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今日ときめいた言葉54ー「愛しなさい、一度も傷ついたことがないかのように」

<はじめに>

この言葉は、韓国ドラマ「私の名前はキム・サムスン」に出てくる詩の一節である。

幸福は目的地ではなく、旅である

 踊りなさい、誰もみていないかのように
 愛しなさい、一度も傷ついたことがないかのように
 歌いなさい、誰も聴いていないかのように
 働きなさい、お金など必要ではないかのように
 生きなさい、今日が最後の日であるかのように

アルフレッド・D・スーザ(牧師)(Alfred D' Souza)

ドラマの最後、戻ってこない恋人を待ちわびる気持ちと諦めようとする気持ち。そんな葛藤の日々を送っていた主人公キム・サムスンが、バス停で見つけたのがこの詩である。「傷ついたことがないように懸命に愛したかった」でもできなかった。だから彼女は、「愛しなさい、、、」のフレーズを「傷つきたくなければ恋をするな」と言い換えた。

「愛の不時着」でヒョンビンというカッコいい俳優の存在を知り、彼の主演したドラマを追いかけて「ジキルとハイドを愛した私」、「シークレット・ガーデン」と過去の作品を視聴し、このドラマにたどり着いた。

どのドラマにも共通していたのは、心に傷を持ち、影があり、無礼だが優しさが見え隠れする屈折した主人公達。そんな役柄が彼にピッタリだと思う。この作品も似たような内容だろうと推測できた。

確かに他の作品同様彼は素敵だった。でも、この作品ではヒョンビン演じる「ヒョン・ジノン」よりキム・ソナ演じる「キム・サムスン」に私は心を奪われた。18年前のこのドラマだけれど、その内容は少しも古さを感じさせない。今でも変わらずに、多くの女性たちは当時と同じ問題を抱えて生きているからだ。


<キム・サムスンー30代女性のリアル>

何が良かったかって、サムスンの口からポンポン出てくる言葉である。どれも核心をついている(明らかにジノンの心にも刺さっていたことがわかる)

「ちょっと下品で粗野で、日本人には受け入れられない汚いシーン満載で見るに耐えなかった」との感想が多々あった。否定はしない。

はじめは私もそう思った。でもいつの間にか彼女の言葉と自分に正直に生きる生き方に引き込まれた。30歳になろうとしていたサムスンがドラマの中で直面していた問題は、恐らく現在でも多くの30代女性が(いやもっと幅広い年代の女性も含めて)、日常的に直面している問題であろう。社会的には性や年齢に対する差別、個人的には結婚や恋愛問題に悩む女性達の不安定な心理状態など。

失恋やかなわぬ恋に苦しみ、涙を流す姿は、痛々しくも健気で可愛いい。「心が痛むとき」の彼女の言葉がいい。

「自分の心の痛みは自分で治すしかない。だから人は、それぞれ自分の治療法を持っているー酒を飲む、グチる、旅に出るとか」でも、「最悪なのはその痛みに背を向けることだ」と。

こんな風に言いきかせて、立ち上がるサムスンの生き方は潔く、たくましい。

サムスンは確固としたモラルを持った女性である。はからずも、ジノンはすでに彼女の本質を見抜いていた。彼は母親に反論して以下のように述べている。

「自分で稼いで夢をかなえようとしている。親のカネで着飾る女とは質が違います。身の程を考えています。自分がすべきことやどうやって生きるべきかきちんと考えている。はっきりした女性です」

そんな彼女の生き方はどんなときもブレなかった。職場で孤立しても、身体的特徴への誹謗中傷や差別発言にも、敢然と反撃した。男性に媚びたり、可愛い子のフリをしたりせず、言うべきことは、きっちりと主張した。たびたび、暴力的に感情を爆発させることもあったけど(さすが、ここまでは私たちにはできない)

ジノンの理不尽な言動には決して屈服せず、反論し、時には論破し、あくまで対等な意識を持って対峙した。間髪入れず、丁々発止でやり合う姿は、見ていて胸がすく思いだ。社長であっても「タメ口」を許さなかった(韓国では上下関係より、長幼の関係の方が優先されるのだろうか)

