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夏休み


#8月31日の夜に

小学生のころ、夏休みは私の目の前にドーンと構えていた。終わりが見えない草原だった。1か月も休みだなんて!!どうやって過ごそうか。

別に映画みたいなことは起こらない。

プール。一泊二日の家族旅行。ラジオ体操。お盆。読書に熱中していたら鼻血を垂らしていたこと。花火。

フローリングに寝そべってぐりぐりと絵を描く。夕立に驚いたこと。おばあちゃんが作ってくれるしそジュース。ヒグラシの声。

甘く、ゆっくりと夏休みが終わる。ぼんやりと好きなことをして過ごすのだ。

しかし、いつからか夏休みは短くなる。

中学生。吹奏楽部の夏は忙しかった。夏のコンクールまでの猛練習。夏の終わりは地域のお祭りのための練習。それに加えて夏休みの宿題。

毎日のように学校へ行った。夏休み期間の学校はしんと静かだった。グラウンドからは運動部の声。冷水器の水がおいしかった。

午後三時。アスファルトの道を汗びっしょりで家に帰る。家に帰ればやることは宿題だ。自由研究や自由工作も忘れてはいけない。

中学三年生にもなれば、部活に加えて塾にも行っていた。塾と部活が被らない限り、どちらにも参加するというあの時の精神はどうかしていた。

気づけば8月31日なのだ。「ああ、明日から学校か」と、宿題のチェックを済ませる。あんなに長かった夏休みはどこに行ってしまったのだろう。夏休みなんて一週間が五回しかこないではないか。

高校生になった。

高校生の夏休みも部活である。ただ、中学生の時とは違う。部活帰りにかき氷を食べに行ったり、アイスを食べたり、映画を見に行ったり。たくさん遊んだ。

でも夏休みはすぐに終わった。やりたかったこと、いきたかったところもあった。

高校三年生の夏。私は夏休みのほとんどを美大受験対策に費やした。花火もかき氷もあったものではない。半日も予備校に缶詰だ。思うように進まないセンター試験対策。迫りくる8月31日に追われながら「夏休み短くない!?」と焦っていた。

19歳の夏。私は浪人生だった。まず夏休みという概念がなくなった。現役の時以上に予備校に通った。電車から眺める入道雲や、真っ黒に日焼けした少年。旅行鞄を抱えている人。部活帰りの学生。すべてがまぶしかった。

駅のホームで「自分なにやってんのやろ?」と思った。

今は大学一回生の夏休みである。大学生の夏休みは長い。

スケジュール帳にはバイトの文字。

Instagramを開けば、同級生の旅行、ドライブ、海に川、遊んでいるところなどを垣間見ることができる。そうか、夏休みやもんなあ。

自室。扇風機。麦茶。

ああ、もう夕方やん。今日はなにしたっけ。

何も、していない。

もう8月14日か。夏休み始まってから、私は何をしただろうか。

年々夏休みは短くなることは確認済みである。二か月の夏休みとはいえ、きっと過去最短を記録するだろう。

なのに夏休みが始まってからというもの、特に何も生み出さない。期末レポートも終わらせた。暑い暑いと言い、麦茶を消費し、コンビニに牛乳を買いに行く。SNSで時間を潰す。ぐりぐりと絵を描けば、自分の下手さに嫌気がさす。ああ。頑張り屋の自分はどこに行ったんだ??

8月31日まであと17日。夏休み終了するまであと47日。

一人でどこかに行ってみようか。何か作品を作ってみようか。夏休みどう過ごそう。

今までは宿題があった。部活があった。やるべきことがあるって、とても楽だ。

自由な時間を欲しがっていたのに、いざ渡されると何もできない。これで私の夏休みは終わり?まさか。

夏休み。8月31日の夜に後悔しないように。

『今日何をする?』









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