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読みたいときに訪れる、自分用の本棚。
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2018年6月の記事一覧

「古き良き」の正体をさぐる。

アイキャッチ画像のような光景を目の当たりにしたときに、「古くさい」とか「味わい深い」と感じたり思ったりするのは個人の自由ですよね。 わたしはどちらかというと後者側にいるのだけれど、たぶんそれは、日常生活で馴染みがないからそう感じるんだと思います。 お仕事やプライベートでいろんなまちを訪れるたびに、魅力を感じるには生活とそれが近すぎる方や、魅力と伝えることを謙遜しておられる方に出会うことが時々あります。 それに対してすこしだけ、もったいないと感じることも。 //////

丹後へ行ってきます。

あいにくの空模様ですが、今日は午後から丹後へ行ってまいります。 半分休みで半分仕事。 さてさて、今回はどんな出会いがあるだろう。 たのしみっ!

遠くを眺めながら。

目の前のことに集中できなくなったときは、なるべく遠くを眺めることにしています。 明確なゴールなんていまはないけれど、方位磁針をもっている間は、道のりがどれだけ長くても短く感じてしまうんだろうな。 ふと、自分がやっていることを振り返ったときに、 “ゆくゆくは、地元がこんな風になったらいいよね” みたいなところを目指しているのは間違いないので、いまはちゃんと、目の前のことを続けていけたらと思います。 すこしずつなにかできそうな同世代の仲間が増えてきたので、それぞれが自立しな

情報を浴びながら。

わたし達は日々、いろんな情報をいろんな方法で体内に取り入れ、各々に咀嚼し、カラダの一部にしています。 得たい情報を手に入れやすくなったいま、情報の発信源がだれであるかが重要視されるようになり、だんだんとその信用元が「個」に移行してきましたよね。 その人となりを判断したうえで、もしくは、おもしろそうなことをしている「この人から情報を得たい」と思うから、フォローボタンをポチッとするわけです。 /////////////////////////////////// いまはま

書くことと描くこと。

どちらかと言えば、書くことよりも描くことが得意な子どもでした。 小さい頃はスポーツと同じくらい絵でも賞状もらってたんじゃないかな。もちろん、佳作とかも合わせてなので、さほど大したことはありませんが。 文章を書くのはそれほど上手ではなく、なにかの感想文を書かせた日には「今日は〇〇をしました。嬉しかったです。」程度のひどい出来ばえだった気がします。そんな状況なのに、夏休みの定番「読書感想文」では、書きにくそうな星新一さんの本を読んでいました。あとは、バスケ漫画か世界情勢につい

W杯を観ながら思ったこと。

未だかつてないほどに、ワールドカップを観ている気がします。これまでだったら、深夜のキックオフなんて絶対に観なかったはずなのに。  なんとなしに「今日からはじまるなぁ」と思って観ていた初戦のコロンビア戦で、香川選手がPKを決めてから一気に惹き込まれ、気がつけばその後のポーランド VS. セネガルまでばっちり観てしまいました。 そして昨夜のセネガル戦。 田舎の戸建てに住んでいるので、周りを気にせずに母とワーワー叫びながら観ていました。素人目に観ても、もう1点取れそうな瞬間は

忘れてもいいよ、わたしが覚えてる。

すこしずつ認知症が進行していく祖母との日々は、考えさせられることが多いです。 3分以内に先ほどと同じ話をはじめること、いろんなことに「がまん」ができなくなってきたこと、気分の浮き沈みなどなど、毎日いろんな顔をしながらわが家にやってきます。 (* 祖母とは母屋と離れのような感じで、同じ敷地内に住んでいます。) お昼間は機嫌が良くても、夜になるとこの世の終わりのような顔をしていたり、全てに感謝を述べるくらいテンションが高い夜だったとしても、朝になったら何もかもイヤイヤ病を発

ひとだからこそ、できること。

というところに、わたしはこれからもフォーカスを当てていくんだろうなと思います。 世の中がどうとか流行りだからどうとかではなく、ひとの可能性みたいなものに、やっぱり賭けてみたい。商店街の店主、職人さん、アーティスト、そして、まちで暮らすいろんなひとたち。 やりたい! とだれかが思えるような物事はきっと、これからも残りつづけると思うから。 //////////////////////////////////////// 例えば、伝統工芸などの手仕事を「日本の未来のために残

アイデアが生まれた日。

「やりたいこと」と「できること」がクロスするところにいられるってすごいなって思うんです。 わたしはまだ、そこまでたどり着けていなくて、そのために「やらなければならないこと」を日々コツコツと続けているところです。 /////////////////////////////////////// 「できること」のところには、①自分ができるようになる ②できる人とともだちになる の2つがあると思います。 まだ社会人になる前に一度、自分のできなさに絶望したのを思い出しました。ア

なで肩の肩書き。

現在、3種類の名刺をもっているのですが、実際は4,5種類、もしくは、それ以上の肩書きがあるのかもしれません。 それはおそらく、わたしに限ったことではないと思うのですが、相手に合わせて見せる角度を変えているようなこと。使うSNSによっても、発信者として、または読者としての自分が微妙に違う気がしています。 わたしでいえば、名刺で説明できるいくつかの自分と、うまく説明できない「かめじん」としての自分とそのまんまのまる裸の自分、そして、そんな自分を客観的に見ている自分。 どの自

路上をつくって、路上であそぶ。

あちこちを旅しながら感じる路上のおもしろさって、「偶然」というものにたくさん出会えることだと思うんです。ガイドブックとかインターネットだとかの情報を見ているだけではきっと出会えないような。 それはもう、その場がつくりだすもので、意図的にはつくりだせないもの。 なにかに出会えるかもしれないし、なににも出会えないかもしれないけれど、そう行った路上で「はじめて」に出会い続けて感性が磨かれるのだとしたら、同じところにい続けるのは違うのかもしれない。もちろん、同じところにいながら生

観光と暮らしのまん中で。

余震が続いていたのですこし心配もありましたが、今日は滋賀県長浜市の黒壁エリアの視察に行ってきました。 しばらくの間、京都以外のまちをこんな風に歩いていなかったので新鮮でたのしかったです。やっぱり知らない土地を歩くことで感じることってたくさんあるなぁと思います。 長浜は大学の授業で事例として学んでいた場所だったので、個人的にはすこし懐かしさを感じつつ、当時と比べて現在の「観光」が意味するところが変わっていることを改めて感じました。 ////////////////////

こんな日だからこそ。

こんな日だからこそ、ふつうに過ごしたいし、 こんな日だからこそ、ふつうの明日を迎えたい。 こんな日だからこそ、学校や仕事は休んでもいいと思うし、 こんな日だからこそ、なるべく大切なだれかと一緒にいてほしい。 ////////////////////////////////////// こんな日だからこそ、あとから「あの時、こうしてよかったね」って笑いあえる選択肢を選んでいきたいなって思います。関西にお住いのみなさん、少しまだ気が休まらないかもしれませんが、すこしの備えと

過去のじぶんを眺めながら。

○年前のじぶんと比べてどうか、その頃よりもいい表情ができているか、いつの間にかそんなことが「いま」を測る指標のひとつになっていて。 もちろん、そこには他者と比較した「じぶん」がないわけではないのだけど、何よりも悔しいと感じるのは、その人がたどり着いているところまでできていない自分に対して。 そういった「焦燥感」と向き合う唯一の方法は「実行」なのだと思う。どんなことでもやってみなくちゃわかんないし、やり続けることで見えてくることもあるはずなので、まずは手を足を動かさないとね