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「あなたがお母さんを愛しているということ」。

よく執着について考える。
数年前の診察で「母はあれをしてくれたことも、これをしてくれたことも覚えていない。わたしは覚えているのに」と話したことがある。もちろん俎上に載せるのはこのときだけではなかったが、おおきな話題のひとつとして話した。
例えば何かを買ってくれたことも、わたしはこれは「お母さんが買ってくれたもの」と覚えているが、母は「そんなもの買ったっけ?」という感じ。それこそ30代にもなったいい年齢の女がおもうことではないのだが、そうやって、わたしは母に大切にされたという記憶を新鮮なものとして上書きしているのだとおもう。

あれをしてくれた、これをしてくれた、と考えて記憶を強化することは、つまり悲しい行為ではあろう。ただ、主治医からすると「そういう事実があったことを覚えていてほしいとおもうのは、あなたがお母さんを愛しているという証拠なんですよ」ということらしい。このあたりの言い回しは複雑で表現しにくいし、膨大な対話が発生しているためわかりやすく掬いあげることはできない。しかしこれを言われたとき。わたしはもう仰天し、おもわず「そうなんですか?!」と大声が出てしまった。
さらにその際、頭にあったのが京極夏彦さんの『地獄の楽しみ方』(講談社)であった。

この本には、非常におもしろい京極夏彦さんの特別講座が収録されてある。何も考えずに読んでもおもしろいのでただでさえ(?)おすすめの一冊なのだが、そのなかに“「愛」という便利で危険な言葉”という見出しでまとめられている項目がある。

「愛」という漢字は三つのパートに分かれます。まず、真ん中に「心」がありますね。下にあるのは足です。上のほうにチョンチョンチョンと冠みたいなのがある。あれは「立ちどまって振り返る」という象形文字なんです。

P.097

さらに続いて、

「愛」は、仏教で言うなら「執着」です。夫婦愛は伴侶に対して執着を持つこと。家族愛は家族に執着を持つこと。愛国心は国に執着を持つこと。仏教においては、これら執着は全て捨て去るべきものと説かれます。

P.097

この本を読んだばかりだったのかどうかは覚えていないが、そうでなくても“愛=執着”というのは新しい概念ではないとおもう。みんな一度は聞いたことがあるのではないだろうか。この“愛=執着”の図式が頭にあったため、主治医の先の発言に対し「愛は執着というやつですか」と返したのだった。

対話はそのうち様々な方向に展開していったのだが、それにしてもこの主治医の発言は強い印象を残した。母がしてくれた小さなことを大事に抱えて、変化したいのにできない状態に苦しんでいる事実もあった。
こんなに色んなことをしてくれたのに、親不孝でいる。そう考えてしまうと、自分軸で思考することが困難になってしまう。
してくれたことには単純に感謝し、けれどそれはそれ。細かいことをすべて抱え込むのではなくその場に置いて行く。そのときの記憶に任せ、前へ進む。そしてじぶんのための荷物を持つ両手を得て、次への一歩を歩む。わかってはいても、それだけのことがなんて難しい。

主治医は母の解説もしてくれた。何年もかけてわたしと母、家族についての対話を繰り返してきたので、主治医が感じる客観的な母の姿。それは「何かを買ってあげた時点で、何かをしてあげた時点でお母さんは満足している」というものだった。すとんと理解できたし、なるほどなとおもった。
なにも装飾品や贅沢品を買ってもらうわけではない。そのとき必要なものを、収入がないために母に買ってもらう。特に通院代など、母が出してくれなければ治療の継続すら難しかった時期もある。そういうとき、わたしは母がしてくれたことを大切に大切におもい出す。

ある側面から見たら、母は間違いなく毒親であろう。それはわたしの人生が証明している。しかし、また別の側面から見たら、母はおそらく娘のためにいろいろなことをしてくれる、なかなかいない素晴らしい母なのである。それもわたしの人生が証明している。
こういったあらゆる面があって初めて、人間はひとりとして成立することも、通院を続けてわかるようになった。母が援助してくれたおかげでここまでこられた事実。しかしこの両親のもとに生まれなければこんな人生にはならなかったのではないかと考えずにはいられない事実。
いつも矛盾を抱え、矛盾を抱えながら生きている。そして抱えたまま生きるための膨大な対話が、いまも積みあがっている状態なのだろう。

母に感謝しながら、でも許せないことがあまりにも多い。その狭間で苦しみながら、きょうも自分自身と向き合っている。

仏教については詳しくないが、その説教を額面通りに受け止めるならば。執着は手放すべきものであるそうな。手放せたなら、なにかから解放されるのだろうか。修行などできるわけがないが、例えばしてくれたことの反対だとか。
迎えに来てくれなかったこと。
約束を破ったこと。
守ってくれなかったこと。
そういう苦しみを手放せたなら。怒って怒って、泣いて、それでも足りなかったらもっと怒って、もっと泣いて。そんな繰り返しがいつか、この執着をもっとましなものにしてくれる解放の日。来たらいいとおもう。

お得な文庫版も。

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