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命綱を編む。

きょうはまたひとつ、生きるための命綱を編むために外出してきた。マイカーなどという素敵なアイテムは所持していないため、自転車をこいで20分の距離にある役場へ。

さくやの時点で、
「行けなくてもいい」
「起きれなくてもいい」
「天気や体調で決めていい」
「気分が向かなかったら行かなくていい」
「睡眠障害の影響を無視しなくていい」
などなど。たくさんの保険もどきをかけておいた。
起床してすぐはだるくてどうしようかと迷ったが、朝食を食べ、歯磨きをし、洗顔までできたので行くことにした。

道中、自転車をこぎながら稲が刈り取られた田んぼを眺める。それはいくつもある。稲花粉が心配だったが、あらかじめ飲んでおいた薬もありだいじょうぶそう。
のんびりのんびり、薄い雲を透過してくる陽光を浴びながら進む。用事を済ませる前から疲れてしまわないように。
稲が刈られていない田んぼが見えてくる。稲穂の揺れる様がうつくしい、黄金の恵みだ。花粉も少しくらいなら我慢してやろうかな、などとおもう。嘘、やっぱり花粉症はつらいので、季節に進んでほしいと考える。同時にわたしの人生も進む。

やや汗ばんでくる頃、曼珠沙華が咲いているのをみる。鮮やかでこちらもうつくしい。ことしもみることができてうれしく感じる。
役場に到着する。手を消毒し、顔の表面温度を計る。異常なし。

役場では案内してくれる職員の向こうで、たくさんのひとが立ち働いていた。ここは田舎だが、田舎であろうがひとの暮らしは止まることなく営まれている。都会の役場と比べたら訪問者の待ち時間などはだいぶん短いのではないかと予想するが、それでもみなさん忙しそうにPCや電話に向かっている。立ったまま話し合う職員の姿も多い。
働いているひとたちを見ながら、でも卑屈になることはなかった。わたしはわたしの人生を生きる責任があり、それを全うするためにここに来た。こんな風に働いて安定した生活を手に入れてみたくはあるけれど、きょうは感傷に浸りに来たのではない。だいじょうぶ。わたしはわたしを生きていく。

考えていた制度の説明を聞いて書類に記入をし、20分と少しで用事が終わる。これで次の指示を待つだけになった。難しいことがなくてほっとする。ひととしゃべるのが苦手なわけではないのが良かったことのひとつだと改めておもう。

帰り道。ホームセンターにでも寄ろうかと考えた。疲れが出ていたのであきらめてまっすぐ帰る。帰路でも曼珠沙華をみ、稲穂のうつくしさを目にしながら自転車をこぐ。
のんびりのんびり、帰っていく。

少し前だったら、のんびりすることも耐えられなかった。その日やりたかったことができなくて、そんなじぶんが大嫌いだった。いや、嫌いとおもう気力もなく、ただ嫌だった、かもしれない。きょうはやりたかったことができたが、できなくても良かった。それをやる日がきょうではなかったというだけの話だ。

無事に帰宅する。気分をコントロールできなくなるようなハプニングもなく、交通ルールを(当然ながら)無視するようなこともなく。

ああ、だいじょうぶだ。徒然と流れていく人生の1日となり、きょうが終わっていきそう。新たな網目のひとつが増え、命綱は順調に伸び、強度を増していく。

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