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飛んでいくね

去年の今頃、写真家の川島小鳥さんと画家の小橋陽介の「飛びます」展を見に、初めて一人で熱海に行った。
「飛びます」という本の刊行にあたっての展示で、
私自身、川島小鳥さんの写真はざっくりネットの流れで見て好きだなあ、と思う程度で、小橋陽介さんのことは存じ上げなくて、熱海、行ってみたいしなあ、と行った付随的な鑑賞だった。

この展示が、とんでもなく良かった。

寝ぼけ眼のまま、東海道線に乗り、なんとなく海が近づいてくる匂いや音の感覚を感じながら、熱海へ向かった。

熱海に降りると、あ、好きだ、と直感的に感じた。
その地に住み着いた生活と、外から来た生活が混ざり合っている感覚。
時が、ゆっくりと包まれるように進む感覚。
欲が先走っていないような感覚。
なんと表現するのが正しいのか、いつだって分からないけれど、好きだ、という感覚だけは確かにあった。

当然のように街中には制服の子たちがいて、洗濯物が干されていて。観光地として名高いけれど、当然、そこが誰かにとっての帰る場所であることを感じた。
今、そのことが、唐突にどうしようもなく大事なことだと感じている。

駅に下り着いてから、海に向かう道の中で「飛びます」展は開催されていた。

入るのが、少し躊躇われるようなビルの3階で。
東京の同じようなビルだったら、好奇心はあるくせに、それ以上の恐怖心も持ち合わせている私は、もしかしたら、やっぱり怖くなって入らなくなるかもしれないような場所だった。
熱海まで、来たんだし、と自分を鼓舞して、ビルに入った。

不完全なビルだった、と思う。
コンクリートが剥き出しで、生活はできないはずなのに、生活の匂いがした。その中に、展示されている数々の写真、絵が、陽の光を浴びて、揺らめいていた。

ずっと、ここにいたい、と思うことが時たまあるけれど、そんな数少ない一つだった。
いくつもの構成で成り立っていて、何回見ても、あれ、ここにも写真が、絵があったんだ、という気づきがあった。
間違いなく、川島小鳥さんの被写体に対する愛がひしめいていた。
この人のこと、たまらなく愛しく思っているのだと思った。
その愛が、写真から溢れでて、空間全体に満ちていた。
そして、その愛が、小橋陽介さんの絵をつたって、広がって、熱海全体に少しずつ漏れ出て行って、熱海全体がそれを受け入れているような。
展示会場として、熱海の中に、あのビルがあるような二重構造になっていたんだと思う。

あまりにも溢れ出るものがあって、一回外に出て、熱海を回って、もう一回入って。
ずっと、ずっと、心に残るんだろうなって。
本当にいいものを言い表す言葉を持ち合わせていない悔しさと、本当に飛んんでもなくよかったという気持ちを。

そのあと、この展示は熱海を飛び立って、大阪、東京の2ヶ所を回って行って、私はその全てに行くほど、心が掴まれていた。
でも、個人的にはあの熱海の、不完全さを伴った完全さの展示を観てしまったから、どの展示も少し不思議な感覚があった。

あの展示はもう二度と見れなくて、
そもそも展示会にふらっと足を運べる日がいつ来るのか、
先は全然見えなくて。
つまらないような、時間を浪費しているような、そんな気持ちがずっと浮かぶけれど、その日が来るまで、「気になる」を貯めておくしかないよね。

そして、その日が来たら、絶対、飛んで行くね


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