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そこに、「生活者」としての視点はあるのか。


SNSを見ていると、思っていたよりも反響があった地元の「プラごみゼロ」宣言。正直、唐突すぎてびっくりしたというのが市民としての感想だった。

わたし自身も数年前からエコバッグを持ち歩いていたし、毎回というわけではないけれど、レジ袋が入らないときは断るようにしていた。


そうするようになった1番のきっかけは、市内のお店で買い物をするようになったことだと思う。

ここ数年で、生産者や顔をよく知った方々から直接ものを購入する機会が増え、毎回のようにレジ袋をもらうことになんだか申し訳なさを感じるようになっていて。家用のゴミ袋として二次利用することはあるので、あると嬉しい時があるのは事実だけど、そんなにたくさんもらっても困る。


この宣言については賛否両論あると思うし、そもそも市民や商店主からすれば結構突然な出来事だったんじゃないかな。それに、「2020年までにプラスチック製レジ袋の使用禁止」という言葉だけが一人歩きしてしまっているようにも思う。

そのギャップを埋めるためには、「みんながゴミのことを考えなければ!」という使命感からはなにも生まれないだろうし、離れてしまった関心の距離を地道に詰めていく作業が必要なんだと思う。

「ゴミ問題について まちの若者と考えるためには、どんなアプローチをすればいいのだろうか」というよりも、ゴミが出ない生活にはどんなものがあって・どんなものがないのかをリストアップして、わたしたち若者が「いいな!」と思える「ひと・もの・かね・じょうほう」の循環を生みだすことが大切な気がしていて。


そこに、思わずそうしたくなる「たのしさ」や「おもしろさ」があるかどうかは大事なポイントだと思う。環境保全はたしかに大事なのだけど、ストレートに伝えたところで伝わりづらい。

これだけいろんなものが溢れているいまだから、シンプルに伝えていける場が必要なんじゃないなかな。そこに「まち」としてのアイデンティティがちゃんと乗っかっているかどうかもきっと大事なポイントなんだろうな。

台北に行ったときに、どうしても訪ねたかった「森林島嶼 forestmosa」。とても気持ちのいい空間でした。木のスピーカーとカードケースがすてきだったので、プレゼントとして購入。

未来のわたしたちの納得感をつくるために、いま「わたし」ができることはなんだろう。

今日は、薬局も本屋もレジ袋を断ってみた。まずは、自分の生活のサイクルに取り入れるところから考えてみようと思う。

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本日のアイキャッチ画像は、三輪夏生さんのイラストをお借りしました。すてきなイラストをありがとうございます!


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