草の根主婦がパレスチナを心配する

ふつうの主婦(草の根主婦)が集まって、パレスチナのために何かしたくて始めました。 草の…

草の根主婦がパレスチナを心配する

ふつうの主婦(草の根主婦)が集まって、パレスチナのために何かしたくて始めました。 草の根主婦たちは、かつてヨルダンでパレスチナ人たちと触れ合ってきました。その記憶や人間関係を頼りに、記事を書いたり集めたりしています。多くの人にパレスチナを身近に感じてもらえたら嬉しいです。

最近の記事

パレスチナを知ろう:オンラインイベントのお知らせ

6月5日(水)日本時間の19時から21時オンラインイベントを開催します。 私たち草の根主婦たちと、パレスチナにルーツを持つ人々とをzoomでつないで、お話を聞く予定です。草の根の人々が集い、パレスチナに思いを馳せる場を作れればと思っています。 内容は、以下の通りです。 1)ご挨拶 2)パレスチナで過ごした草の根主婦の思い 3)パレスチナ難民キャンプに暮らすAdel(アデル)おじさんのお話 。  *アデルおじさんは、こちらの記事も書いてくださった方です。   https://

    • [動画紹介] クーフィーヤ(Keffiyeh/كُوفِيَّة)とは? (Bisan from Gaza)

      文・ひろこ(元ヨルダン大学日本語講師) 親パレスチナのデモやアクションでよく見かけるこのスカーフは、クーフィーヤ(كوفية/Keffiyeh)といって、アラブの国の男性が頭に巻いている布の総称です。 ヨルダンでは「ハッタ」と呼んでいたのですが、国や地域によって呼び方や柄や良く使われる色などが変わります。例えばヨルダンでは赤が一般的で、オマーンやクウェートなどは真っ白で柄がないもの…などなど。ヨルダンのお土産物屋さんにいくと、いろんな色の組み合わせがありました。 身につ

      • 「難民キャンプで生まれ、一生を難民として過ごすこと」 アデルさんからのメッセージ

        こちらの記事は、今もヨルダンの首都アンマンにあるバカア難民キャンプに住んでいるアデルさんからのメッセージを翻訳したものです。アデルおじさんは、ご両親がナクバで避難してから4世代に渡って難民でい続けています。なるべくアデルさんの意向に添えるように翻訳し、より伝わりやすくするために一部注釈をつけさせていただきました。 アデルさんの歴史や、難民でい続けること、故郷への想いをぜひ目にしてください。 文・Adel/アデル(バカア在住・パレスチナ人) 「アッサラームアレイクム(アラビ

        • 私とタイちゃん

          文・マリアム(ヨルダン出身・パレスチナ人) 10月7日、初めてうちの猫を連れて公園に行った日だ。猫は、名前が「Shams」、アラビア語でつけた。日本語だと、「太陽」だね。 でも、とりあえず『タイちゃん』と呼ぼう。3年前に飼ったの。世界で一番好きな存在なんだ。 名前のとおり、時々消えたいと思っちゃうほどの人生の暗闇を、どんなに暗くても、それを全部照らす太陽だ。 だけど、知らないものがすごく怖いの。ビビり猫というんだね。 私は自然が好き。どんなところでも、自然があれば私

        パレスチナを知ろう:オンラインイベントのお知らせ

          パレスチナを忘れないで

          文・えりか(UNRWA元美術教師) 最近、ニュースで耳にしない日はない“パレスチナ”“ガザ地区”というワード。 去年10月からイスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区への軍事侵攻がはじまり、3万人以上の罪のない人々の命が失われた。 今に始まった争いではなく、76年前にパレスチナ人は祖国を追われ、隣国に避難していつ元に戻れるのだろうかと願いながら生きている。 そんなパレスチナ人たちが生活をしているヨルダンの首都アンマンの街中にあるワヒダット難民キャンプに私は配属された。

