誰かを褒めることさえ難しい時代のおじさんを憂う
自分の気持ちや考えを伝えることが、こんなに複雑だなんて。
自分は相手を褒めたつもりでも、ワードチョイスをひとつ間違えるだけで相手を傷つけることになる。
「この言葉を使われるのは嫌かもしれないけれど」
「あくまでわたし個人の意見だけど」
「○○だけど」をいちいち接頭語につけなければいけない。
いちいち「言っても(聞いても)いいかな?」と尋ねる必要がある。
いや、そりゃあ使うよ?わたしも。
「あくまでわたしの感想だけど」
「さしつかえなければ…」
でも、なんだろう。
今の時代においては足りていないのかもしれない。
枕詞が求められる話題の多さについていけていない気がする。
わたしの感性や価値観はもう古いのだろうか。
古い価値観だと気づかずに話してしまっていることがあるかもしれない。
もしかしたら誰かにとっては「価値観の押しつけ」だと感じられて疎まれているのだろうか。
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今さらながら、1月~3月にかけて放送されていたドラマ『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』を観終えた。
「男なら」「女なら」「俺の若いころは」「最近の若者は」など、昭和平成の価値観がしみついた沖田誠。
企業戦士であることを誇りに思う沖田誠。
家事育児にはまったく参加してこなかった沖田誠。
老害上司、モラハラ夫といわれてもおかしくない。
LGBTQ、腐女子、推し活、メンズブラ…
もちろん沖田誠に理解できるはずがない。
理解できないどころか、全否定。
しかしそんな沖田誠、あるきっかけにより「今の時代の価値観」へと自分をアップデートすべく奮闘する。
…という物語。
とても乱雑にいえば「多様な価値観の存在を知ること、理解すること」を沖田誠が実践する様を通じて学ぶハウツードラマだと、わたしは捉えている。
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アップデート前の沖田誠は、たしかに自分の(古い)価値観の押しつけが多かった。わたしも押しつけはよくないと思う。
しかしアップデートが進み、職場でも家族間においても疎ましがられることがなくなった彼は、それでも「世間はおっさんに冷たい」と言った。
そして部下からはこんなことも言われている。
「沖田さんにとって、古くさい価値観は自分を守ってくれるもの。『俺は間違っていない』と思わせてくれるもの。沖田さんは不安なんだろうと、思っていました」
わたしね、沖田の部下がこのドラマの重要人物だと思う。
古い価値観を「押しつける」ことがよくないわけであって、
昭和平成の価値観そのものが悪ではない。
令和のおっさんはたまたま昭和に生まれて、昭和平成の価値観で育っただけ。
令和に生まれた若者だって、必ずおっさんになるのだ。
令和の価値観が古いといわれる時代が、いずれやってくる。
そのとき、沖田の部下のように「このおじさんは古い価値観を鎧としているんだろうな」と寄り添ってあげられるかどうか。
それこそ「男なら」「女なのに」との発言は疎ましがられるのに、「だからおっさんは…」という発言が疎ましがられないのは、ちょっと変。
寛容さを大切にするのならおっさんにも寛容でないとおかしいし、そもそも「おっさん」とひと括りにするのもおかしい。
だっておっさんも十人十色だから。
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自分の持つどんな価値観が令和の時代にマッチしていて、どんな価値観がマッチしていないのか。
先入観、偏見、差別。
自分はしていないつもりでも、誰かにとってはそう感じられてしまうこともあるかもしれない。
シンプルに「褒める」ことさえ難しいと感じるわたしは、この先沖田誠のようにコミュニケーションをアップデートできるだろうか。
あるいは沖田の部下のように、古い価値観にも最近の価値観にも、理解を示せるだろうか。
いや、人それぞれ持つ違った価値観をおもしろがれるだろうか。
ことばで表現しにくくなったと感じても、表現を続けるのだろうか。
いろんな人・もの・ことにふれることから、意識してみたい。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたは価値観のアップデート、どんなふうに取り組んでいますか?
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