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半世紀後に知った真実ー「ずっと書き続けなさい」

思い起こせば、中学三年の国語の先生が書くことについての興味を私に植え付けたのだろう。小学生まではそれこそ夏休みの宿題の読書感想文でさえ書くことが嫌いであった。休みが終わる前日まで書けなくて父に手伝ってもらった記憶がある。

中学生になり読書感想文を書くことがほぼ日課のようになり、逃げられない状況下で、私は本のあとがきをうまくまとめて書くことを覚えた。そんな感想文がかなりたまり、あろうことか、それをニ年生の時の国語の先生にほめられた。それは、その後優秀(?)な作品として学校に保管されることになった。本当にうしろめたい思いでいっぱいだ。

中学三年になった時の国語の先生は、噂によると同人誌に所属し、ものを書く人だという。それ以上のことは知らなかった。でも他の先生と違い端正でいつも鷹揚に構えている先生の印象が残っている。先生の授業は上から目線で教えるのではなく、私たちの考えを対等に受け止め、異なる意見も尊重してくれて、一方的な押し付けはしなかった。そんな風に記憶している。

授業ではいつも何かと私を評価してくれた。一度など私の書いたものを地方紙に載せる労を取ってくれた。内容は、よく覚えていないが「真の友情とは」とかなんとか青臭いものだったと思う。新聞記者が学校に来て写真を撮り、1ダース入りの鉛筆をくれた。

そして卒業する時、先生が私に言った言葉「あなたには独特の感性がある。書き続けてください」その言葉は、ずーっと心の奥に存在し続けたのだろう、きっと。感性とか才能とか、そんなものが自分にあると思ったことはないけれど、なぜか書くことにはこだわり続けてきた。言語とか言葉には、特に関心があった。

そして、今日「私はなぜ書くことを続けているのか」について書こうと思った時、その先生のことを思い出し、先生のことが知りたくなってネットで調べてみた。詳しい情報は手に入らなかったけれど、詩人であることは確認できた。たくさんの詩集を編んでいて、Amazonでも買うことができる。

Amazon.co.jp から転載

そして、いかにも国語教師であると思える先生の書いた「随想」を見つけた。それは、「からすの勝手でしょう」という言葉を耳にしたことから、パロディが生徒の想像力や思考、文学作品という本物に迫ろうとする意欲や可能性を阻害するという悪影響について語り、それに抗う国語教師としての指導力の力量について論じていた。

私を認めてくれた先生の噂が本当だったと確認できた時には、すでに半世紀もの歳月が経ってしまっていた。だが、半世紀前に教えてもらった先生が、私の求める教師像そのものの人であったことが確認できたことは無上の喜びである。


先生にまつわるエピソード

先生は「心臓が弱いので驚かせるようなことはしないでください」と常々言っておられた(これは本当のことらしかった) 昼食時、なぜか先生が教室に監督として来られた。

私の前の席の男の子が、パンを食べた空き袋に息を吹き込んでパンパンにしていた。彼は、先生の言葉もあって、それを破裂させようなどとは微塵も思っていなかった、はず(⁈) でも袋と共に私の方に向きを変えた時、私が指で弾いたか、両手でつぶしたかで、「パン」という大きな音を立てて袋が割れてしまった。

先生は「音を出した者は前に来るように」といい、その男の子はすごすご出ていき、頭にゲンコツを一発くらった。私はその子にすぐさま謝ったが、彼は先生に言い訳などせず、私に怒ることもしなかった。

「ごめんね、タコチュウ君❣️」
(彼のあだ名。彼のことも愉快な記憶として思い出される。どうしているかなあ⁈)

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