haruno

はじめまして。一生懸命に生きています。読書と音楽とお洋服がすき。お気に入りのことばは凜…

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はじめまして。一生懸命に生きています。読書と音楽とお洋服がすき。お気に入りのことばは凜冽。苦手なことばは個性。

最近の記事

死にたくてどうしようもないから歌うんだよ。

森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」がすきだった。丸暗記してよく歌った。 “くたばる喜び とっておけ” けれど歌いすぎて、わたしのなかに存在していた歌のパワーが消滅してしまった。いや、消費し尽くされたといったほうがいいのか。 歌うことでは命を紡げなくなってしまった悲しみはおおきく、悪あがきのように歌う。諦めているのに諦めていないかのように。 死にたくてどうしようもなくて、その事実がどれだけ大切なひとを傷付けようが、じぶんを傷付けようが、変わらずどうしようもなく死に

    • 命綱を編む。

      きょうはまたひとつ、生きるための命綱を編むために外出してきた。マイカーなどという素敵なアイテムは所持していないため、自転車をこいで20分の距離にある役場へ。 さくやの時点で、 「行けなくてもいい」 「起きれなくてもいい」 「天気や体調で決めていい」 「気分が向かなかったら行かなくていい」 「睡眠障害の影響を無視しなくていい」 などなど。たくさんの保険もどきをかけておいた。 起床してすぐはだるくてどうしようかと迷ったが、朝食を食べ、歯磨きをし、洗顔までできたので行くことにした

      • 足りなくても足りている。

        ぜんかいの診察で、身の丈に合った生活や手に入らないものを諦める方法などについて話した。いつも話していることではあるが、なんども話すことで客観性を身に付ける、訓練の一種と捉えている。診察時には欠かせない、無駄のようにおもえることもあるが実際には1ミリも無駄ではない対話だ。 手のひらに乗る分量で十分なはずなのに、つい足りない気がしてあれもこれも持とうとしてしまう。じぶんには必要なかったとけじめをつけて手放す。じぶんには無理だと自覚して遠くから眺めることで満足する。この世に存在す

        • 「あなたがお母さんを愛しているということ」。

          よく執着について考える。 数年前の診察で「母はあれをしてくれたことも、これをしてくれたことも覚えていない。わたしは覚えているのに」と話したことがある。もちろん俎上に載せるのはこのときだけではなかったが、おおきな話題のひとつとして話した。 例えば何かを買ってくれたことも、わたしはこれは「お母さんが買ってくれたもの」と覚えているが、母は「そんなもの買ったっけ?」という感じ。それこそ30代にもなったいい年齢の女がおもうことではないのだが、そうやって、わたしは母に大切にされたという記

        死にたくてどうしようもないから歌うんだよ。

          死ななかったあの日。

          二十歳を過ぎた頃、もうこれ以上耐えられないとどうしようもなかったとき。友人が「置いてかないでよ」と言ってくれた。 いつだったか、こんな家ではもう生きていられないと号泣して訴えたとき、友人はわたしのあまりの泣きっぷりに笑いだし、笑われたほうは「なんで笑うの!」と怒りだした。 けっきょく次の日もわたしは生きていて、その友人とときどき美術館に行ったりしている。美味しいものを食べたり、かわいいものに触れたりして、あの日の続きを生きている。 そうとう面倒で迷惑で厄介だったろう。何より心

          死ななかったあの日。

          大山誠一郎さん『記憶の中の誘拐 赤い博物館』(文春文庫)読了。

          さくねん6月に刊行されたアンソロジー『神様の罠』(文春文庫)で、なんてこったい! となったのが大山誠一郎さんの『孤独な容疑者』だった。この作品を含めてシリーズとして出版されると聞き、とても楽しみにしていた。 ちなみにこのアンソロジーを購入した理由というのがあって、それは有栖川有栖さんと辻村深月さんが執筆者を代表して登壇される「オンライン読書会」なるものに参加したかったため。有栖川さんも辻村さんもだいすきな作品の作者、積極的に追いかけている。honto購入者限定だったのでウェ

          大山誠一郎さん『記憶の中の誘拐 赤い博物館』(文春文庫)読了。

          じぶんいじめ。

          過食が止まらない。食パンと冷凍してある白米がみるみる減っていく。まったく落ち着かない過食に、拒食症になりたいとすら思う。声には出さないけれど。その苦しみをわたしは知らない。 けれど過食症の苦しみなら嫌というほど知っている。もったいないお化けが出てきてもおかしくない。吐いてしまいたい。もったいなくてのた打ち回りながらがまんする。吐いてしまいたい。そんなことをしてももうどうしようもないと知っているからがまんする。 稀に吐く。水を飲みまくって吐く。惨めな気分に全身どっぷり浸かる。嫌

          じぶんいじめ。

          多和田葉子さん『献灯使』(講談社文庫)読了。

          多和田葉子さんの本を初めて読んだのは2020年5月のことで、それがどの作品かというと『地球にちりばめられて』(講談社)だった。前々から気になってはいたのに、学がないわたしに読み切れるだろうかと不安で手を出していなかった。続編の『星に仄めかされて』の単行本が刊行されたタイミングで、えいやっと手に取った。これが大正解だった。 こんなに素晴らしい作家を、世界よなぜ隠していた! と憤慨したものだが、単にわたしが知らなかっただけで多和田さんはずっと存在していた。知らないままでいたいこ

          多和田葉子さん『献灯使』(講談社文庫)読了。

          2021年に読んで印象に残った本。

          そんなにたくさん読めたわけではないのだけれど、数冊じんわりと余韻を残してくれたものがあったので書き残しておく。 だいすきな有栖川有栖さんの江神シリーズが掲載されているので購入したら、大山誠一郎さんの作品にひっくり返った。せんじつ刊行された『思い出の中の誘拐 赤い博物館』を購入してきてあるので、読むのが楽しみ。 ここ数年ほど窪美澄さんの小説を読んでいなかったけれど、積ん読していたのをようやく読んだ。こころが温かくなるようなものを読みたいというタイミングで読めたことが、とても

          2021年に読んで印象に残った本。

          図書館がこころを拒んだ日。

          家にも、学校にもいられないとき。行き場がないとき。 よく図書館へ逃げていた。だいすきな本に縋りついてずうっと居座っていても、誰にも注意されないすばらしい場所だった。 およそ2年前に緊急事態宣言なるものが発令されたとき。図書館や夜の公園でしか息をすることができない若者たちの受け皿はどこにあるのだろうと考え、危惧した。若者の居場所がどんどん奪われて、しかしその現実に呆然とするしかない。年長者として恥ずかしく、でもどうしたらいいのかわからなくて俯くしかなかった。 家が、学校が。

          図書館がこころを拒んだ日。

          がさつな親と繊細な子ども。

          がさつな親と繊細な子ども。 母とわたしの関係はそう形容できるらしい。主治医によると。 子ども時代の躓き。じぶんの性質もあったろうが、母に大事にされなかった、優先されず後回しにされる子どもだった、という事実が原因のひとつになっていると言えるだろう。 小学四年生のとき、16歳のとき。いつもいつも、わたしの意見や気持ちは後回しにされ、なんならなかったことにされた。 母の得意技。「お母さんはそんなこと言ってない」。言ってるんだよ。覚えていないだけで。あなたの大好きな記憶の改ざんは、

          がさつな親と繊細な子ども。