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#21 忘れない為のしるしを刻んだんだ

30歳後半になったわたしは
どうしてもしたいことがあった。
それは

どちらかの踵に、ちいさなクロスのタトゥーを入れたい

親友達に話すと、ひとりは大賛成、ひとりはうーん。
結局何かをふたりで話し合ったみたいで

「生涯でそのひとつに限り、許す」

というお達しが届いた。
ふむ・・・・。
これはわたしの『やたらハマりやすい』性質を理解したうえでのことでしょう。
おとなしく従うことに決める。

そもそも、なぜタトゥーを?
親友達もその理由を真面目に知りたがった。
わたしが軽い気持ちでファッションの延長として
それをするのではない、と
彼女達もわかっていたから。

わたしは毎日たくさんの時間を「考えながら」生きている。
「あるくはいつも考えてんなぁ」
そう言われることもよくある。
わたしにとって考えるとは習性だし、習慣だし
生きてることへの誠実さであるようにも思う。
なのに、大事なことをすっかり忘れることがある。

自分へのロイヤリティとでも言おうか。

頭で考えることではなく
本来わたしがわたしを生きる上で大事にしたいこと
自分への愛情、忠誠心、あとは帰属意識みたいなもの。

それまで何度も自分を辞めてしまいたいと本気で思い
その都度わたしは救われたから
今を生きている。
どこかへ行ってしまった自分を
誰かがみつけ、自分へ返してくれる。
わたしが生きているということは
つまり
わたしと関わり続けてくれたひとたちへの
言葉にできないありったけのありがとう、でもある。

みんなのペースとは違うかもしれないけど
それでいい。
わたしのペースでわたしらしく
自分の選択を信じて踏み出し、生きること。
これは30歳後半になってから特に大事にしていた。
それが自分へのロイヤリティのようなもの。

こんな大事なことなのに
わたしはつい後回しにしてしまうことがある。
どうも自分のこととなると、そうなりがち。
わたしが優しいとか、そういう事ではなくて
どうしても自分を粗末に扱う癖が抜けない。
自分を粗末に扱うひとが
他人を大切に扱う事なんて、きっと出来ない。
だからわたしは、自分へのロイヤリティの低さを感じると
はっと背中を正してきた。
で、思った。

「忘れないような "しるし" があったらいいのに」


自分にとって忠誠心の象徴であるクロスを。
もちろん仕事への支障が出ないこともあるが
"自分の選択を信じて踏み出し、生きること"
が大事なので、ぐっと踏み込む踵にいれたかった。

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そのしるしが入った数日後
わたしは念願だった東京転勤が決まった。
内示の話の間、わたしはずっと踵を触りたくて仕方なかった。
このしるしは、わたしを必ず導いてくれる。
そう確信していた。

あれから2年と少し
わたしはまた大きな一歩を踏み出そうとしている。
自分の選択を信じて踏み出し、生きること。
まだまだ旅の途中なんだ。


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