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最近読んで面白かった本を軽くまとめる:5/1~/31

こんにちは。あんどーなつです。
先月は5/1~15までに面白い本にほとんど出合えなかったので、紹介noteを書きませんでした。そこで5月のまとめは、変則的ですが、1ヶ月通したものにします。

1冊目は恋愛で困っている人に、2冊目は仕事のベースとなる考え方を身につけたい社会人の方に、3冊目は官能的に愛されたい女性の方におススメです。

愛とためらいの哲学 岸見一郎

「嫌われる勇気」を書いた哲学者の岸見一郎さんの新作です。アドラーのみならず、フロムや三木清、プラトンなど複数の哲学者の「愛」についての見解を引用しながら、「愛とはなにか」「愛することはどのようなことなのか」を哲学的に解説した1冊です。

全4章の構成になっており、まず、第1章と第2章はそれぞれ恋愛と結婚にまつわる困難あるあるが述べられています。「メールの返信がこない」とか「結婚にふみきれない」といった身近な恋愛トラブルの根源的な原因について解説しています。
本書のメインは第3章と第4章からです。第3章では「愛するとはどのようなことなのか」が解説されており、第4章では『幸福になるための「愛する技術」』が述べられています。忙しい方は、第3章から読むのが良いと思います。

この本に興味を持たれる方は、愛について勉強して、自分の恋愛をより良いものにしたいだろうと思います。そこで、第3・4章を通して、良い恋愛を実践するために重要だと思った考えを紹介します。


まず、この本では愛を、落ちるものではなく、決意するものだとしています。すなわち、自分で責任を持つものとして愛を捉えています。

しかし、愛がそうした自然発生的なものであると見ている限り、愛の感情は自分ではどうすることもできないものであるということになってしまいます。愛を自然発生的なものと見れば、関係が上手くいかなかった時、その責任は自分にはないことにできます。
一方で、愛が自然的なものではないことを知り、何が起こっているのかを見る余裕さえあれば、恋愛がうまくいかなくなっても、冷静になることができます。少しでも冷静になることができれば、恋愛の苦しみを軽減することができるようになるでしょう。

関係を長期的に維持するために、愛が自然的なものでないと捉える理由にはとても納得できます。自然発生的でないものなら、なぜ、自分はその人を好きになったのか?と考えた際に理由が見つかるはずです。この本が面白いのは、その問いに対して「人を好きになることに理由はない」としている点です。

あなたには好きな人がいたとします。「なぜその人を好きになったのか」と問われても、答えられないのではありませんか。強いていえば、「この人を好きになろうと決心したから」としか言えないでしょう。

では、一度この人を好きになろうと決心したら、その人をずっと好きでいられるのかというと、それも違うと筆者は述べます。

活動や過程を「持つ」ことはできません。それらは、ただ経験されるだけです。ですから、愛は持つことはできず、経験されるだけです。その経験は、いわば不断に流れるものであり、刻々に変化します。
愛が経験である以上、愛には更新していく努力が不可欠になります。しかし、その努力は、相手とよい関係を築くことを目標とするのですから、決して苦痛ではないはずです。むしろ、それは喜びとしての努力です。

筆者は、努力をする2人は、同じ場所で「生きられる時間」を共有できると述べています。しかし、自分は愛を持っていると驕り、愛される努力と愛そうとする努力をしなくなったとき、2人の間に流れる時間は死んだ時間になるとしています。

生きられる時間は共有されるものであり、その時間は時計で計れる時間ではありません。哲学者の鷲田清一の言葉を借りるならば、他者と時間を縒りあわせ、同じ時間をともに経験することで初めて二人の間に関係が生じるのです。
相手を愛しているからといって、自動的にこの生きられる時間を共有することができるわけではありません。むしろ、生きられる時間を共有できていると感じられた時、愛という感情は生まれるといえますが、これは先に見たように、流れであり、過程です。一緒にいられるのなら、その時間を生きられたものにしなければなりませんし、喧嘩をするなどして時間を死んだものにすることはないのです。

2人で生きられる時間を共有するためには、具体的にどのような努力をしたらいいのでしょうか?筆者は特に3つの努力が必要だとしています。

1. 絶え間なく相手への関心を保つ
2. 相手を無条件で信じる
3. 2人で協力する

特に「2. 相手を無条件で信じる」の解説が素敵だと思ったので、紹介させてください。

信頼するという時、相手の何を信じるのでしょうか。
一つは、相手には課題解決能力があると信じるということです。できないだろうと決めてかからないということです。
相手に課題解決能力があると信じるということは、相手が苦境に陥った時に何とかしなくてはと思わないことでもあります。実際、何もできないことがあります。
例えば、相手が病気になった時、闘病するのを見るのはつらいものです。しかし、だからといって、相手の人生を代わりに生きることはできません。できることはないけれど、相手が自分の課題に向き合う勇気を持っていると信頼することが必要です。
もう一つは、相手の言動にはよい意図があると信じることです。悪意としか思えないことをされたとしても、それでも関係をよくしたいと思うのであれば、相手の言動によい意図を見つける努力をしなければなりません。
相手のよい意図を見ることは難しく思えるかもしれませんが、相手の言動にはよい意図があると信じることができれば、その証拠はいくらでも見つけることができます。そうして、よい意図が見えると、相手との関係はよくなります。

