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「女性のいない民主主義」(前田健太郎 著)を読むー女性が締め出されている日本、それでも民主主義国家と言えるのか?

拙文「『民主主義とは何か(宇野重規 著)』を読む」でも書いたように、私は日本が民主主義国家であるということに大いなる疑念を持っている。

そんな私でも、この本「女性のいない民主主義」に出会った時、自分の意識から女性の視点で政治や社会を見る意識が欠落していたことに気付かされた。女性である自分がその立場で民主主義や政治を考えていないことを認識させられた。

「民主主義とは、政治指導者が、競争的な選挙を通じて選ばれる政治体制を指す」と定義されるなら、それは「男性の民主主義とは」と言い換えた方がいいかもしれない。そもそも民主主義発祥の地ギリシャでも女性はその対象には加えられていなかったのだから。

ジェンダー論の視点では、女性が参政権を獲得した時以降を民主主義体制と規定し直すべきだとしている。

近代国家成立の過程で欧米の女性たちは命を賭して参政権を勝ち取り現在に至っている。それでも女性議員の割合は男性議員と比べて圧倒的に少ない。平等な民主主義には至っていない。

一方日本の政治はどうだろう。長いこと女性が不在であった。その状態がおかしいと感じられるようになったのは、つい最近のことだ。女性たちの意識もずっとそれが当たり前だった。それに気づき始めたのは外圧の力だろう。

選挙制度やその他の条件が現政権に有利に作用していると前出拙文に書いたが、それはあくまで男性議員についてのことだったと再認識した。

それを書いている私の頭の中には女性議員のことはなかったから。女性議員に至っては突破しなければならない更なるハードルが社会的にも個人的にも山ほどある。

現代の代議制民主主義のもとで女性の意見を代表する女性議員が圧倒的に少ないということは、男女平等の民主主義とは言い難い。政策決定のプロセスで女性の声が反映されない悪循環がエンドレスに繰り返され、結果女性には利益がもたらされない。

だから「社会に存在しない」扱いを受け続けていることを変だと感じよう。政府の委員会や会議が男性ばかりなのは不自然だと感じよう。「わきまえない女」などと言われたことにもっと怒りを感じよう。まずは、感じることから始まる。その感覚を大切にしよう。



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