          パレスチナ難民キャンプの日常

          文・のりこ(元UNRWA音楽教師) ヨルダンの北部にあるパレスチナ難民キャンプです。いつもバスで通っていました。 キャンプの中に日本語が!! 私が来る前に日本人が書いてくれたと女の子が嬉しそうに話してくれました。 キャンプの中の学校です。校庭はコンクリート、音楽室も体育館もありません。でも子どもたちはいつでも元気いっぱいでした。 私が日本からリコーダーを持っていき、子どもたちが初めて手にした時、キラキラした目で授業を受けてくれた時のことを忘れません。 [告知] 6月

          パレスチナ難民キャンプの日常

          [動画紹介] パレスチナ問題はこうして始まった

          文・ひろこ(元ヨルダン大学日本語講師) すでにご覧になった方もいると思いますが、1948年のナクバを生き延びた方の証言と記録映像です。日本語訳もついていて、とてもおすすめです。  翻訳 bReCaG48@ twitter atsyjp@ twitter 転載元 2023/12/16 https://x.com/bReCaG48/status/1735838... ナクバとは? ナクバは、1948年のイスラエル建国とアラブ・イスラエル戦争で起

          [動画紹介] パレスチナ問題はこうして始まった

          ヨルダンでパレスチナを感じた日

          文:マイサ(元UNRWA美術教師) 私はヨルダンの首都アンマンにあるUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の学校で、小学校4年生から中学校3年生の授業を担当していました。 みなさんはアラビア語の文字をご存知ですか? 右から左に読むあのニョロニョロとした文字です。 アラビア文字は美しく、時には絵画のように表現されることもあります。 そんな中、学校の授業で生徒が制作した作品が実に愛らしくかわいいので見てください。 授業では、工作、絵画、立体等いろいろなテーマに取り

          ヨルダンでパレスチナを感じた日

          ワヒダットキャンプの風景

          文・アイ(元UNRWA体育教師) ヨルダンの首都アンマンに「ワヒダットキャンプ」というパレスチナ難民キャンプがあります。 写真の風景は住宅街の路地。 少し手前にはヨルダンでもたくさんの人が買い物に来る「スーク」と呼ばれる大きな市場がありました。 名前は「キャンプ」だけど1つの「街」としてみんな賑やかに生活しています。 キャンプのスークで買った可愛い手鏡は、10年経った今でも愛用中です。 [告知] 6月5日(水)日本時間の19時から21時オンラインイベントを開催しま

          パレスチナに目を向けて

          文:ムハンマド(エジプト出身) 日本ではデモや抗議活動の意義について疑問視する声があるそうですが、私はそうではないと断言できます。 少し私の経験をお話しします。 私はエジプト出身で、アラブの春とその後に起こったクーデターを経験しました。 当時のエジプトは、クーデターに反対するためにたくさんの若者が抗議活動をしていて、それこそ石で戦車に対抗したりしていました。 クーデターの後は市民への攻撃が激化し、座り込みをするだけで警察に連れて行かれ、ある時は軍の戦車で攻撃され、まさ

          パレスチナ刺繍

          文:マリカ(元UNRWA音楽教師) ヨルダンにあるパレスチナ難民キャンプの学校で働いていたとき、何人かの生徒さんが度々お家に招いてくれました。彼らは日本人である私に料理をふるまいながら、彼らの祖国、つまりパレスチナの文化についてよく話をしました。そんな中、あるお家で大変美しいパレスチナ刺繍のショールを見る機会がありました。 「お母さんが縫った」のだというその刺繍は、黒の地に赤い糸で一針一針縫われており、見事な幾何学模様の中に、何かとても力強い意志のようなものを感じました。

          パレスチナ難民キャンプのバッサームさんへのインタビュー

          この記事は、2014年当時、ヨルダンの首都アンマンにあるバカア難民キャンプというところでUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の音楽教師をしていたマリカさんが、日本の中学生に向けて書いた記事です。 マリカさんがインタビューしたのは、1967年に戦禍を逃れるために家族と一緒にヨルダンに避難してきたバッサームさん。避難してきた時はなんと2歳。当時、お母様は妊娠をされていたそうです。 ヨルダンに向かう道も、イスラエル軍に見つかったら攻撃されるという危険がある中、バッサームさ

          パレスチナ難民キャンプのバッサームさんへのインタビュー