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誰かのために才能を使う〜anagonの日記 5/25〜

はじめに

今日は1日とっても長かったです。
昨日早く寝たせいか、朝の4時には起きちゃって、そこからずっと色々やってました。

まあ夜はすぐまた10時過ぎに寝たんですけどね。


①今日あったこと

1.朝の4時に目覚めた

昨日早く寝たせいで、朝の4時に目覚めました。
しかもめちゃくちゃ寝覚が良かったせいで、二度寝する気にもなれず、今日は色々やるか〜って感じになりました。

2.レポート3個片付けた

9時くらいまでに一気に受けてなかった授業と、レポート課題3つを片付けました。
めちゃくちゃ勉強した〜ってなったらまだ9時でビビりました。

3.ギタードラムピアノベース練習した

毎日触っているので、結構上達するまでが早くて、暴れながらでもフレーズがわりと弾けるようになってきました。
まあ部屋で暴れても誰もみてはくれないんですけどね。

4.Mr.Childrenの花歌った

今日の一曲は、リクエストもらっていたMr.Childrenの「花-Memento-Mori-」を歌いました!
この曲は、ミスチルの中でもかなり好きな曲で、変態的な構成もいいし、歌詞がね多分もっと大人になったらより染みるんだろうなあって思って曲で、聞くたびにしみ具合が変わってくる曲です。

ぜひ聴いてみてください!

5.牛丼食べた

今日は無性に牛丼が食べたくなったので、お父さんに頼んで買ってきてもらいました。
ねぎのってるやつね。
あれが一番うまいです。帰国後初牛丼幸せでした。

6.LES WORLDのミーティングした

色々決めました。たなかこうすけくんが相変わらず落ち着きがなくて笑いました。
昼寝のタイミング逃して、1日寝てなかったので、めちゃくちゃ眠かったんですけど、楽しかったです。


②今日思ったこと

1.正しい情報を透明性を持って伝えるのはとても大事って話

今日は朝から、日露戦争についてのレポートを書いていたわけですが、その中で思ったことがあります。

日露戦争は、日本ももうお金ないしこれ以上戦争は続けられない、ロシアも革命起きちゃって無理、ってちうので一応日本が勝ったことになりましたが、日比谷焼打事件とか戸水事件とか、日露戦争には辛うじて勝ったにもかかわらず国民はブチギレたわけです。

これは本来戦勝国に対しては賠償金が敗戦国からもらえるはずなのに一円も入らずというのが、主にその国民の怒りを買ったわけですね。
日露戦争の間に、増税や兵士の出征で国民には負担があって、さらに報道では日本の快勝がひたすら謳われていた。

それがいざ終わったらこんな形。そりゃ国民もきれるわけです。

そして当時の白人優位主義の中で、ロシアに勝利した日本の国民という自負が、こういった国民の蜂起や、その後の帝国主義時代の日本の形成の一端を担ったのではないかとも考えられます。

まぁそれは置いといて、じゃぁどうしたらこんな大規模な蜂起が起きないですんだのか。

簡単な話ではないですが、
やっぱり正しい情報を透明性を持って伝える勇気が必要だったのかなと思います。
もちろん当時は情報の統制がされてますし、そこでちゃんとした情報を伝えるというのは、警察に逮捕されたり、自費で出版したり、そういう大変なことばかりです。

しかし、その勇気を持ってして、正しい情報を、熱されすぎた国民に真実を、届けることができていたら。
国民全員でなくても、少しでも真実を知っている人が増え、それが拡大していれば、

蜂起もここまで大きくはならなかったかもしれない。
太平洋戦争というのちの戦争には進まなかったかもしれない。

力の強い機関や、人による報道は、世界を、民意を良くも悪くも変えてしまうのだと思います。

だからこそ、間違いは間違いと、正しいことは正しいと、「透明性」を持った信頼できる情報を発信する必要があるのです。


2.誰かのために動けるやつが強いって話

今日は内田樹さんの「格差と若者の非活動性について」という記事を読んでたのですが、

こんな文が書いてありました。

能力というのは「入会地」のようなもの、みんなが公共的に利用するものです。それがたまたまある個人に「天が授けた」。
だから、背が高い人は高いところにあるものを手の届かない人のために取ってあげる。眼の良い人は嵐の接近や「陸地が見えた」ことをいちはやく知らせる。鼻のきく人が火事の発生に気づいて警鐘を鳴らす。そのようにして天賦の能力は「同胞のため」に用いるべきものなのです。

