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我慢を手放すーmagic wand魔法の杖は、存在しないとまず心に刻もう!

悲しいけど、我慢を取り払う決定的な手立てはないと考えよう。人間社会にいること自体が、すでにストレスフルなことだと思うから。多かれ少なかれ、不本意な我慢は強いられるものと前もって覚悟した方がいい。その方が受ける傷を小さくできるから。

こんな時、いつも思い出されるのが、夏目漱石の言葉だ。

「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに、人の世は住みにくい」

かの文豪も人の世で生きることに苦労していたようだ。そして結果、胃潰瘍を患い亡くなっている。胃潰瘍を患うくらい、ひどいストレスを抱えていたということであろう。繰り返しになるが生きていること、そのこと自体がストレスなのだ。生きることをやめた時が、今までのあらゆるストレスから解放される時だ、と思う。

それまで、少しでもストレスから解放されたり、我慢している時間を少なくする方法を考えよう。後ろ向きな方法だけど・・・。

自分をコントロールするのは、意識と意志だと思う。自分のいる状況が我慢を強いているなら、一刻も早くそこから抜けださねばならない。だが、そう簡単には抜け出せない。だから我慢してるんじゃない(😡と叱られそう)

だが意識を持ったり、意志を持てるのは人間だけなのだ。だから思い切ってそれらを使おう。意識は変えられる。自分だけを見つめている目を他者に向けてみよう。そして他者の目から自分を見つめてみよう。この力、Empathy というようだ。「他者の靴を履く」(ブレイディみかこ著)、他者の経験や心情を理解する能力という意味で、日本語には適訳がないようだ。能力だから、誰でも身につけることができそうだ。

例え、嫌な奴でもそいつの靴を履いてみる。そして自分を眺めてみる。視点を変えるだけで見え方が違ってくるかもしれない。人間同士の起こす問題だからおそらく両者に非があるはずだ。そんな風に思えたら、今まで自分だけが我慢してきたという思いに、若干の変化が生まれないか。

あとはWill意志を持って、意思表示をすることだ。「出る杭は打たれる、でも出過ぎた杭は打たれない」と思って、今まで生きてきた。一度出過ぎてしまうと、次は案外楽なものだ。そこに必要なのは、少しの勇気だけだ。

発言したことでその場が気まずくなったり、そのために自分が深く傷ついたりもした。でも、私はそれでも意思表示をしようと言いたい。我々の知らない別の世界では、もっと自由に意思表示をしているのだから。今自分がいる閉塞状態の世界だけが世界ではない。別の世界があるのだ。

意思表示しないと、我慢している自分の苦しみが、なかったことにされてしまう。だから、「自分は苦しんでいる」「こんなに我慢している」と発信しよう。若い時は、とかく感情が抑えられなかったりして、上手く自分の意思を表明できないものだけど、孔子も言っているように、七十歳を超える頃までに、そんなことができればいいんじゃないか。 (論語: 六十で何を聞いても動じなくなった。七十になってからは、心の赴くままに行動しても道理にたがうことがなくなったー「60にして耳順う。70にして己の欲する所に従えども矩を踰えず」)

辛い時は、あちこち歩き回ろう。山に登るのもいい。人間、動いている時は、思考に向かわない。歩くという行為が、思考に集中することを妨げているのだと思う。少しでも辛さから遠ざかろう。だから私は、黙々と歩く。

音楽を聴くのもいい。特に歌声はより心に響く、ような気がする。私は、オペラのアリアを聴くと気分が良くなる。感動で鳥肌が立つ。ちょっと古いけど、パバロッティやマリア・カラスの声は私を奮い立たせてくれる。そして自分でも大きな声で歌ってみる。

我慢から生じるストレスは、心身を蝕む元凶である。だから自分をもっといたわろう。この世にたった一人しかいない自分だけれど、長い時の流れの中では、一瞬の命を燃やして消えていくちっぽけな存在だ。だから今を大切に生きよう。明日のことや過去のことで、自分を苛むのはやめよう。例え、昨日と同じ今日であっても、生き生きと生きよう。生きている間は👍


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