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自己紹介と仲間がほしいというお話

休職初めに始めたnote

書こうと思っても、どう書いたらいいのか頭をこねくり回しているうちに体力を消耗してパソコンを閉じる。。

そんな悶々とした日々が続き、ここまで来てしまいました。

近況としては休職継続中(何日目なのかのカウントは大変だからやめる)ですが心身ともに回復傾向です。

そこら辺のお話はまた気が向いたら記録するとして、今日は簡単な自己紹介と、私のこれからやりたいことの記録にしようと思います。

私のずっとやりたいこと

え、そっちから?って感じかもしれないけど(笑)良かったら聞いてください。

「精神疾患を親にもつ子供の居場所をつくる」

です。これまた突然どうした?って感じかもしれないですね^^;

私がその子供の立場として生きてきた影響があり、こういった活動をしていきたいと思っています。

私の生い立ち、母のはなし

母親が精神疾患をもっていました。両親からの愛情を受け取ることができずに苦労してきた人で、発症はさかのぼると中学生くらいの時からみたいです。

私は小さいころから抗うつ剤と安定剤で生活を成り立たせようと苦しんでいる母を見てきました。

普段の母は、独学なのにプロ並みの鉛筆画を描いたり、細かい刺繡を施してエプロンやバッグを作るとても器用な人でした。

しかし常に体調が悪く、薬を飲んでも効かず副作用に悩まされ、また薬を変え、、、そして病院から「もう出す薬がない」と言われ新しい病院を探したり、体調をよくする方法をネットや本で情報を見ては試すけど効かないのでまた新しい情報を探す、、、そんなことを繰り返していました。

趣味の鉛筆画や刺繍も、「趣味に没頭することでしんどさを紛らわすのがよい」という情報のもと自分自身を無理強いしておこなっているのを、私は子供ながらに感じていました。

でも、わたしはそれを止めませんでした。なぜなら、私には何もできないから。「そんなことしたって無駄だよ」なんて言ったら、この人死んじゃうのではないか、そう思って怖くて言えなかったのです。

実際に母は「死にたい」とよく言っていました。聞く係は私。父や姉は部屋に閉じこもる。私もこもりたかった。聞くのがしんどかった。でも私が辞めたら、この人はどうなってしまうの?そう思って、母の希死念慮を受け止めてきたつもり、です。

でも、母は死んでしまいました。「生まれることは選べなかったから、死に際は選びたいよね」時々こんなことを言ってましたが、本当に彼女は最後の幕を自分で下ろしたのです。

言葉で表せられないさみしさや空虚感、これはきっと一生付き合っていくものなんだろうなあ。。でもこの何倍も母はさみしさを背負って頑張って生きてきたんだと思っています。

活動への思い

私は母と人生論を語り合うことが好きでした。いつも死と隣り合わせで生きてきた母から出てくる言葉はとても深いもので、今の私の生きる糧、活動のきっかけになっています。

そんな母が生きづらかった世界を、少しでも生きやすくしていきたい。今日は触れていませんが、父や姉が抱えていた葛藤、そこからくる逃避、それは当たり前なことなのです。自分の心も守らなければなりませんから。そんな家族の支援がしたい。そして何より、母が大好きなのに母といるのが辛くて悲しかった私、同じような境遇の今思春期という難しい時期にいながら頑張っている子供たちの居場所を作りたい。小さいころから心のケアをしていき、自分らしく社会で生きていってほしい。

そう思い3年前、一念発起し通信制の大学に編入。1年前に精神保健福祉士の資格を取得しました。

資格を取ったはいいものの、仕事に忙殺され、あれよあれよと休職。。

この休職も、私が今までの生活で生まれた価値観と、培ってきた処世術が裏をかいた結果になったな。。と思うと、本当に社会に出る前からのケアが必要だと考えています。

自分を客観視できるようになるまで回復して、時間にもゆとりがある今、自分のやりたいことを今一度考えて、ようやっと、徐々に活動を起こしていきたいと思えるようになりました。

でも、こんなことしたことないし、人脈もないし、、、どう始めるといいのか色々悩んでいます。。まずは復職せいって話かもしれませんが(笑)でも「こういう活動あるよ」とか「こうして自分はやったよ」という情報や、「自分もやり方わからないけどやってみたい」っていうかたとか、、、「活動はできないけど頑張ってね」とか、、何でもいいので変えかけてもらえたら嬉しいです。

noteが不慣れで、しかも思いをダイレクトに載せてしまって乱文ですね;;

書きたいことはたくさんあるけど、これでも90%くらい削りました(笑)

また、伝えたい思いを載せていけたらと思っています^^

chiko.

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