東京古物偏愛物語

白地に罫線が映える、下ろしたてのノートの1ページ目。誰も踏み荒らしていない、真っ白な処女雪。白って200色あんねん。私は、白を穢すのが極端に苦手である。買ったものやもらったものを開けられないのと同じ心理かもしれない。勿体なくて、恐縮してしまうのだ。悪く言えば貧乏性か。
その点古着や古本は、実に肌に馴染む。使い古されて汚れているのだから、私が更に歴史を刻んでしまっても問題ない。そして多くの場合、安価だ。多くの場合というのが肝で、この世にはアンティークだのヴィンテージだの初版本だの絶版本だの希少価値の高い古物がたくさん存在するのはよくわかっているし、そもそも古いからこそ価値を見出され博物館などに貯蔵されているものだってあるわけで、ともすれば自分自身ちょっとその底なし沼に足を滑らせそうな気配さえあるが、それは置いといて、大体は定価より安い。気軽に手に取ってときめき、値段を見て些か驚き、興奮まじりに購入して、いい買い物をした! などとうきうきしながら帰路につく一連の流れが、もう板についてしまっている。
普段どこで服買ってんの? セカスト。
セカンドストリートには大変お世話になっていて、ていうかなりすぎていて、もう何なら就活の時ゲオホールディングスを受け、無事内定をもらっていた。リサイクルショップの店長さんになって、古着に囲まれたり、ギターを陳列したり、珍奇なものを買い取ったりして過ごす未来も悪くないな、なぁんて考えていたのだが、大卒なのに小売業か、というチンケなプライドから内定を蹴り、ブラック業界のブラック企業に入って案の定心身をぶち壊した。あの時リサイクルショップの店長さんの道を選んでいたら、今頃どんな自分になっていたのだろう。リサイクルショップはこの世にたくさんあるし、トレファクだって個人経営だって好きでよく行くけれど、就活時様々な店舗を巡っていたのもあり、やはりセカストには特別な思い入れがある。今も服がほしいなと思ったらとりあえず最寄りの古着特化型セカンドストリートに足を運んでみている。
大学生の時は、よく高円寺に足を運んでいた。シモキタじゃないのかよ。逆張りか? 否定はできない。が、一応弁解すると、何だかシモキタに怖いイメージを抱いていたのだ。私みたいな芋女が歩いていたら嘲笑されるんじゃあないだろうか? 当時は自意識の塊だったのでとにかく他人の視線が気になって、あと乗り換えのめんどくささが気になって(なんで井の頭線ってあんな歩くの?)、高円寺を選んでいた。商店街とかあって、下町っぽくて、ごちゃついてて、中央線沿線! てな感じで居心地がよかったのである。
高円寺で、古着を買いすぎて帰りの運賃がなくなったため改札の向こうに居る友達に借りたり、今もあるのかは知らないが、飲み物を頼むと餃子がついてくるイカれてて最高な居酒屋で、後輩4人に盛大に奢り散らかした挙句おまけにサーティワンまで奢ってあげたのは、私史に残る青春の輝きだ。社会人になってから気心の知れた大学の先輩と飲みに行って、2軒目にお洒落なカフェバーに入ったのに、カクテルを服にぶちまけて、日頃仕事で溜めていたストレスの留め具が外れて人前で大泣きしたのも、高円寺だったな。あの街には、あの街でしか起こり得ないドラマがある。いっそ住もうかなとか思って調べたら普通に家賃が高くて諦めた。とにかく、シモキタより高円寺だったのだ。まあ、大人になってから下北沢に行ってみたら別にそんなに怖い街じゃなかったが。
え、全然古着関係ない話してるな。
神保町とかよく行かれるんですか? ええまあ。
文学部はみんな神保町が好きだ。好きだろう? 違うのか? 私の周りはみんなそうだった。そりゃそうだ。安かったり、特別だったりする本が山ほど陳列されている。煙草が吸える喫茶店もたくさんある。私は吸わないけど。
余談だが、以前SNSで喫煙者が「なんで煙草吸わないのに喫茶店来んの? 邪魔」って言っていて震え上がった。別にいいだろ。非喫煙者にもレトロな空間で美味しい珈琲を飲ませてくれよ。
神保町のお作法。カレーで栄養を補給し、ニッチな品揃えの本屋から古書店まで隅々見て回り、買った本を喫茶店でパラパラと開く。
大学時代はよく連れていかれていた。文学部はみんな神保町が好きだから。
やべえこの話あんまり深堀りできないわ。終わり。
ブックオフ。好きですか? 好きじゃないやつ居るの? あ、元バイターとかだと好きじゃないかも。大変そうですもんね。客層がゴミって聞いた。あと、いらっしゃいませこんにちはー、をやらないといけないしな。今はもうやらないのかな?
小学生の頃、父に手を引かれてブックオフに行った。父は立ち読み害悪客なので、暇で仕方ない休日についでに本好きの娘も連れて子守りしつつ立ち読みしようという算段だったのだと思う。ふと顔を上げたところに置いてあった児童文学を手に取り、夢中になって読んだ。特別面白くはなかったのに、読み終わっても手から離せなくて、そのまま買ってもらったのを覚えている。その本はそれから何度も読んだ。とにかく手に馴染んだのだ。運命の出会いと呼んでもいい。幼い私は、既に古書の魅力を知っていた。気兼ねなく触ってよくて、自分では見つけられないラインナップが並んでいて。図書館通いで、他人の触った本に抵抗がなかったのも大きいだろう。
大人になってからのブックオフ。100円棚、ズルい。100円の本なんて実質タダだ。タイトルか著者のどっちかに覚えがあればとりあえず買ってしまう。100円棚をチェックしよ~、と入って、これ気になってたんだよな、と100円以外の本を買ってしまうのは、お約束。時間に余裕があるとついつい吸い込まれては、本を何冊も抱えて出てくる羽目になる。
古物は1点ものだ。運命的な出会いを求め、私はまた宝の山に足を運ぶ。それはセカストかもしれないし、高円寺かもしれないし、神保町かもしれないし、ブックオフかもしれない。時折、街の古書店だとか、個人経営リサイクルショップだとかに潜んでは、熱い視線で私を射抜く古物たちが居る。家具家電も中古で揃えた。秋葉原の中古PCショップも侮れない。見る目は勿論必要だ。審美眼も選定基準もまだ確立できていないが、こんな買い物を続けていればいずれ多少はこなれるだろう。皆様も、わくわくしながら棚に手をかけ、ワゴンを切り崩し、一目惚れの快楽に溺れてみてはいかがだろうか。