相手を信頼しましょうという指摘はありふれたものですが、相手の課題解決能力と相手の肯定的な気持ちを信じると具体的な対象にまで踏み込んで言及しているのは珍しいと思います。今日から実践してみようと思えるのではないでしょうか。

今回は、本書の中でも実践的な内容の部分をメインにまとめました。上記のまとめが面白く感じられた方なら、普段は哲学の敷居が高く感じてしまう方でも楽しめると思います。恋愛関係に困っている方は、ぜひ一度読んでみてください!

気になった方は↓


武器になる哲学 山口周

こちらも極めて実践的な哲学書です。先ほどは恋愛の実践のための哲学でしたが、これはビジネスで思考を整理するための哲学です。
この本では『筆者自身のコンサルティング経験から、「知っていて本当によかった」と思えるもの、いわば「修羅場を切り開くのに非常に有効だった」』50の哲学や心理学や経済学のコンセプトが紹介されています。

この本で最も面白いと私が思ったのは、第1章の『哲学ほど有用な「道具」はない』です。第2章以降の個々の哲学者の概念の解説も勿論ユニークな視点からの解説で面白いです。しかし、それ以上に第1章が面白いのです。第1章からは筆者がどのように哲学をビジネスと結びつけ活かしているのか、筆者の哲学に対する根本的な考え方が伺えるからです。

第1章は3つのパートから構成されており、以下のような小見出しがつけられています。

1. なぜ、ビジネスパーソンが「哲学」を学ぶべきなのか?
 1.1 状況を正確に洞察する
 1.2 批判思考のツボを学ぶ
 1.3 アジェンダを定める
 1.4 二度と悲劇を起こさないために
2. 本書といわゆる「哲学入門書」の違い
 2.1 目次に時間軸を用いていない
 2.2 個人的な有用性に基づいている
 2.3 哲学以外の領域をカバーしている
3. なぜ、哲学に挫折するのか?
 3.1 歴史上の全ての哲学者の論考を、二軸で整理する
 3.2 「Whatの問い」への答えは、ツマラナイものが多い
 3.3 大切なのは「プロセス」からの学び
 3.4 「我思う、ゆえに我あり」が無意味な理由

ここでは、第一章からビジネスで活かせる哲学脳を作るポイントを考えてみたいと思います。

【1. なぜ、ビジネスパーソンが「哲学」を学ぶべきなのか?】で、なるほどなあと私が特に納得したのは「1.1 状況を正確に洞察する」と「1.3 アジェンダを定める」です。それぞれ具体例が面白かったので、長くなりますが該当部分を抜粋します。

ー1.1 状況を正確に洞察するより

哲学を学ぶことの最大の効用は、「いま、目の前で何が起きているのか」を深く洞察するためのヒントを数多く手に入れることができるということです。そして、この「いま、目の前で何が起きているのか」という問いは、言うまでもなく、多くの経営者や社会運動家が向き合わなければならない、最重要の問いでもあります。
例えば、いま世界で教育革命と言われる流れが進行していますね。フィンランドのそれが最も有名ですが、例えば、年次別のカリキュラムを止めてしまう、教科別の授業を止めてしまうという流れです。日本で育った私たちからすると、学校の授業といえば、同じ年齢の子供が教室に並んで、同じ教科を同時に勉強する、というイメージが強く、フィンランドで採用されているこのシステムは奇異にきこえるかもしれません。自分たちが慣れ親しんでいるものとは異なる、なんらかの「新しい教育の仕組み」が出てきた、という理解です。
ところが、ここで弁証法という枠組みを用いて考えてみると違う理解が立ち上がってくる。それは「新しい教育システムがでてきた」ということではなく、「古い教育システムが復活してきた」という理解です。
ある一定の年齢になった子供を同じ場所に集めて、単位時間を区切って同じ教科を学ばせるという、私たちが慣れ親しんでいる教育システムは、明治時代の富国強兵政策のもとに、大量の子供に工場のように教育を施すために編み出されたシステムです。
では明治維新以前はどういうシステムだったかというと、これはいわゆる寺子屋ということになります。この寺子屋のシステムを振り返ってみると、年齢もバラバラ、学ぶ教科もバラバラということで、現在世界で進めようとしている教育システムの方向性に近い。
つまり、近代の教育システムに慣れ親しんでいる私たちからみると、大変「新しい」ように見えるものが、実は長い時間軸で考えてみると、「古い」ものだということです。だたし、「古いもの」が「古い」まま復活したのでは、単なる後退ということになってしまいます。この時、古いシステムは、なんらかの発展的要素を含んで回帰してくる。教育システムの場合、この「発展的要素」はICTということになるわけです。
この教育システムの話は一例ですが、この動きを「過去のシステムの発展的な回帰だ」として洞察できるかどうかは、弁証法というコンセプトを知っているかどうかによって大きく変わってきます。