これがとても響きました。

そもそもの話としては、なぜ今の若者は社会に対して何かを訴えたりしないのか?という話でして、

それに対して、
内田樹さんは「能力のあるもの、努力をしたものはそれにふさわしい報酬を受け取る権利がある。能力のないもの、努力を怠ったものはそれにふさわしい罰を受けるべきである」というイデオロギーの刷り込みによって、今の日本の若者たちが「『連帯の作法」というものを見失い、どうやって同じ歴史的状況を生きている、利害をともにする同胞たちと連帯すればよいのか、その方法を知らない」からであると言ってます。

このイデオロギーの刷り込みによって「能力主義」「成果主義」「数値主義」が浸透し、若者は「世代間の不公平については「怒り」を感じ、同世代間の不公平については『あきらめ』を感じ、そのような社会的不備の原因を質し、解決策を講じるということについては「無関心」を感じている」ということも言っています。

これはめちゃくちゃ的を得てるような気がしました。
能力主義や成果主義などが学校などの教育機関をはじめ、ありとあらゆる場所で見られるなか、

自分が良い環境にいるのは自分の能力が高いから、自分が頑張って成果を出したからである、だから、それをやってこなかったやつをどうして僕が救う必要がある?という考えになるのは至極当然であると思います。
そしてその思いは同世代に対しては特に強い。

内田さんも、それは若者が悪いわけではないと言います。

が、それでいいとは思いません。

内田さんは「もし自分が努力を止めてしまったら、それで誰かが深く苦しみ、傷つくことになると思ったら、人間は簡単には努力を止められない。自分のために戦う人間は弱く、守るものがいる人間は強い。これは経験的にはきわめて蓋然性の高い命題」と言っていて、

こういった「他者への気遣い」や、「隣人愛の感覚」をどれだけ培えるのかというのが僕ら若者に求められ、それが社会を変えるために必要なのだと思います。

以前僕も、人間の行動原理には「自分のために動く」「自分のために、人のために動くが混ざりつつ動く」「人のために動く」という三つの層が存在し、上に行けば行くほど、高尚である。そしてそれは年齢を重ねるごとに移行するものだが、「人のために動けるようにする」という目的を持った上で、自分の存在、自分の才能をシェアしようと日々取り組むことで、その上層への移行は早まるということを書きました。

まさにそれなんです。

天賦の才能や、努力の才能は、あくまで公共物であり、独占するものではなく、

より良い人間になるためには、他者のためにどれだけ動けるのか、自分や自分の持っているものをシェアしていけるのかというのが必要になってくるんです。

ということで、僕の持ってる才能はひたすらシェアします。あなたの才能もどうぞ多くの方にシェアしてください。


③今日の豆知識「六観音ってなんなん?」

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最近読んでる、森絵都の「風に舞い上がるビニールシート」という本の中で、仏像修復師の話があって、
その中で六菩薩というのが出てきて、なにそれ?ってなったので今日はそれについて調べました!

Q1.六観音ってなに?

あらゆる生命は6種の世界(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道)に生まれ変わりを繰り返すとする六道輪廻の思想の中で、6種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもので、真言系では聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音を六観音と称し、天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とするそうです。

それぞれの分担は地獄道-千手観音聖観音、餓鬼道-聖観音、畜生道-馬頭観音、修羅道-十一面観音、人道-准胝観音、天道-如意輪観音という組み合わせになっているそう。

2.それぞれどんな観音なん?