ここで筆を置くこともできた。敢えて少しだけ続けよう。
まだ安物を買っているうちはいい。安いからという理由で古物を買うのなら。クリシェを引用しよう。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ。さあ、確実な審美眼や確固たる選定基準を身に着けた私は、訪れるであろう強い物欲に抗えるだろうか? 知れば知るほど、「よいもの」が「安い」ということがわかるようになる。そう、たとえば、「ゲーミングPC」が「12万」だったり。相場を知っていれば安い。だが自分の財布にとってはどうか?
古着、古本、中古家電やPC。すべて日常に使うものだ。まだいいじゃないか。でも、もし美しいアンティーク陶磁器が私の眼前に現れたら? 古めかしくて可憐なビスクドールと目が合ったら? 手に入れたとしよう。ひとつで物足りるだろうか? コレクター精神が芽生えてきてしまうのでは?
私は、このトレジャーハンティングの過程で、いつか私の人生を……私そのものを狂わせる「もの」と遭遇してしまうかもしれない。……遭遇したいのかも、しれない。そんな危機感と、僅かばかりの期待を胸に、また古物商に通うのだった。

……よく考えたら、買い取る側の方が効率よさそうだな。
やっぱりリサイクルショップの店長さんになるべきだったかな。

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本日はおまけが長くなりすぎたのでまるっと有料別記事にしました!
もしかしたら本文より面白いカモ。セールストークじゃなく。
https://note.com/anagramargura/n/ndc2ab7b5cf4b

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