ー1.3 アジェンダを定めるより

アジェンダとは「課題」のことです。なぜ、「課題を定める」ことが重要かというと、これがイノベーションの起点となるからです。
筆者は、前著『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』を執筆した際、社会から「イノベーター」と認められている人々に数多くインタビューを実施しましたが、そこで特徴的だったのは、そのうちの誰一人として「イノベーションを起こそう」と思って仕事をしているのではなく、必ず具体的な「解決したい課題」があって仕事をしています。イノベーションの停滞が叫ばれて久しいですが、停滞の最大の原因となっている最大のボトルネックは「アイディア」や「創造性」ではない、そもそも解きたい「課題=アジェンダ」がないということです。
イノベーションに関する考察では、よく「常識を捨てろ」とか「常識を疑え」といった安易な指摘がなされますが、そのような指摘には「なぜ世の中に常識というものが生まれ、それは根強く動かし難いものになっているのか」という論点についての洞察がまったく欠けています。「常識を疑う」という行為には実はとてもコストがかかるわけです。一方で、イノベーションを駆動するには「常識への疑問」がどうしても必要になり、ここにパラドクスが生まれます。
結論から言えば、このパラドクスを解く鍵は一つしかありません。重要なんは、よく言われるようにな「常識を疑う」という態度を身につけることではなく、「見送っていい常識」と「疑うべき常識」を見極める選球眼を身につけることです。そしてこの選球眼を与えてくれるのが、空間軸・時間軸での知識の広がり=教養だということです。

このように、第一章を読んでいくと哲学をビジネスで用いる際に必要な思考回路が見えてくるように思います。個別に引用していくと、とても長くなってしまうので、これ以上は引用しませんが、第一章の目次と思考回路を対応づけると以下のようになると私は考えます。

1. なぜ、ビジネスパーソンが「哲学」を学ぶべきなのか?
 1.1 状況を正確に洞察する
   →具体的な状況を一般化する
 1.2 批判思考のツボを学ぶ
   →否定を伴う変化を推し進める必要性を学ぶ
 1.3 アジェンダを定める
   →最も根源的な「なぜ」を考える
 1.4 二度と悲劇を起こさないために
   →自分の愚かさを自覚する
2. 本書といわゆる「哲学入門書」の違い
 2.1 目次に時間軸を用いていない   
   →順序だてる必要は必ずしもなくつまみ食いの勉強でも有効
 
2.2 個人的な有用性に基づいている
   →有用な考えを取捨選択する
 
2.3 哲学以外の領域をカバーしている
   →学問の領域にとらわれず学ぶ貪欲さを持つ
3. なぜ、哲学に挫折するのか?
 3.1 歴史上の全ての哲学者の論考を、二軸で整理する
   →自分の軸で既存の考え方を整理してみる
 3.2 「Whatの問い」への答えは、ツマラナイものが多い
   →面白い学び方を探すように思考の観点を変えてみる
 3.3 大切なのは「プロセス」からの学び
   →考えがうまれた背景に目を向ける
 
3.4 「我思う、ゆえに我あり」が無意味な理由 
   →手っ取り早い学びを求めない

紹介されている50個のコンセプトは、上記の思考回路を複数個組み合わせて解説されています。具体的に、どうやって思考すればいいのだろう?と疑問に思った方はぜひ読んでみてください。

気になった方は↓


娼年 石田衣良

松坂桃李さん主演で映画化された娼年の原作です。ストーリーは映画とほとんど同じですが、原作は映画以上に女性の美しさが官能的に表現されています。

私が特に気に入ったのは以下の描写です。主人公リョウが娼年として最初に仕事をした女性、ヒロミさんとの行為の一幕です。

「ここでキスして」
目を閉じ、白いのどを見せる。薄い上唇の輪郭より一ミリほど口紅のラインがふくらんでいた。かすかに受け口ぎみの下唇はボリュームがあり、ふれたらはぜてしまいそうだ。
ぼくは最初から口にキスするのが惜しくなった。

女性の私がいうのも変な話かもしれませんが、娼年を読んで女性の美しさをしみじみと感じました。先ほどの描写は、唇にフォーカスしていますが、普段何気なくするリップのラインも男性から見ると非常に官能的ものなのだなと新鮮に感じられたからです。

娼年はシリーズものになっており、続編として「逝年」「爽年」の2冊があります。続編も読みましたが、官能的な雰囲気を醸しつつ女性の美しさを最も繊細に描いているのは娼年だと思います。

娼年に登場する女性の多くは30代以上の女性です。ただ「可愛い」「綺麗」と言われるのには飽きてしまったであろう女性をどのように褒めるのか。この観点で娼年を見ると、男性も楽しめる作品なのではないかと思います。映画を観て気に入った方はぜひ原作も読んでみてください!

気になった方は

~Fin~




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