ざっくり書きます、

・聖観音(餓鬼道)

聖観音はすべての観音菩薩の基本らしいです。慈悲の心であらゆる衆生の悩みと苦しみを救い楽を与える菩薩。
その後出てくる観音との区別のために聖観音(正観音)と呼ばれるようになります。日本ではメジャーでどの時代でも広く信仰されてました。
頭に宝冠、体には天衣、耳飾りや胸飾り・腕輪をつけて、左手に蕾の蓮華を、右手の指先でその花びら開かせようとする形が多いそうです。


・千手観音(地獄道)

千手観音は1000本を持つほかに、頭の上に11面の化仏があって、本面に三眼があり、掌のそれぞれに一眼ずつあるらしいです。
そして、それぞれの手には、日・月・輪宝・宝珠・弓などを持ってます。
仏像を作る場合は、1000個の眼と1000本の手も作れんので、42臂をつくることが多いそうで、これは中央の合唱してる2臂を除く40本の手が1手につき25の衆生を救うと考えるかららしいです。

ちなみに千本の腕がある千手観音はちゃんとあるそうです。大阪の葛井寺に。

・馬頭観音(畜生道)

馬頭観音だけ顔めっちゃ怖いです。
体の色は赤、頭上に白馬頭、三面三目八臂(額に縦に一目を有する)の像で立っているのが多いそうで。胸前で馬の口を模した「馬頭印」という印相を示してます。

・十一面観音(修羅道)

十一面観音は頭部に小さな十一の面相があって、十 一面の配置は、正面の三面は穏やかな慈悲の菩薩相。左の三面が恐ろしい怒りを現わした瞋怒相。右の三面は一見菩薩相に似ていて、しかし上方に牙 をむき出している白牙上出相。後部の一面は大笑している大笑相。そして頭頂には正面を向いて、如来相がつけられていることが多いそうです。
左手に水瓶を持ち、右手は前に向けて開く施無異手の二臂(二本の腕)像が多いらしい。

・不空羂索観音(人間道)

多臂(多くの腕)を持ち、シカの毛皮を身にまとうのが特徴で、この「野獣の毛皮をまとう」という点でヒンドゥー教のシヴァ信仰と関係があるそうな。
日本では一面三目八臂(額に縦に一目を有する)とする像がメジャーで、胸の前で二手が合掌し、二手は与願印を結ぶ。その他の四手には、羂索(網)や蓮華などを持す。

・准胝観音(人間道)

結構マイナー。慈悲深い清浄をもたらす神とされ、仏の母です。
なので、天台宗系では六菩薩には数えられず如来に分類されます。もとはヒンドゥー教の女神であるドゥルガーで、シヴァ神の妃とされているそうで。
手が18本、目が3つ、頭上に仏面がある姿が多いそうです。

・如意輪観音(天道)

如意輪観音像は、原則として全て坐像または半跏趺座(片足を他の足のももの上に組んで座ること)で、立像はまず見かけないそうです。
片膝(かたひざ)を立てて座る六臂の像が多く、六臂像は6本の手のうちの2本に、如意宝珠と法輪とを持っています。


はい、もう奥が深すぎたので、とりあえず簡単に六観音の特徴を書きました。
それぞれの道の特徴とか、如来と観音の違いとか、その辺も気になったのでまた次回書きます。

面白いですねえー。


④今日の歌詞「黎明」

普段の生活で、時々感じることを書きました。


もう外には郵便屋のバイクの音
鳥が鳴きはじめたから多分4時過ぎ
少し残ったぬるいビールを流し込んで
白みはじめた空に煙を吐いた

このアーティストは俺と同い年だっけか
そんなにいい曲とは思えないけどな 
ため息をついて眠る朝
繰り返して明日の僕はたかが知れるな

でも

いつかこの夜が空けるように
今日もなんとか生きてやろう
いつか黎明を迎えられるように
今日もこの夜を生きてやろう

昨日残したポテチはしけってて
鏡越しに見た自分の顔に似てた
散らかったベッドをさらに散らかして
ギターをただかき鳴らす午後3時

駄作に駄作を重ねてどれも変わらずクソ
あの頃は天才だって思ってたけどな
最近じゃどの音達も
たいしたところには連れていってくれないや

でも

いつかこの夜が空けるように
今日もなんとか生きてやろう
いつか黎明を迎えられるように
今日もこの夜を生きてやろう

生きてるだけで丸儲けって
そうは思えないわ
何か残していたい
人には理解されなくたって
自分だけは自分くらい満足させたい

そうやって

いつかこの夜が空けるように
今日もなんとか生きてやろう
いつか黎明を迎えられるように
今日もこの夜を生きてやろう



終わりに

最近筋トレサボってるー、やらなきゃー。



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