草の根主婦がパレスチナを心配する

ふつうの主婦が集まって、パレスチナのために何かしたくて始めました。 私たちはヨルダンと…

草の根主婦がパレスチナを心配する

ふつうの主婦が集まって、パレスチナのために何かしたくて始めました。 私たちはヨルダンという国でパレスチナの人々と触れ合ってきました。その記憶や人間関係を頼りに、記事を書いたり集めたりして、公開しています。多くの人にパレスチナを身近に感じてもらえたら嬉しいです。

最近の記事

「パレスチナを知ろう」#草の根パレスチナ0605のまとめ記事その⑤

2024年6月5日に行われたzoomイベント「パレスチナを知ろう」(#草の根パレスチナ0605)のまとめ記事その⑤(さいご)です。 当日の流れは、以下の通りです。 1. ごあいさつ(ひろこ) 2. パレスチナ難民キャンプの思い出(まりか) 3. アーデルさんのお話 4. ゲスト3人の座談会 5. 質疑応答&おわりに…この記事で、詳細をまとめています。 5. 質疑応答 (ひろこ)ここで、まだお時間があるので、参加者の皆様から座談会のゲスト3人に何か質問があったらお答えしたい

    • 「パレスチナを知ろう」#草の根パレスチナ0605オンラインイベントまとめ④

      2024年6月5日に行われたzoomイベント「パレスチナを知ろう」(#草の根パレスチナ0605)のまとめ記事その④です。 当日の流れは、以下の通りです。 1. ごあいさつ(ひろこ) 2. パレスチナ難民キャンプの思い出(まりか) 3. アーデルさんのお話 4. ゲスト3人の座談会…この記事でまとめています。 5. 質疑応答&おわりに 5. ゲスト3人の座談会 アーデルさんのお話に続いて、ゲストの3人に色々とパレスチナのお話を伺いました。 アーデルさん(以下、アーデル)

      • 「パレスチナを知ろう」#草の根パレスチナ0605オンラインイベントまとめ③

        2024年6月5日に行われたzoomイベント「パレスチナを知ろう」(#草の根パレスチナ0605)のまとめ記事その③です。 当日の流れは、以下の通りです。 1. ごあいさつ(ひろこ) 2. パレスチナ難民キャンプの思い出(まりか) 3. アーデルさんのお話…この記事でまとめています。 4. ゲスト3人の座談会 5. 質疑応答&おわりに 3. パレスチナ難民キャンプ在住のアーデルさんのお話 この日は、ヨルダンのパレスチナ難民キャンプのバカアキャンプにお住まいのアーデルさんと

        • 「パレスチナを知ろう」#草の根パレスチナ0605オンラインイベントまとめ②

          2024年6月5日に行われたzoomイベント「パレスチナを知ろう」(#草の根パレスチナ0605)のまとめ記事その②です。 当日の流れは、以下の通りです。 1. ごあいさつ(ひろこ) 2. パレスチナ難民キャンプの思い出(まりか)…この記事でまとめています。 3. アーデルさんのお話 4. ゲスト3人の座談会 5. 質疑応答&おわりに 2. パレスチナ難民キャンプの思い出(まりか) 私はヨルダンの中でも最も大きいパレスチナ難民キャンプのバカアキャンプというところでボランテ

        「パレスチナを知ろう」#草の根パレスチナ0605のまとめ記事その⑤

          「パレスチナを知ろう」#草の根パレスチナ0605オンラインイベントまとめ①

          2024年6月5日に行われたzoomイベント「パレスチナを知ろう」(#草の根パレスチナ0605)のまとめ記事その①です。 当日は、草の根主婦メンバーのマイサ、まりか、ひろこの他に、ヨルダンのパレスチナ難民キャンプにいるアーデルさん、日本に留学中のウマルさん、マリアムさんをゲストに招いてお話を聞かせていただきました。 当日の流れは、以下の通りです。 1. ごあいさつ(ひろこ)…この記事でまとめています。 2. パレスチナ難民キャンプの思い出(まりか) 3. アーデルさんのお

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          なぜスイカ?

          文・ひろこ パレスチナを支える活動をする人たちの中で、スイカのマークを使っている人や、スイカグッズを持っている人を見かけませんか? 私も最初はなぜかなと思ったのですが、以下の記事を見て、なるほどと思いました。 以下、nprという、アメリカの記事サイトの翻訳、まとめです。 https://www.npr.org/2024/01/08/1222718339/why-watermelons-are-symbol-of-palestinian-solidarity#:~:tex

          パレスチナ人の声:ヨルダン川西岸の歴史と今

          文・ラヤ(パレスチナ・ヨルダン川西岸地区在住、パレスチナ人) 翻訳、編集・ひろこ [翻訳、編集より] こちらの記事は、今もパレスチナ西岸地区に住むラヤさんからの寄稿です。 彼女たちから見たパレスチナの歴史について書いてくださいました。 日本ではなかなか習うことのないパレスチナの歴史や10月7日以降の状況についても書かれています。ぜひお読みください。 [パレスチナの歴史、1948年〜] イギリスの委任統治が撤退を決定すると、イスラエルの民兵はパレスチナの村々に対して恐ろしい

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          [動画紹介] クーフィーヤ(Keffiyeh/كُوفِيَّة)とは? (Bisan from Gaza)

