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忘れないように

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まったく偏見を持たないひと

伊坂幸太郎の小説に、まったく偏見を持たないひとが出てくる。 彼は、目の見えない人に出会っても、ひとつもそこに特別さや、悲愴さを見出さず、本当にただただ一人のにんげんとして接していく。 ある日、彼は、目の見えない友人と、バスに乗った時に、その友人に突然慈しみの気持ちでお金を渡してきたひとを、心の底から理解できず、なんで、と聞く。 (いまなら、ネットで検索したらすぐ出てきそうだけれど、いまはぼんやりと自分の中に残っている彼の記憶だけを頼りに書いていて、正しくないかもしれないこと

    • 「オンライン鑑賞が疲れちゃう」を考える

      • 笑って終われるひと

        インターハイも甲子園も中止になってしまった。 高校生のとき、そこにある毎日や学校が自分の世界のほぼすべてで、 その先に描いている夢は、わたしにとっては海外のような遠い夢だった。 いまになっては、それだけではないことも、無駄だと思っていたあらゆることがいつか自分を助ける糧になっていることも、もちろん分かっているけれど、あの高校生特有の「限られた」感じに戻りたくなったりもする。 甲子園の中止を報じるニュースの中で、ある高校球児が 「子供のころから、高校3年生までが追うことのでき

        • 推しがそこにいれば、それだけで

          現実的な話をすると、 来年のオリンピックの開催はかなり難しい状況である、と個人的に感じている。 他国が数年間かかりで、このウイルスに立ち向かう方法を考えている中で、仮に日本がここから奇跡的にウイルスの封じ込め・ワクチンの開発に成功したとしても、来年の7月頃までにワクチンが全世界に行き渡ることはそう容易いことではなく、全世界から人が集まるオリンピックはウイルスにとって格好の餌だ。 私は箱根駅伝が好きですが、 箱根駅伝の開催もかなり危ういと感じている。 箱根駅伝には予選会があり

        まったく偏見を持たないひと

          どっちですか?

          ニュース番組で、 「自粛を続けてくださっているみなさま、ありがとうございます」と キャスターたちが頭を下げる。 なんで、頭を下げているのか、いつもよく分からなくて、そういうことが永遠と続くニュースが段々と苦しくなってきた。 私は、私や私の好きなもののために自粛を続けているのであって、その延長線上に、ニュース番組に関わる人がいる。 なんで、頭下げてるの? その役割は自粛を要請している政府や、各都道府県の知事が行うべきものであって、あなたがすることではないよ、と叫びたくなる。

          どっちですか?

          飛んでいくね

          去年の今頃、写真家の川島小鳥さんと画家の小橋陽介の「飛びます」展を見に、初めて一人で熱海に行った。 「飛びます」という本の刊行にあたっての展示で、 私自身、川島小鳥さんの写真はざっくりネットの流れで見て好きだなあ、と思う程度で、小橋陽介さんのことは存じ上げなくて、熱海、行ってみたいしなあ、と行った付随的な鑑賞だった。 この展示が、とんでもなく良かった。 寝ぼけ眼のまま、東海道線に乗り、なんとなく海が近づいてくる匂いや音の感覚を感じながら、熱海へ向かった。 熱海に降りると

          飛んでいくね

          本を読めなくなったあなた

          人生で最初に手にとった本は思い出せない。 子供のころにあれだけ読み聞かせしてもらった絵本は、なんとなく思い出せる。けれど、意外にその記憶は曖昧で、ふと手にとってみると、今だからわかる面白さが詰まっていたりする。 小学校では、競うように本を読んだ。 朝の読書ポイントを貯めることが目的だったのかもしれないけど、面白いのかどうかよく分からないまま、物語に出てくる魅力的なキャラクターを追い続けた。 「ダレン・シャン」「ハリーポッター」シリーズは、いいところまで読み進めていたはずな

          本を読めなくなったあなた

          あいだけが救えないもの

          映画館に行くといつもカップルがいる。仲良さげに手を繋いでいるひともいれば、何だか気まず気に距離をとって歩いているひともいる。  もちろん、家族とおぼしきひとたちもいる。 制服を着て、何の加工もなくても、キラキラ光る何かが見えるようなそんな子たちも。 それを見るたびにいいな、と思う自分と、映画は1人で見るものじゃん、と冷めた目で見る自分がいる。 映画館に誰かと来ると、どうしたって映画だけには集中出来なかった。その人がどういうところで笑ったり、ぐっときたりしているのか知り

          あいだけが救えないもの

          あなたも、助けたい

          毎日のように増えていく感染者数、二転三転する政府の対応、漏れ聞こえてくる医療関係者の悲痛な声、自分も家族もいつ感染してもおかしくない状況 noteで何かを書くこと、SNSで発信すること、どれもずっと自分に自信が一つもないために、避けてきました。 今も匿名なのは、最後の自信を持つことができないからです。 ですが、あの3.11とは別の方向性で、心も身体もじわじわと蝕まれるような現状に、どうしても、今何かを書かなくては、生きていることすらも保てないような気がしています。 ただの自

          あなたも、助けたい