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[動画紹介] パレスチナ問題はこうして始まった


文・ひろこ(元ヨルダン大学日本語講師)

すでにご覧になった方もいると思いますが、1948年のナクバを生き延びた方の証言と記録映像です。日本語訳もついていて、とてもおすすめです。
 翻訳 bReCaG48@ twitter
             atsyjp@ twitter
  転載元 2023/12/16 https://x.com/bReCaG48/status/1735838...

ナクバとは?

ナクバは、1948年のイスラエル建国とアラブ・イスラエル戦争で起きた、パレスチナ人の追放や難民化を指す言葉です。この出来事により、約75万人のパレスチナ人が自宅を追われたと言われています。
毎年5月15日は「ナクバの日」として、デモをしたり、パレスチナへの思いを奮い立たせるようなイベントがヨルダンのパレスチナ難民キャンプでも多く行われていました。

[動画1:08~] パレスチナ歴史(昔はみんな「パレスチナの民」だった)

パレスチナはさまざまな国の支配を受けてきましたが、何百年もパレスチナ人が住んでいました。主にイスラム教徒が住んでいましたが、キリスト教ともユダヤ教徒も住んでいて、宗教が異なってもみんな「パレスチナの民」を自称していました(アリゾナ大学現代中東史イスラム教研究准教授 マハ・ナサール氏より)。

[動画1:54〜] 第一次大戦〜バルフォア宣言(イギリス三枚舌外交)

第一次大戦後、パレスチナには3つの勢力が支配を争いました。オスマン帝国から独立したいアラブの勢力、「シオニスト」と呼ばれるユダヤ人国家を目指す政治勢力、そしてイギリス。

イギリスは最初、アラブ諸国と協力してオスマン帝国を倒したかに見えましたが、同時にシオニストたちにイスラエル建国を約束していました。それが1917年のバルフォア宣言。

これによって、ユダヤ人の国をパレスチナに作るという内容でしたが、当時パレスチナに住んでいたのはアラブ人が大半でした。

その後、ナチスの台頭によりヨーロッパにおけるユダヤ人迫害が悪化し、パレスチナに移住するユダヤ人が激増し、当時住んでいたパレスチナ人たちとの衝突が増加します。

[動画6:33〜] 1947年国連決議案(イギリス、国連に丸投げ)

パレスチナでの争いが激化し、手に負えなくなったイギリスは国連にその解決を委ねた。その結果が1947年の国連分割案です。

当時の人口は、もともとパレスチナに住んでいた人々が約130万人、ユダヤ人が約60万人に対して、土地の半分以上はユダヤ人国家にするという案でした(ガザ地区とヨルダン川西岸がパレスチナの土地で、残りはイスラエルというもの)。

さらに、ユダヤ人国家にするというその土地には、すでに数十万人のパレスチナ人が何百年も住んでいて生活をしていました。その土地に住んでいたパレスチナ人は当然、自分の家や土地を手放すことに反対しました。

そして、「ナクバ」が起こりました。

[動画9:37〜] ナクバの生存者による証言

動画に登場するダウード・アサド氏の故郷はデイル・ヤシーン村。エルサレムから6kmほどの場所にあり、750人ほどの小さい村で、みんなが顔見知りだったそうです。ダウード氏は当時18歳でした。

木曜日の夜にイスラエルの軍の車が村に近づいて、金曜日の朝に攻撃が始まりました。ダウード氏はおじさんと銃で反撃しましたが、イスラエル軍の前に家族は全員殺されました。

その殺し方も残虐で、女性や子供も含めた人々を裸にして一列に並べ、撮影した後に殺されたと記録があります(国連の文書より)。

ダウード氏は塹壕を歩き続けてエルサレムまで逃げたそうです。

デイル・ヤシーン村で起きた虐殺は見せしめであり、他のパレスチナ人たちに「土地を去らなければ同じことが起きる」と言うメッセージを伝えました。

この結果、多くの人が故郷から避難しました。このように強制的なパレスチナ人の追放、難民化が「ナクバ」です。

ナクバを象徴するアイテムとして鍵があります。なぜならば、この時、難民化したパレスチナ人たちは、家に鍵をかけて、その鍵を持って避難したのです。状況が落ち着いたら家に帰るつもりで…。

ナクバを象徴するイラスト(@saquochang on Xより)

家に帰るつもりで避難したパレスチナ人たちは、その後、帰ろうとしても撃ち殺され、家ごと村を破壊されました。破壊された土地の上には松林やレジャー施設が建てられました。まるでそこには最初から何もなかったかのように…。

ナクバが終わるまでに強制的に追放されたパレスチナ人は75万人にも上り、国連の分割案(1947年)で割り当てられた土地以上の地域をイスラエルが支配することになり、その後もイスラエルによる土地の強奪、暴力が今に至るまで続いています。

[動画15:42〜] そして、今、5月15日「ナクバ」

今もなお、5月15日は「ナクバ」の日として、多くのパレスチナ人はデモをします。
パレスチナ人にとって5月15日の「ナクバ」は歴史的なものではなく、今も続く悲劇なのです。


[告知]
6月5日(水)日本時間の19時から21時オンラインイベントを開催します。
私たち草の根主婦たちと、パレスチナにルーツを持つ人々とをzoomでつないで、お話を聞く予定です。草の根の人々が集い、パレスチナに思いを馳せる場を作れればと思っています。

参加事前登録またはご質問はこちらからお願いします。
https://forms.gle/xiTQUUegkuPgxt3Z9

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