          文・ひろこ 親パレスチナのデモやアクションでよく見かけるこのスカーフは、クーフィーヤ(كوفية/Keffiyeh)といって、アラブの国の男性が頭に巻いている布の総称です。 ヨルダンでは「ハッタ」と呼んでいたのですが、国や地域によって呼び方や柄や良く使われる色などが変わります。例えばヨルダンでは赤が一般的で、オマーンやクウェートなどは真っ白で柄がないもの…などなど。ヨルダンのお土産物屋さんにいくと、いろんな色の組み合わせがありました。 身につける方法も色々あって、男性は

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          「難民キャンプで生まれ、一生を難民として過ごすこと」 アーデルさんからのメッセージ

          こちらの記事は、今もヨルダンの首都アンマンにあるバカア難民キャンプに住んでいるアーデルさんからのメッセージを翻訳したものです。アデルおじさんは、ご両親がナクバで避難してから4世代に渡って難民でい続けています。なるべくアーデルさんの意向に添えるように翻訳し、より伝わりやすくするために一部注釈をつけさせていただきました。 アデルさんの歴史や、難民でい続けること、故郷への想いをぜひ目にしてください。 文・Adel/アーデル(バカア在住・パレスチナ人) 「アッサラームアレイクム(

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          私とタイちゃん

          文・マリアム(ヨルダン出身・パレスチナ人) 10月7日、初めてうちの猫を連れて公園に行った日だ。猫は、名前が「Shams」、アラビア語でつけた。日本語だと、「太陽」だね。 でも、とりあえず『タイちゃん』と呼ぼう。3年前に飼ったの。世界で一番好きな存在なんだ。 名前のとおり、時々消えたいと思っちゃうほどの人生の暗闇を、どんなに暗くても、それを全部照らす太陽だ。 だけど、知らないものがすごく怖いの。ビビり猫というんだね。 私は自然が好き。どんなところでも、自然があれば私

          パレスチナを忘れないで

          文・えりか(UNRWA元美術教師) 最近、ニュースで耳にしない日はない“パレスチナ”“ガザ地区”というワード。 去年10月からイスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区への軍事侵攻がはじまり、3万人以上の罪のない人々の命が失われた。 今に始まった争いではなく、76年前にパレスチナ人は祖国を追われ、隣国に避難していつ元に戻れるのだろうかと願いながら生きている。 そんなパレスチナ人たちが生活をしているヨルダンの首都アンマンの街中にあるワヒダット難民キャンプに私は配属された。

          パレスチナ難民キャンプの日常

          文・のりこ(元UNRWA音楽教師) ヨルダンの北部にあるパレスチナ難民キャンプです。いつもバスで通っていました。 キャンプの中に日本語が!! 私が来る前に日本人が書いてくれたと女の子が嬉しそうに話してくれました。 キャンプの中の学校です。校庭はコンクリート、音楽室も体育館もありません。でも子どもたちはいつでも元気いっぱいでした。 私が日本からリコーダーを持っていき、子どもたちが初めて手にした時、キラキラした目で授業を受けてくれた時のことを忘れません。

          パレスチナ難民キャンプの日常

          [動画紹介] パレスチナ問題はこうして始まった

          文・ひろこ すでにご覧になった方もいると思いますが、1948年のナクバを生き延びた方の証言と記録映像です。日本語訳もついていて、とてもおすすめです。  翻訳 bReCaG48@ twitter atsyjp@ twitter 転載元 2023/12/16 https://x.com/bReCaG48/status/1735838... ナクバとは? ナクバは、1948年のイスラエル建国とアラブ・イスラエル戦争で起きた、パレスチナ人の追放や難

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          ヨルダンでパレスチナを感じた日

          文:マイサ(元UNRWA美術教師) 私はヨルダンの首都アンマンにあるUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の学校で、小学校4年生から中学校3年生の授業を担当していました。 みなさんはアラビア語の文字をご存知ですか? 右から左に読むあのニョロニョロとした文字です。 アラビア文字は美しく、時には絵画のように表現されることもあります。 そんな中、学校の授業で生徒が制作した作品が実に愛らしくかわいいので見てください。 授業では、工作、絵画、立体等いろいろなテーマに取り

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          ワヒダットキャンプの風景

          文・アイ(元UNRWA体育教師) ヨルダンの首都アンマンに「ワヒダットキャンプ」というパレスチナ難民キャンプがあります。 写真の風景は住宅街の路地。 少し手前にはヨルダンでもたくさんの人が買い物に来る「スーク」と呼ばれる大きな市場がありました。 名前は「キャンプ」だけど1つの「街」としてみんな賑やかに生活しています。 キャンプのスークで買った可愛い手鏡は、10年経った今でも愛用中です。

          パレスチナに目を向けて

          文:ムハンマド(エジプト出身) 日本ではデモや抗議活動の意義について疑問視する声があるそうですが、私はそうではないと断言できます。 少し私の経験をお話しします。 私はエジプト出身で、アラブの春とその後に起こったクーデターを経験しました。 当時のエジプトは、クーデターに反対するためにたくさんの若者が抗議活動をしていて、それこそ石で戦車に対抗したりしていました。 クーデターの後は市民への攻撃が激化し、座り込みをするだけで警察に連れて行かれ、ある時は軍の戦車で攻撃され、まさ