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「パレスチナを知ろう」#草の根パレスチナ0605オンラインイベントまとめ③

2024年6月5日に行われたzoomイベント「パレスチナを知ろう」(#草の根パレスチナ0605)のまとめ記事その③です。

当日の流れは、以下の通りです。
1. ごあいさつ(ひろこ)
2. パレスチナ難民キャンプの思い出(まりか)
3. アーデルさんのお話…この記事でまとめています。
4. ゲスト3人の座談会
5. 質疑応答&おわりに


3. パレスチナ難民キャンプ在住のアーデルさんのお話

この日は、ヨルダンのパレスチナ難民キャンプのバカアキャンプにお住まいのアーデルさんとzoomをつないで、お話を伺いました。通訳は、ゲストのウマルさんにお願いしました。

(以下、アーデルさんのお話です)

アッサラームアレイクム(アラビア語の挨拶で、直訳すると「神の慈悲と祝福があらんことを」)。

私は今、パレスチナ人のための難民キャンプで最大のバカアキャンプというところにいます。

私の難民としての暮らしは祖父の時代、つまり1948年から始まりました。祖父はサラファン・アル・アマルという村から追い出されて、ヨルダン川西岸の難民キャンプに住み始めました。私はこのキャンプで生まれました。

その後、1967年にまた戦争が起きて、イスラエル軍がヨルダン川西岸の難民キャンプを攻撃したため、そこから歩いてヨルダンまで逃げて行きました。そして、ヨルダン渓谷の難民キャンプに住み始めました。
私はヨルダンが難民としての私たちを受け入れてくれたことに感謝しています。

そこからさらに1968年に「カラマ」と呼ばれている戦争が起こり、イスラエル軍がパレスチナとヨルダンの国境沿いにある難民キャンプを全て攻撃し、私たちはさらにヨルダン内部の難民キャンプに移動しました。それが今でも住んでいるバカアキャンプです。

アーデルさんご一家が移動したキャンプの数々



このバカアキャンプは今でこそ建物がたくさん立っている街になりましたが、当時はきれいな道もない、本当にただのテントでの生活でした。テントの中で寝起きして、家族と過ごし、勉強をして、兄弟と遊んで暮らしていました。
本当に大変な生活でしたが、そのおかげで今の自分が作られました。

そして私たちはまだ希望を持っています。私の子供たちは自分たちのルーツを知っています。子供たちはパレスチナに帰る希望を持っています。

私たちパレスチナ人は平和を望んでいます。
パレスチナ人は優しいし、おもてなしを重んじる文化があります。
しかし、私は故郷を奪われ、その故郷は長年占領され続けています。私は祖父母から孫に至るまで、難民としての暮らしを強いられています。
だからこそ、抵抗しないわけにはいかないんです。
パレスチナの歴史は、去年(2023年)の10月7日に始まったわけではないのです。もっともっと昔から大変なことを強いられ続けている歴史があるんです。
そのことを皆様にはぜひ知っていただければと思います。

ご静聴ありがとうございました。

補足情報:
1. 現在、アーデルさんが関わっている、パレスチナ難民キャンプの支援団体はこちらです。(Facebookのグループページに飛びます)
https://www.facebook.com/groups/236447563214987/

2.アーデルさんのお話は、「難民キャンプで生まれ、一生を難民として過ごすこと」という記事でも紹介しています
https://note.com/ample_poppy3369/n/n5e82c447cca2?sub_rt=share_pw

(「まとめ④(https://note.com/preview/n16ee3c2de2b6?prev_access_key=f76ae7e05fc8cf8890a3ba4a42df4a65」に続きます)

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