だから50%を超える高視聴率だったのは、その当時の女性がサムスンに共感し、支持したからだろう、と勝手に想像している(もちろんヒョンビン人気もあっただろうけど) でも、あんなイケメンをガサツでデブで美人でもないと思われている女が振り回す姿は、見ていて痛快であった(ま、現実ではやれないだろうな、と思いながら)

サムスンの人物像は、その時代を生きていた30代前後の女性の等身大の姿ーそれは他人には見せない自分の姿をも含めてーだったのだと思う。酔っ払って吐いたり、ゲップをしたり、オナラをしたり、日常生活では誰もがやっていることなのに、表向きにはそんなことはないかのように振る舞っている私たちと、イケメンの前でそれらを堂々とやってのけてしまうサムスン。ここがすごい。

もちろんそんな醜悪な姿に嫌悪した人もいるだろうが(でも生身の人間の日常など本来綺麗事ではないだろうと思うけど😅)

<愛しなさい、一度も傷ついたことがないかのように>

サムスンは常にこのように相手を愛した。そして失恋した時は、相手の男に対してばかりでなく、「そんな男を愛した自分自身の愚かさ」に涙していた。
(この時演じたキム・ソナの実年齢も30歳だった) 

「言葉だけと知りつつだまされたがる自分が嫌いだ」
「無意味な視線にいまだにトキめく自分が嫌いだ」
「こんな自己嫌悪も嫌いだ」
「愛を失うことは、自信を失うことなのかもしれない」


失恋した悲しさ、くやしさ、惨めさが、キム・サムスンを通して伝わってくる(自分の失恋を遠い目で振り返ってしまった。でも振られた男の婚約式のためにケーキを作るほどの残酷な経験は幸いしたことがない)

彼女は、惨めに男に捨てられたどん底の心理状態にあっても、恋愛に対してはいつも前向きだった。

「軽い気持ちで一度も恋愛したことはありません。付き合う時も別れる時も真剣に悩む。ホルモンに関係なく本気で向き合おうと努力しました」

(これは、「恋愛は、脳内物質やホルモンの化学作用により生じる。それらの物質が減少すれば恋愛は終わる。続いても2年だ」と恋愛を化学反応のように淡々と説明するジノンに対して、彼女が放った言葉である。彼は彼女のこの言葉の迫力に圧倒されていたと思う)

それに比べて今回のヒョンビン演じる「ジノン」は、優柔不断で自分の心を決められない役どころだった。その優柔不断さがサムスンを何度も傷つける。その度にサムスンは涙を流すが、前向きな人らしく立ち直る。そして、決断できないジノンに向かって次のように言う。

「何が難しいの?好きか嫌いか、それだけでしょ。そんなに複雑なことなの」

ジノンにとって(いや誰にとってもだろうか)、初恋は特別なものだったのだろうが(「一生僕は君を忘れられない」と初恋の女性に告げている)、初恋の相手とサムスンの間で揺れ動いて苦悩するシーンにはもどかしさを感じてしまった。最後、彼は自分の感情に従ってサムスンを選ぶ。自説の化学反応の理屈ではなく自分の感情によって動いたのだ👍

サムスンが、ヒールの靴擦れに苦しむシーンが何度も出てくる(「よくおごってくれる綺麗なお姉さん」2018年作品ーでも同じシーンがあった。女主人公は運動靴を持ち歩いていた)「#KuToo」よりずっと早い時期にこんなシーンを盛り込むなんて時代を先取りしている。やはり、このドラマは、女性のために書かれたものだろうと思う。

この時のヒョンビンは23歳で、キム・ソナは30歳。やはり彼女の人間的な深みがドラマに滲み出る。ドラマでは歳の差3歳という設定だが、実際は7歳あったわけで私には彼女に向き合うヒョンビンがとても可愛らしく見えた。

「ほかの男と目を合わせるな。僕の言うことだけに耳を傾けろ!」
なんて年下男子に言われたらときめきますか?ジノンの殺し文句👍

「恋愛は自分にだまされること」
失恋を沢山してきたキム・サムスンの名言。

最後に、

「愛は言葉で表現しないと。想っているだけでは伝わらない。褒め言葉と愛の言
 葉。この2つは何度でも言わなきゃ」

「一度も傷ついたことがなかったように愛する」
キム・サムスンからのメッセージである。


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