容でした。
 普段ですら、職場でブレーンストーミングをほとんど行ったことのない私が、なりゆき上グループリーダーを務めることになりました。研修にさきがけ、メーリングリスト(古いなー!)上で軽い意見交換を行った時点では、それなりに共通部分が見られたので、グループ討論の進行もさほど難しくはないだろうと高を括っていました。

 しかし、いざグループ討論が始まると、予想外の事態が……。私のファシリテーターとしての経験不足がモロに出てしまい、グループメンバーからうまく意見を引き出すことができないまま、時間が刻々と過ぎていきました。1日目を終え、自分のリーダーシップのなさに落胆したまま、夜の懇親会に加わったのですが、案の定、テンションが上がるはずもなく、周りとのコミュニケーションも研修の時以上に取れなくなっていました。

懇親会もひとり盛り上がれず(イメージ)

 「明日のグループ討論はどうなるんだろう…。うまく行くかなぁ。」
そんな不安ばかりが増長していきました。

 明けて研修2日目。予感は的中し、前日と同じような膠着状態が続きました。私たちのグループの悲惨な事態を見かねてか、全体を統括するリーダーがたびたび議論のヒントになるメッセージを投げかけてくれました。そんな優しい助け舟のおかげで、何とか結論をひねり出すことができました。仕事での企業訪問など、人と対面することにそれほど抵抗はなかったはずなのに、2日間の研修を経て、すっかり自信をなくして帰ったことが、今でも苦い記憶として残っています。 

◆「苦い記憶」は活かされた?


 その後しばらくは、グループディスカッション的なイベントから、自然と足を遠ざけていたかもしれません。さすがに今は、そんな恐怖心はありませんが。
 そもそも、あの時自分はどのように立ち回れば良かったのでしょう?もし、討論の様子を録画していて、今それを見られるのならば、自分や周りのメンバーの反応を客観的に観察できるかもしれません。でも、そんな映像は存在しませんし、あの時はショックやら不甲斐なさやらで冷静な自己分析ができませんでした。ですので、議論が膠着した原因が何だったかを、未だに自分で解明できていません。
 ならば、あの研修の経験はまったく活かされなかったんでしょうか?職場では残念ながら、ブレーンストーミングの場面が少なく、研修の教訓を活かす機会には恵まれませんでした。ただ、自分の内面には何かしら影響を与えてくれたんじゃないか、という程度にとらえていました。

◆経験が邂逅(かいこう)する瞬間


 さて、タイトルの「人生に無駄なものはない」とは、上の研修での体験のように「○○の研修を受けた」とか「△△を学んだ」ことによる成否を以て、人生にとって無駄だったかどうかを判断するという意味ではありません。意識的に何かを得ようとする行為ではなく、ごくありふれた日常生活や仕事の中での理不尽さ、言い換えれば、一見自分にとってこれが何の役に立つの?とか、自分がめざすゴールから遠ざかっているなぁ、と感じている時に、期せずして新たな学びを発見する、という経験です。

 最近の話ですが、コロナ禍の影響で通常の業務とは別に対応しなければならない業務に、しばらく従事することを余儀なくされました。そこでは、日々変化する状況に迅速に順応し、時には的確な判断や指示が求められる場面が幾度もありました。本来の業務がおざなりになりがちな状況に、少し苛立ちも覚えましたが、その経験は確実に私の意識を変え、本来業務への向き合い方も今までと少し違ってきたように思います。

 さらに驚くべきは、この記事を書くにあたって15年ぶりに振り返った研修の苦い経験と、コロナ禍での経験が化学反応を起こしたのです。両者が結合した後、「当時の私に足りなかったのは、自信を持って合理的、かつ的確な指示を出すことではなかったか」という「生成物」(=気づき)が得られました。
 私自身、まだ完全に弱点を克服できてはいませんが、リーダーに求められる資質は、メンバーと信頼関係を築き、その場に必要な指針を明確に出すことです。ただし、その指針はリーダーが覚悟と自信を持って事に対処した末に、導かれるものなのです。

 人生における経験は、異なる時間や空間での出来事の積み重なりですが、それが思わぬところでリンクする。この邂逅こそが「人生に無駄なものはない」と言わしめる瞬間ではないでしょうか。この先も、このような経験がまた、いつかどこかで「出会う」時が訪れるかもしれません。ただ、その瞬間がいつなのかは、おそらく誰にもわかりません。ですが、そんな場面ができるだけたくさん訪れるよう、これからもいろんなことにチャレンジしていこうと思っています。