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今日ときめいた言葉114ー「覚悟は未知だからこそできる。分かっていたらできないものかもしれません」


(2023年1月5日付 朝日新聞 「覚悟の時代に」ー自分に向き合うーから伊藤詩織氏の語る「覚悟」とは」

伊藤詩織氏は、2017年、元TBS記者から受けた性暴力を告発。2022年7月、最高裁で性暴力を認める判決が確定した。

「覚悟は未知だからこそできる、分かっていたらできないものかもしれません」

性被害を告白したとき妹さんから「何をしていても、性被害を受けた人だということがついて回る」と言われたそうだ。実際その通りになって、民事訴訟で性暴力が認められるまで7年もかかった。その間日常的に誹謗中傷を受け続けた。全てやってみて初めて分かったことだ。それが上記の覚悟についての言葉である。

「自分は『サバイビング』から『リビング』が増えてきていると気付くことができました。そうやって、少しずつ日常に戻るんじゃないかなと今は思えます」

彼女は、この体験を乗り越えることはできないと思っていたそうである。思い出さない日が続いたりすることがあっても、消えることはない。常に自分の隣にある。でも、エッセーで日常をつづる中で気づいたことが上記の言葉である。

(スベトラーナ・アレクシエビッチの言う通り、絶望を救うのは日常なのだろうかー拙文「今日ときめいた言葉11ー「絶望を救うのは、日常そのものだけなのです。朝のコーヒーの一杯でもよい。何か人間らしいことによって、人は救われるのです」)

当事者として声を発信するのは、これっきりにしたい」

判決を受けての記者会見での言葉。
「私が受けた性被害が消えることはないけど、それは私を定義づけるものではないんだと、自分にも言いたかったんです。・・・自分の経験については話し尽くしたと思いました」

「覚悟って、自分や自分の行動を信じることなんだなと思います。覚悟すればうまくいくわけじゃないけれど、覚悟してやれば、後悔はない」

「でも、途中で逃げ出しそうになることもたくさんありましたし、覚悟した以上は途中でやめちゃだめだ、とは全く思いません」

「私がしてきたことは、『覚悟』というより『make up my mind 』です。他者に向けて何かを表明したり約束したりするのではなく、自分で決めて、信じるという自己完結型です。今は肩の荷を下ろして、自分の心の向く方に決心を重ね、『自分として生きる』ことを楽しんでいるところです」


この事件に関しては好意的、同情的な意見から誹謗中傷までメディアをにぎわした。真実は当事者以外わからない。だから、2023 年1 月27 日付朝日新聞「斜影の森から」の福島申ニ氏の言葉が心に残る。

当事者でない者が、同情や共感などを表現するには相応の覚悟がいる。『それは忘れない』『考えることをやめない』という良心である」 

当事者と非当事者、「表現すること」に対する両者の「覚悟」
私は下記の言葉を胸に刻みたい。

「『怒り』を生のままで表現するのではなく『高潔さ』に変える。ものを書く基本はそこにあるのではないか」(2022年12月21日付 朝日新聞 評論家 川本三郎氏の言葉)


追記

この記事は昨年1月に書いたものだが、下書きのままにしておいたものである。2024年2月6日付朝日新聞に、彼女の受けた性被害について彼女自身が語り監督する映画を作成してインデペンデント系映画祭に出品したことが掲載されていて、この下書きを思い出した。

実名を公表して性被害を訴えることがどれほど苦しいことだったかが描かれているという。誹謗中傷や記者会見でのバッシングを受ける伊藤氏に手を差し伸べたのがスウェーデン人ジャーナリストで、共にこのドキュメンタリーを作ることになったのだ。

ここで思う。このような性被害者に対して日本社会はどう向き合って来たか。概して始めは日本社会の眼差しは冷ややかだったと感じる。それに対して、被害者に支援の手を差し伸べたのは海外のメディアではなかったか。

伊藤氏の場合しかり、元自衛官の五ノ井里奈氏やジャニーズ問題の被害者対しても支援したのは海外メディアだった。五ノ井氏はイギリスのフィナンシャルタイムズ「最も影響を与えた25人の女性」の一人に選出、タイム紙でもタイム100に、BBCでも100人に選出された。ジャニーズ問題もBBCの報道が始まりだった。

このように被害者が海外から称賛されたことで外圧に弱い日本社会の風向きが変わったのだと思っている。五ノ井氏に対する自衛隊内部の対応・処遇など醜悪そのものではなかったか。日本社会・国家の暗黒部を見た思いだ。

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